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「地元の企業主や、社員にも、自分の活動が
胸をはってやれることだって示すきっかけになりました」

幻の国産車「くろがね四起」復元にこめた信念とドラマ

01.

小林 雅彦(NPO法人「防衛技術博物館を創る会」)

「くろがね四起」は、実用小型乗用四輪駆動車として日本で初めて開発、製造、使用された車です。NPO法人「防衛技術博物館を創る会」代表の小林雅彦さんは、偶然この車に出会い、復元にかかる費用を集めるため、Readyforでクラウドファンディングに挑戦しました。小林さんたちの熱い思い、くろがね四起のストーリーは多くの共感を集め、復元の記録映像の費用を併せて、当時Readyfor最高額となる13,241,000円を765人の方から集めることに成功しました。1000万円を超える高額を集める上で、プロジェクトページやリターン、広報はどんな工夫を凝らしたかなど、くろがね四起復元作業の最中の小林さんに伺いました。

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NPO法人「防衛技術博物館を創る会」の代表 小林雅彦さん

Story 1.

2つの偶然の出会いから始まった
くろがね四起プロジェクト

―まず、どういった経緯でこのプロジェクトが始まったんですか。

小林雅彦(以下、小林): くろがね四起の話はたまたまなんです。もともとは「防衛技術博物館をつくろう」ということでNPOを活動してたんです。そこにくろがねの話だけ一昨年ぽこっと先に来ちゃったんです。うちの親父の知り合いの車屋さんがたまたま持っていて、その人ももう75歳でちょうどこのくろがねが作られた頃に生まれて、思い入れもあって捨てられなかったそうです。「小林の息子で、仕事もちゃんとやっていると聞いたから信頼して預ける。直して、走らせて、ちゃんと博物館に入れてくれるなら金はもういい」と。直すのに1000万円くらいかかりそうだというのはパッと分かりましたね。

―どうやってクラウドファンディングを知ったんですか。

小林: 3年くらい前から、三ヶ日町(浜松市北区の地域)の人たちと旧日本軍が浜名湖に沈めた戦車を探しているんです。このネタも浜名湖では有名な話で、探しているけれどなかなか見つからないんですよ。三ヶ日町のドキュメンタリー映画で三ヶ日町の人がその戦車の話をするのを観て、制作した三ヶ日町の観光協会長のところに突撃電話したんです。それで「面白いねあんた、きなよ」って言われて、浜名湖に沈んでいる理由をちゃんと説明してあげると、「それ面白い、町おこしに使える」ってことで今は殆ど徳川埋蔵金状態。そこで磁気調査に3~500万の費用が必要だってなった時に、実行委員の人が当時色々調べていたんです。その中で「今、流行っているんだって」ってことでクラウドファンディングって言葉を始めて聞きました。くろがね四起の話が持ち上がった時に改めて調べていったら「これいいんじゃないの」ってなって。それで「くろがね四起で先にクラウドファンドやりたいんですよ」って観光協会の人に言ったら、「先にやって色々教えてよ」とのことで、始めることになりました。

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―その中でどうしてReadyforを選ばれたのですか?

小林: 確か年末で、年が明ける前に1回メールしようと思って、いくつかのクラウドファンディングサイトを調べたんです。成立しているプロジェクトを見た時に、Readyforが「公共性が高い」と感じました。当時、私のやっていることって「カマドの社長の道楽」だって地元の人にも、全国のマニアの人にも思われていたんですよ。それは自分のやっていることを広く知ってもらうために面白おかしく伝えていたからです。本心では「これは日本になくてはならない公共性の高いものだ」って個人的には思っているけど、そんな真面目なこと言ったって誰も聞いてくれないんです。でもReadyforを利用して、その方向性を少しずつ切り替えていかなきゃいけないなって思いました。実際、今年の春からは、地元の人も「カマドの社長、ただ道楽でやっているのじゃなかったんだな。すごいいろいろ考えてやっているんだな」ってなって、市議会議員の人も一気に活動を応援してくれるようになっています。

―つまりイメージの転換としても活用してきたってことなんですね。

小林: はい。今回750人の方が実際にお金を出して支援していただいた、それも1000万円という大きい金額規模で集まった。これで地元の企業主とか、社員にも、自分の活動が胸をはってやれることだって示すきっかけになりましたね。

Story 2.

