能登半島地震|全焼した輪島朝市通りで再建し輪島塗を作り続けたい

支援総額

6,170,000

目標金額 5,000,000円

支援者
214人
募集終了日
2024年5月29日

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プロジェクト本文

ご支援をありがとうございます

 

小西庄五郎漆器店の小西弘剛です。この度は、私たちのプロジェクトに大きなご支援をいただき、誠にありがとうございます。

皆さまにお力添えいただき、4月24日に目標金額500万円を達成することができました。ご支援をいただきました皆さまに、心より御礼申し上げます。プロジェクトを始めてからずっと、皆さまのご支援や温かい励ましのメッセージに、日々癒され、勇気づけられ、前を向いて活動することができ、本当にありがたく思っております。 

 

地震の日から、もうすぐ4ヶ月を迎えようとしています。この間、私たちは焼け残った店舗上階の片付けや、出張輪島朝市などの販売イベント、輪島朝市と本町商店街の若手の検討会に参加するなどの活動をしながら、次のものづくりへ向けて模索してきました。

 

 職人の皆さんは、ご自宅で作業を開始された方、輪島市の仮設の職人工房に受け入れていただいた方や、いまだに避難生活を余儀なくされている方、皆さんそれぞれに、地震により、新しい環境や慣れない場所での仕事や暮らしを整えることに、精一杯のように感じます。

 

 朝市通りの焼け跡や輪島市内の崩れた家屋の痛々しい風景は、驚くほどに変化がなく、地震当時のままです。水道復旧の目処が立たない地域も多くあり、元通りにものづくりをしていくまでには、まだまだ長い時間と費用が必要です。 目標は達成いたしましたが、復興への長い道のりのため、新たな目標金額800万円を設定させていただくことと致しました。5月28日(火)まで受付をさせていただきます。いただいたご支援は、最終的には小西庄五郎漆器店の再建や、設備・道具等の購入にも充当できればと考えておりますが、まずは漆器製造のため職人さんへの工賃など運営費を最優先に使用させていただきます。 

 

なお、仮にネクストゴールの金額を達成できなかった場合、ご支援いただいた資金で実施できる範囲にて、実施はさせていただく予定でおります。

 

 これからも私たちは輪島塗の復興を目指して、皆さまのご期待に応えるべく活動して参ります。これまでのご支援に感謝申し上げますとともに、引き続き暖かいご支援を賜れますよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。   

 

2024年4月25日

小西庄五郎漆器店

小西弘剛

 

 

 

初めまして。私は小西弘剛と申します。

父と私で営む小西庄五郎漆器店は、輪島朝市で約250年間、輪島塗の製造と販売をしてきました。 

 

江戸時代には、船に漆器を積んで京都・大阪へ商いをし、今は8代目の父・小西泰輔、9代目の私が、関西地方の料亭などのお店様に、お椀をはじめとした様々な輪島塗をお納めしています。また輪島朝市の店舗では、観光のお客様へお椀や調度品などを販売していました。

(所属:輪島漆器商工業協同組合員、輪島市朝市組合員、輪島市本町商店街振興組合員)

 

このたびの地震による大規模火災で、店舗や自宅、工房、土蔵、営業車が全焼し、甚大な被害を受けました。

この地で諦めずに再建を目指して、職人さん達と一緒に復興し、しっかりとした輪島塗を作り続けて参ります。皆様の温かいご支援を、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

31日まで朝市の店舗を営業して、お休みだった元旦の朝、自宅アパートにいた私と妻、3歳と0歳の子供達は、朝市の店舗兼実家へ行って父と過ごしてから、アパートに戻り子供と遊んでいたところで地震に遭いました。建物がひっくり返ると思うくらい凄まじい揺れで、その時は家族に覆い被さって守ることで精一杯でした。 

 

揺れが収まって子供を抱えて外に出ると、瓦礫や亀裂で道路が寸断され、孤立状態であることが分かりました。朝市の実家にいた父に電話を掛けると、津波が心配ですぐに避難所へ向かったとのことで一安心しました。

