ましき夢創塾・塾長の今村亮です。クラウドファンディングについていただいたご質問にQ&Aするコーナーを始めることにしました。第一弾はこれです。

 

「熊本地震直後って現場はどんな様子だったの?何がいちばん怖かった?」

 

はじめの地震がきたとき僕は東京にいて、まさかこんなことになるとは想像していませんでした。熊本の家族からもすぐにLINEが返ってきたので、余裕ぶって過ごしていました。


しかし翌晩、二夜連続で震度7地震が熊本を襲ったことを知ると、さすがに正気ではいられませんました。もしかしたら三夜連続もありうるのではないか、と。
 

熊本地震最大の恐怖は”夜”でした。

安心して寝静まってから襲いかかる、連夜の地震の恐怖。二夜目の発災直後、崩れ落ちた建物にはパジャマ姿の人々が多数取り残されました。


(一階がつぶれたマンション 撮影:今村亮)


気象庁の報告によると、なんと2週間で発生した余震は3024回!!


あの頃の熊本にはたくさんの噂が流れていました。


「火曜日に3回目の震度7がくる」
​「この形の雲が出ている日は地震だ」
「余震が30分おきに3回きたら震度7がくる」
「動物園からライオンが逃げ出した」


今となっては馬鹿らしい噂ばかりですが、あの頃はみんな本気でした。Twitterで、LINEで、そして避難所で、いたるところにかけめぐる噂を必死になって集めていました。すべては誰かを守るために。
 

その必死さを煽ったのは3024回の余震です。まるでスマホのスヌーズ機能のように人々の不安感を覚醒させ、街全体をノイローゼに陥れていました。

あの頃は、昼間は自宅や職場で復旧作業に励む人々が、夜になると次々と車に乗り込みました。車中泊や避難所に出向くためです。学校の校庭などは車中泊を望む人々のために開放され、いつもは子どもたちが遊び回っている場所がすぐに車でみっちりになりました。

いつ崩れ落ちるかわからない夜の恐怖。一時は一万人が避難所や車中泊を選びました。

 

あれから一年半。熊本地震からくるPTSDの多くは、不眠の症状をともなうと言います。子どもたちにもその症状は見られ、学校には保健室の養護教諭やスクールカウンセラーの追加配置が続いています。


しかし肝心なのは夜なのです。仮設住宅に住む子どもたちに、安心安全な夜の居場所を届けるための公的措置はありません。


ましき夢創塾を立ち上げ、クラウドファンディングでの存続にかけたひとつの理由はここにあります。


(仮設住宅団地のましき夢創塾で学ぶ子どもたち)

次回は「なぜ益城町での支援を選んだのか」という質問にQ&Aしようと思います。何でもお答えしますので、どんどんご質問ください。

文責:今村亮(ましき夢創塾・塾長)

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