ファンじゃないからこそ、
力となったキュレーターの存在

―ページを作る上では、キュレーターとはどのような話をしたんですか。

小林: 担当キュレーターの田島さんからは、いろいろな注文やアドバイスを受けましたよ(笑) ページはこう見せませんか?、こんなお写真はないですか?、とか。クラウドファンディングのことは何も分からなかったし、そうたくさんアドバイスしてもらって良かったです。当時は「クラウドファンディングって実際なんなんだろう。どういう風に進んでいくのだろう」っていうのが分かっていませんでした。だから担当キュレーターに手順をちゃんと教えてもらえたのはすごく助かりましたね。

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―キュレーターからのアドバイスの中で印象に残っているものはございますか。

小林: ドラマ性をだすために「小林さん自身の顔を出してください」「関わっている人の写真を下さい」って言われたことですかね。自分としてはくろがね四起を直したいということだから、くろがね四起のことをいっぱい書こうと思っていたんです。でも担当キュレーターが20代の女性で、そんなに車の話をいっぱいしても興味ないと思ったんです。彼女から「小林さんが車を押している写真ないですか」「皆さんで分解の作業をしている写真はありませんか」って聞かれる中で、やっぱりそういう興味のない人に興味をもたせるために、ストーリー仕立てにしないといけないなって思いました。

―キュレーターが、ある意味くろがね四起の従来のターゲットとは全く違う人だったことが良かったんですね。

小林: そうです。1.2回やりとりして気がついたのは、キュレーターが「面白い、行きましょう」って言ってくれたらオッケーだし、ダメって言われたら諦めた方がいいのかなって。ある意味途中からリトマス試験紙的な感じに考えてやりとりをしていました。

―リターン設計を悩む人が多いのですが、どういった形できめていったんですか

小林: 私もすごく悩みましたね。他のプロジェクトを見まくりました。成功したプロジェクトで似たようなものをいっぱい見たんです。ただこういう社会貢献系のプロジェクトのリターンって、自分が参加したっていう証だから、あんまり気にしすぎなくてもいいんじゃないかなと。プロジェクト自体を成功させることが支援者に対する一番の恩返しなんだと思うんですよね。

―途中経過の報告を大事にされているんですね。

小林: そうですね、目標金額を達成した後も最低1ヶ月に1回は投稿をしています。くろがねは「あの部分はこうなっていた」みたいに推理していく話なんでそれを共感してもらえたらと思っています。もちろん映像や本にして残すつもりなんですけど、リアルタイムで一緒に感じてもらえるのがいいかなと。

Story 3.

くろがねの設計者の
ご子息にも広がった支援の輪

―公開後、広報はどういった活動をされていましたか。

小林: くろがね四起を支援しようとする方はお年寄りが多いんですよ。だからインターネット環境がないひとが多いので、紙のパンフレットを 1万部刷りました。それで例えば静岡ホビーショーとかプラモデル屋さんとか興味をもってくれそうな場所にばらまきましたね。その紙に書いたのは、インターネット環境がない人は、息子さんやお孫さんにこの紙をみせて欲しいと。怪しい者じゃないってことを理解してもらって、書いてあるやり方通りに、アクセスして支援をしてくれっていうことです。やっぱり「支援したいんだけど直接お金を送っていいか」っていう電話の問い合わせが多かったんです。それを一切受け取らなかったです。これは零戦の実行者の方とも話をしたんですけど、 Readyforでやる際には絶対に現金でもらわない、と。なんでクラウドファンドを自分がいいかって思ったかというと、客観性のある第三者機関なんですよ。だからお金の流れを透明に見えるようにしてくれるっていうのが一番大事だと思ったんですよね。

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―ここでもキュレーターからのアドバイスはあったのですか。

小林: キュレーターから言われて、すごくそうだなって思ったのはメールで一斉送信するよりも、直接お願いしに行くか、電話でもいいので告知をすべきだということ。「今日からクラウドファンディングを始めたので応援をお願いします」っていうのを馬鹿正直に100件くらい電話しました。パンフレットも送れるところは送って、持っていけるところは持って行って。そういうような感じで、「直接伺って、やっていることを説明すると全然反応が違いますよ」っていうのが、キュレーターに言われてその通りにやって良かったことです。