 

 夜7時頃に父から電話があり、朝市近くで火事が発生したがうちからは離れているので大丈夫だと言っていましたが、余震が続く中、夜10時前頃、再び父から電話がありました。

「火の回りが早くて、うちの家の5、6軒先まで燃えている。うちはもうダメやわ。」 

 

父は近くで火災を見ているようだったので、私は急いで夜道を歩いて向かいました。歩いて行くと、初めて町が大変なことになっていると分かりました。瓦礫で埋め尽くされて道路かどうか分からない道を1時間くらいかけて進み何とか到着すると、そこはこの世と思えない火の海と、懸命に消化活動をする消防士さん達の姿がありました。

 

↑隣家まで火が迫っていました。 

 

店内に入ると、父は2階の事務机の横で茫然としていました。父を促して、通帳と印鑑・書類、財布など、A4のトートバッグだけを持って外に出て、店舗に火が燃え移ったところまで見届けました。なす術もなく、現場を離れ、避難所へ父を見送ってから、自宅アパートへと歩いて戻り、車中泊をしました。

その夜、高台にあるアパートからは、朝市方向の空が一晩中赤くなっているのが見えました。

 

↑翌日の朝市通り。煙がくすぶっていました。緑の屋根のビルが私どもの店舗です。

 

↑店舗を見に行きました。

 

↑震災前の店舗1階です。

 

↑店舗1階の震災後の様子。床のタイルくらいしか、原型を留めていません。

 

↑震災前の工房です。

 

↑工房の震災後の様子。

 

↑ここには江戸時代から建っていた土蔵がありました。赤く見えるのは、土蔵の土壁です。

 

↑私たちの営業車。火災前に車を出そうとしましたが、車庫の屋根が潰れていて出すことが出来ませんでした。

 

今回の震災による火災では、店舗、自宅、倉庫、土蔵、工房、営業車など、敷地内は全焼しました。店舗の外観は火災に耐えたものの、1階にあったお椀などの日用品から茶道具等の美術品、土蔵や倉庫に保管してあった大量の塗り物や漆、作業場にあった輪島塗の工程に欠かせない各種の道具、漆を乾かす塗師風呂、自宅にあったお客様情報や売上台帳などの事務書類も焼失しました。 

 

そもそも塗師屋の伝統的な建物は「住前職後」と言って、長い敷地の中に、玄関の方に住居、奥の方に職人の工房を設ける様式が古くからの慣わしです。今では、朝市で店舗を借り、自宅や工房は別の場所という方も多いですが、当店は昔ながらの縦長の敷地に、住宅や工房などが一体構造であったため、火災の被害は甚大なものとなりました。

 

被害の状況を2024年1月7日の朝日新聞の記事に掲載して頂きました。↓

https://www.asahi.com/articles/ASS167TZCS16UQIP030.html

 

ただ、奇跡的に火災を免れたものがあります。

 

↑店舗3階。2〜4階は、煤だらけで散乱状態であるものの、幸いにして火が入りませんでした。 

 

助かったものの一つは、私達が江戸期から何代にもわたって、作り受け継いできた見本椀です。これまで沢山の料理人様から受注いただいた、季節やテーマに合わせてオーダーメイドで作ってきた、様々な形の様々な文様のお椀で、沢山の思い出と歴史の詰まったお椀です。

 

↑煤だらけで散乱していましたが、さすが輪島塗、割れていません。 

 

もう一つは、江戸時代からの当店の歩みが記された古文書や資料が押し入れの中で綺麗にそのまま残っていました。火災の時には、全て燃えた・・と諦めましたが、あとで無事だったことが分かり、消火後に何とか運び出しました。

 

↑サンフランシスコ万国博覧会(1915)で作品が入賞した時のメダル。

 

↑船を持っていたことを証明する通行証。

 

↑当店に伝わる大正時代の掛け軸。漆器業・工芸技術の守護仏である虚空蔵菩薩が描かれています。先祖が京都法輪寺で寄進したお礼にお寺から頂いたもの。漆の神様が「諦めないで」と言ってくれたようでした。

 

火災で多くの在庫を失った私たちですが、物よりかけがえのないものが残されています。それは、私たちが日頃お仕事をお願いしている職人さん達です。輪島塗は工程が120以上にも及び、一つの品物に5、6人の職人さんが、それぞれ深い専門技術と知識を持って分業で携わります。

 

私や父の仕事は塗師屋(ぬしや)と言って、お客様のご注文や自分たちの企画した木地の図面を作って木地師さんに相談するところから始まります。どんなふうに仕上げたいかを各工程の職人さん達と共有しながら作り進めて、完成させた塗り物をお客様にお届けする・提案するというプロデューサー的存在です。  

 

↑木地の設計図や、蒔絵のデザイン図。

 

↑当店定番の汁椀「つぼみ椀」輪島塗の工程を半分くらい過ぎたところ。

 

↑蒔絵筆で線描きをしているところ。

 

輪島塗は、この小さな町の中で、緊密にコミュニケーションを取りながら、それぞれの塗師屋がものづくりするチームを組んで、製造・販売がなされてきました。

ほぼ全てが手作業のため、同じ工程の職人さん同士でも、ひとりひとり、特徴や得意なこと、個性があります。出来上がったものにはその特徴がよく現れていて、その人の手、その人の心が、物を生み出すと感じるのです。 

 

 私は、大学卒業後に実家へ帰ってから、4年間、職人さんに習い輪島塗の下地を習いました。また妻・小西紋野は蒔絵作家で、輪島漆芸技術研修所や蒔絵師のもとで9年間修行を積み、作品づくりや蒔絵の受注製作を行っています。昨年から日本伝統漆芸展に出品し、個展の開催を目指して活動しています。

 

 

自分たち自身が作り手であり、工程をよく理解した上で企画し、職人さんと力を合わせてものづくりをすることを大事にしてきました。この仕事に就いて約20年、ようやく思いを一つにして一緒にものづくりできる職人さんと繋がることができ始めた、そう思った矢先の地震でした。

 

 私達の仕事を請け負ってくれていた職人さん達は、幸いご無事です。ただ、被災の状況は、なんとか片付けて仕事を始められた方もいれば、全焼・全壊してしまった方、材料や道具が壊れてしまって、今は日々を過ごすのに精一杯の方もいらっしゃいます。それでも、どうかまだ職人業を諦めないでほしい、また一緒に物作りがしたい、自分にも何かできることはないだろうかと考えた末、今回のクラウドファンディングを思い立ちました。

 

私たちは、多くの在庫を焼失しました。

皆様からのご支援のお返しに、しっかりとした輪島塗を新たに制作することで、材料や道具を揃え、職人の皆さんと共に働く環境を1日も早く取り戻したい。長い歴史によってつちかった上質な輪島塗を皆様にお届けしたい。それが私達の願いです。

 

ご支援いただく方には、1からの製作で長い時間をお待たせすることをはじめにお詫び申し上げます。いただいたご支援は、まず小西庄五郎漆器店に関わる職人さんやものづくりに対する運営費に当てさせて頂くことになります。

そして、私たちが復興に向けて歩み続け、工房と店舗を再建し、関わってくださる職人の皆さんのお仕事を安定的に継続していくことを目指します。

 

この地震により多くの方の住まいが無くなり、多くの命が亡くなり、今まで大切に紡がれてきた暮らし・人の繋がりが、壊されました。日に日に被害の甚大さを重く感じ、自分の仕事のことだけ考えて良いのか、と迷いました。 けれどもやはり私たちは、輪島塗を作ることしかできなくて、輪島塗を作ることを通して、少しでも復興の役に立ちたいと思います。

 