―実際、支援者の皆さんはどんな層だったのですか。

小林: 一番おもしろかったのは、くろがね四起の設計者のご子息が支援をしてくださったんです。ただこの方の大学生のお孫さんがが怪しい組織ではないかと疑ったみたいで、その後、御殿場にお孫さんの運転で来訪してくれたんです。それでくろがねの現車を見て、お孫さんも納得。追加でもう一口くらい置いて行きたいと申されたので、帰宅後にページ上でで追加支援をお願いしました。しかも帰宅後お礼の電話を頂けて、なんでもお孫さんとそういう思い出話をするのはほとんど初めてだったみたいなんです。

―まさにインターネットならではの広がりですね。

小林: そうですよね。だからReadyforが成立して、レストアするまでの2ヶ月くらい展示していた時に大学生のお孫さんの運転で、さきほどの方がいらして、そういうのがいいなって思いました。他にもくろがね四起を製造していた日本内燃機に勤めていた方のお孫さんやご子息さんの名義で「親父に頼まれて支援しました」ということは何件かありました。

―広報活動を続けていく上でモチベーションはどういった所にあったんですか。

小林: 自分の場合はとにかく使命感がありました。軍事技術っていうのは技術の中で一番とがっていて面白いもの。それなのに日本に博物館がないから、つくろうって決めてやっている過程なので、やりきらないといけない。この博物館をつくろうって話は、出たり消えたり出たり消えたりで、自分も過去に2回くらい携わったけれど、うまくいかなかったんです。それで、今度は自分が旗振り役になったから、なんとかしたいっていう想いがあります。自分は自営業だし、ビジネスマンだから、出来ない青図面ではないのだけれど、五分五分くらいの感じでやっているんですね。自分は経営者として「勝ち残る」ではなく「生き残る」っていう哲学をすごい大事にしています。生き残るためにはあきらめないで最後までやっていってたら、結局なんとかなるんですよ。だから当たり前のことをずっとやり続けるってことなんじゃないですかね。70年前の車のエンジン音聞いてみたいじゃないですか。20年後、30年後、自分がもしかしたら死んでいるかもしれない時に、次の世代の子達に残せていけたらと思うんです。

Story 4.

クラウドファンディングは
仲間と共にやるべき

―クラウドファンディングをやった後で良かったなと思うことは?

小林: メリットはやっぱり多くの方に知ってもらえるということ。Readyforが情報発信をやってくれたおかげで色んなメディアに取り上げてもらえたんですよね。情報の広がり方っていうのは、自分ひとりでTwitterをやるのとは比較にならないほど多重に広がりましたよね。あと支援をしてくださった方たちが、変な言い方なんですけど、自分がお金を出すことで責任が発生するっていうかね。最後まで見届けようと思うみたいで、メールを時々くださる方もいれば、イベントにくろがね四起の支援Tシャツを着てきてくれるんですよね。そういうところはすっごい嬉しいですよね。やっぱり人のつながりっていうのをすごい感じました。ある種大学のサークルみたいに、偶然での出会いがいっぱいありました。

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―将来の実行者の方へのメッセージをお願いします!

小林: やっぱり実行者としてはビジネスモデルとしてやっちゃいけないと思います。本当に自分がやりたいことなのかどうか、他にも望んでいる人がいることなのかどうかってことだと思うんですよ。他にも望んでいる人がいたら応援してくれるわけだから、そこの見極めっていうのはすごい大事だと思うんです。だから1人で考えて始めちゃダメです。うちの場合はたまたまNPOっていうのがあって、今も一緒に動いてくれる仲間がいて、「クラウドファンディングっていうのがあるんだけど、どう?」って上は70のお爺ちゃん、下は大学生までに説明してみて反応をみることが出来ました。だから「だったらいけるかな」っていう実感をもってスタート出来ました。自分1人で考えないで、やっぱり仲間とやるべきだと思いますよね。そうしないと例えばリターンの発送とかもすごい大変だと思うんです。実行者は1人で責任をもってやるとしても、相談できたりする相手がいるといいですよ。だからアドバイスするとしたら、仲間と一緒にやるべき、ということを伝えたいです。 ―ありがとうございました。


文:江藤遥平/写真:本間悠暉

※文中の記述はインタビュー当時の内容です。

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