私も父も、この輪島朝市に生まれ育ち、輪島塗の稼業を続けてきました。私が小さい時は通りを歩けば「ヒロちゃん」と朝市に立つおばちゃん達に声を声を掛けてもらったように、3歳の息子もまた、一緒に散歩しては皆さんに可愛がってもらいました。 

 

現在の朝市通りは未だ火災跡のまま手付かずで、再建は何年先になるのか見当もつきません。それでも、あたたかいコミュニティの中で育ててもらったこの場所で、いつか再び工房と店舗を持ち、職人さん達と力を合わせて、輪島塗を作り続けたいというのが私の願いです。 

 

人と人との繋がりがあってこのまちが成り立ち、このまちがあって塗師屋は輪島塗を作ることができたのだと思います。

代々続けてきた輪島塗の漆文化を、未来の塗師屋さんや職人さんに繋いでいきたいと思っています。どうぞご支援を賜りますよう、ここにお願い申し上げます。

 

 

※本クラウドファンディングはALL-IN形式で行われます。目標金額に満たない場合もクラウドファンディングは成立となり、集まった金額に応じて当初プロジェクトに沿った内容を実行いたします。

目標金額を超えて集まった場合は別途活動報告などを通じて使途のご案内をいたします。

※刻々と変わる状況に鑑みて、ページ内記載のプロジェクト内容が変更、遅延する場合もございますが、支援金の返金は行われませんのでご理解のほどお願い致します。一方で、完全に中止となった場合は返金致します。

※READYFOR事務局:本プロジェクトは被災地で実施する緊急災害支援活動の関連プロジェクトです。被災地、被災者の皆様の状況等が変化する可能性がございます。被災地の情報に関する公的機関の発信、報道等もご確認下さい。

※注意事項:このリターンに関する条件の詳細については、リンク先(https://legal.readyfor.jp/guidelines/terms_of_service_index/terms_of_service/#betten)の「●命名権、メッセージの掲載その他これに類するリターン」をご確認ください。

 

関口 博巨 様   

神奈川大学日本常民文化研究所所長 神奈川大学国際日本学部教授 

 

このたびの令和6年能登半島地震により犠牲となられた方々に哀悼の意を表するとともに、被災された皆さまに心よりのお見舞いを申し上げます。

朝市通りの火災のことはテレビ報道で知りました。小西庄五郎漆器店の皆さまのことが心配で、情報が無いなか私もずっと心を痛めておりました。それにしても、何もかも焼き尽くす勢いだったあの大火のあと、代々伝わる古文書などの貴重な資料が無事だったことは、まさに奇跡というべきでしょう。罹災を免れた古文書は、江戸時代から明治・大正・昭和にいたる小西家の歴史を証言するものであり、同家と私どもの研究所を結びつけてくれたものなのです。

小西庄五郎漆器店は明和~安永年中(1764~1781)に創業し、文政年中(1818~1830)には椀講と呼ばれる年賦販売を始めて、関西に進出したといわれます。小西家には享和元年(1801)、文化3年(1806)、嘉永2年(1849)の紀年銘を有する大型のクロメ鉢(桶)が伝わっています。クロメ鉢は生漆を攪拌する容器で、その工程はナヤシ・クロメと呼ばれます。家伝の桶の存在は、小西家の塗師屋としての歴史を物語っているのです。

椀講を始めた二代目庄五郎(平蔵)は、関東を歴遊した際の「吾妻日記」、関西を旅した際の「西遊記」などの旅日記を遺した文筆家でもありました。また、五代目庄五郎(祐三郎)は書と俳句に長じ、俳諧関係の貴重な史料を多数遺しています。

小西庄五郎漆器店の復興支援は、言うまでもなく輪島塗の復興を支援することに繋がります。しかしそれだけではありません。同店の復興支援は貴重な古文書を後世に伝えていく手助けをすることでもあるのです。輪島塗の歴史を知り得る古文書はあまり多く遺されていません。小西家文書は奥能登の歴史とそこに暮らした人々の営みを跡付けるものであり、輪島市民にとっても大切な文化遺産なのです。皆さま、小西庄五郎漆器店をご支援ください。私も精一杯応援します。

 

 

芝田 冬樹 様

株式会社  叶 匠寿庵 代表取締役社長 

 

このたびの能登半島地震により亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。 

私どもは創業より三代にわたり、小西さまを通じ伝統工芸である輪島塗にお世話になり支えていただいてきました。元日早々、被災状況が報道される度に心を痛める日々が続きました。やっと小西さまと連絡が取れ先日お会いすることが叶い、数名の社員が現地に向かいました。これからも、和菓子屋としてできる限りのご恩返しをしてまいる所存です。

現地の状況からみても復興には時間を要するかもしれませんが、どうか皆さまのご有志で光を灯していただければ幸いです。お力添えを切にお願い申し上げます。

 

岡 能之 様

株式会社 能作 代表取締役社長

 

令和6年能登半島地震に於いて、犠牲になられた方々へ心からご冥福をお祈りする共に、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。弊社は創業(1780年)より漆の精製、販売から漆器の製造販売までを一貫して行っております。輪島塗の職人の方に漆を販売させて頂いておりますし、輪島塗を含む漆器の販売を金沢市内で行っております。輪島には同じ石川県内で工芸に携わる多くの仲間がおります。 工芸は今日明日でできるものではありません。輪島塗の長い歴史・伝統を途絶えさせないように輪島塗の再建に向け取り組み仲間を、同じ漆器を商いとする者として応援し、被災産地の1日も早い復興を願っております。

 

西山 哲央 様

牛首紬織元 株式会社 西山産業 取締役 

 

能登半島地震でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。 以前輪島を訪問した際、小西さんに案内してもらった朝市。被害状況を報道で知る度、その被害の大きさに心を痛めていました。先の見えない状況の中、輪島塗は続けると力強く語る姿に、逆に私が勇気づけられました。同じ伝統工芸に携わる者として全力で応援させていただきます。一日も早い復興に向けて力を合わせていきましょう。 

 

北野 智己 様  

九谷焼 株式会社 青郊  専務取締役

 

令和六年能登半島地震により亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された皆さまに心よりお見舞い申し上げます。

地震の時にすぐに頭に思い浮かんで思わず電話してしまい、避難で大変な最中であったろうにも関わらず、いつもの声のトーンで家族皆無事である事を小西さんは答えてくれました。その後はテレビ等から伝わる情報を見聞きし、人づてに小西さんが実家を失い、お店も大きな被害にあったと聞きました。小西さんの事を案じながらも連絡していいものか迷う日々が続き、1ヶ月程経ったときに小西さんから電話を貰いました。電話を通して伝えてくれたのは、いつもの明るく飄々とした彼の声のトーンでありながらも、お店を再建します、という強い決意がこめられた言葉でした。想像も出来ないような事を目にし、体験した。そんな自然の残酷さにも負けずに再び自身のお店を立て直し、輪島を復興し盛り上げようとするその姿勢に強く心を打たれ、祈ったり言葉をかける事しか出来なかった自分が逆に元気づけられたくらいです。伝統工芸としてその技術、歴史を絶やしてはいけないという思いは当然ながらも、それ以上にシンプルに再び立ち上がろうとする小西さんを応援したいのです。力やお金も勿論必要ですが、当事者の気持ち、意志が再建には一番必要かと思います。案じながらもテレビの向こうで座しているだけだった我々をも勇気づけ、きっと復興できると思わせる程のエネルギーを放ち、再建を強く誓う彼を応援しないで我々は何をするのだろうかとさえ思うのです。皆様どうぞ御力添えをお願いいたします。

 

今回のクラウドファンディングの全面的なサポートをして下さったのは、金沢市にあるコンコント菓子店代表の大平弘二さんです。大平さんは私と同級生で、ご実家は山中漆器の山崎又一商店を営まれ、数年前に伝統工芸の若手が集う石川伝統青年会議という団体での活動で知り合いました。被災し避難所生活で、事務作業もままならないため、プロジェクト作成ができるか不安に思っていたところ、大平さんがサポートして下さったお陰でここまでたどり着くことができました。この場をお借りして大平さんに心より感謝申し上げます。

 

大平 弘ニ 様

コンコント菓子店 代表

プロジェクト実行責任者:
小西庄五郎漆器店 小西弘剛
プロジェクト実施完了日:
2026年6月30日

プロジェクト概要と集めた資金の使途

皆さまからのご支援でリターン商品を製造するにあたり、輪島塗の復興を目指し、職人さんの道具・材料や漆器製造に関わる運営費に充てさせていただきます。販売代金は、小西庄五郎漆器店の工房や店舗の再建、設備や道具等の購入に使用させていただきます。

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プロフィール

1980年輪島市生まれ。9代目として、輪島朝市で約250年間、輪島塗の製造と販売を行う小西庄五郎漆器店を父と営んでいます。 当店は明和〜安永年中(1764〜1781)に創業し、2代目庄五郎(平蔵)は文政年中(1818〜1830)に現在でいうクレジット販売のような販売方式である椀講を創始し、輪島塗の爆発的な販路拡大に寄与したと言われています。明治期には、4代目庄五郎(武八)が輪島漆器製造会社を設立し、1894年に輪島漆器製造合名小西會社への改名を経て、1990年に株式会社小西庄五郎漆器店を設立して輪島塗の製造販売を担ってまいりました。 江戸期からの豊富な見本と技術・経験を元に、料亭様に煮物椀を納めるなどのほか、朝市店舗やネットショップにて個人のお客様への販売も行っております。(店舗営業・ネットショップは現在停止中)

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リターン

5,000+システム利用料


alt

御礼のお手紙(寄付額5,000円)

【リターン不要な方向け】御礼のお手紙(手書き)と活動報告をPDF形式でメールにてお送りさせていただきます。※本リターンに配送はございません。

申込数
33
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年6月

5,000+システム利用料


漆のお箸(1膳)

漆のお箸(1膳)

輪島で製造した漆塗お箸1膳をお届けいたします。お箸のお色は赤・黒のいずれかをこちらでお選びさせていただきます。
長さ:22.5cm
御礼のお手紙(手書きコピー)を同封致します。
※復興の状況によって発送日が遅延する場合があります。予めご了承下さい。

申込数
23
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2025年6月

5,000+システム利用料


alt

御礼のお手紙(寄付額5,000円)

【リターン不要な方向け】御礼のお手紙(手書き)と活動報告をPDF形式でメールにてお送りさせていただきます。※本リターンに配送はございません。

申込数
33
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2024年6月

5,000+システム利用料


漆のお箸(1膳)

漆のお箸(1膳)

輪島で製造した漆塗お箸1膳をお届けいたします。お箸のお色は赤・黒のいずれかをこちらでお選びさせていただきます。
長さ:22.5cm
御礼のお手紙(手書きコピー)を同封致します。
※復興の状況によって発送日が遅延する場合があります。予めご了承下さい。

申込数
23
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2025年6月
1 ~ 1/ 19

プロフィール

1980年輪島市生まれ。9代目として、輪島朝市で約250年間、輪島塗の製造と販売を行う小西庄五郎漆器店を父と営んでいます。 当店は明和〜安永年中(1764〜1781)に創業し、2代目庄五郎(平蔵)は文政年中(1818〜1830)に現在でいうクレジット販売のような販売方式である椀講を創始し、輪島塗の爆発的な販路拡大に寄与したと言われています。明治期には、4代目庄五郎(武八)が輪島漆器製造会社を設立し、1894年に輪島漆器製造合名小西會社への改名を経て、1990年に株式会社小西庄五郎漆器店を設立して輪島塗の製造販売を担ってまいりました。 江戸期からの豊富な見本と技術・経験を元に、料亭様に煮物椀を納めるなどのほか、朝市店舗やネットショップにて個人のお客様への販売も行っております。(店舗営業・ネットショップは現在停止中)

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