プロジェクト概要

 

歌には翼があり、その翼は、どこまでも遠く子供たちを導き、

希望まで繋ぐことができる―――

 

南相馬と杉並区の子ども達による音楽劇

「ぼくらの地球 まんまる革命~みんなのうた~」を開催します。

 

 

はじめまして。私はこのミュージカルの曲を作っています、田中菜穂というものです。

南相馬が元気になるようにと思いを込めて作った「みんなのうた」という歌。
この歌を通じてもっと多くの子ども達が笑顔になってほしい、

その思いから、杉並区と南相馬の子供たちによる「音楽劇」ミュージカルを作ることになりました。

そして、今年の9月、杉並区でミュージカルを開催いたします。

 

 

引き続きご協力のお願い

 

 

皆様の温かいご支援により、本プロジェクトの目標金額は到達いたしました。
しかし、本公演を前に、まだまだ資金的には厳しい状況です。
実際に本プロジェクトに必要な資金は450万円。
このREADY FORでお願いさせていただいた金額の100万円というのは、
全体の1/4程度の金額です。
南相馬キャストの移動費などがほとんどですが、実際には、それ以外に、
合宿費用、練習室のレンタル料、東京からの講師の交通宿泊費、など、
本公演を開催する前に必要な資金がたくさんありました。


いままでは、それらを全て、持ち出しで運営して参りましたが、
本プロジェクトを一過性のものに終わらせず、
来年の南相馬での開催を目標に継続させるには、個人の負担のみでは継続させてゆく事は困難になって参りました。
READY FORの終了まで、あと数時間となりましたが、皆様からの温かいご支援、あと一息、いただけますように、心からお願いいたします。


9月15日。南相馬と杉並の子ども達が、キラッキラの笑顔で、お互いの友情を深め合う脚本を演じ、そして「みんなのうた」で会場が一つになれる瞬間。
きっと、奇跡のはじまりです。
これで終わりではなく、ここから始まるプロジェクトになれますように、
皆様からの更なるご支援の程、よろしくお願い申し上げます。

 

 

子供たちの練習風景

 

南相馬に住む子ども達に「夢」「希望」を見せてあげたい
そうすればもっと「憧れ」を持てる町に変わっていくと思います。

 

今みなさんの目には「被災地」はどう見えていますか?
福島県南相馬市小高区の立ち入り制限の解除
浪江町の立ち入り制限解除

徐々に動いている町の姿は まだ、始まったばかりです。

被災地の皆さんは、日々の生活に一生懸命で、大変な日々を過ごしています。


 しかし、せめてその中でも子ども達が笑顔になれば、未来の南相馬はもっと明るいものになる。いきなりは無理だとよく言われますが、舞台を経験した子達が、南相馬で育ち、そしてゆくゆくは自分たちの町を元気にしてくれる。

そう信じてます。


そして、ほかの地区の子供たちとミュージカルをすることで、全国に同じ歌を歌う仲間が大勢いるという事も子供たちに実感してほしいと思います。
 

子供たちの様子を見ると、楽しかった!大変だぁ!とか色々ありますが、「やめたい」「嫌だ」って言葉がでてきません。毎週の稽古を本当に楽しみにしているようです。
「次はなにやるの?」好奇心たっぷりで言ってきます。
もちろん、たまにはハードな踊りもしますが、みんな「なんだよぉ!踊れないし!!」って言いながらも頑張ってます。

 

 

 ミュージカルの練習風景

 

 

「自分のうた」でなく「みんなのうた」をつくる。

そこからすべてが始まりました。


2011年 震災後に津波で野球道具を流されてしまった子ども達に、災害協定を結ぶ杉並区の少年野球チームから、南相馬の少年野球チームへ、少年野球のバットやグローブを送る活動が始まり、私もこの活動に携わりました。

 

その活動の途中で、パン屋さん「パルティール」の店長、只野さんと出会い、たくさんのお話をお聞きしました。

 そのなかでも原発事故の間も避難所などに無料で毎日パンを運び続けた「パルティール」の只野さんの活動を聞き、私は深く感銘を受けました。


また、「南相馬は、大丈夫ですよ〜」と只野さんはよくこちらを気遣ってくださいました。

テレビの中で放送される南相馬の状況と、電話口で語りかけてくれる優しい只野さんの口調のギャップに、「本当は大変なのに・・・」ととても心が痛かったです。

南相馬に残り、日々を穏やかに暮らそうとする只野さんらの決意に私は本当に感動しました。

右が只野さん、左が田中です。

そこで私は、少しでも只野さんの力になれるよう「パルティールのうた」を作り只野さんにプレゼントしました。

只野さんは「パルティールのうた」を様々な場所に持っていき、流してもらいました。

 

そして8月、徐々に市民が戻り始めた南相馬市で、様々なところで耳にする「パルティールのうた」に、子ども達が踊り、口ずさみ始めた、と只野さんから連絡をいただきました。


震災から8ヶ月後の11月。

私たちが歌いにいったとき、会場には70名余りのお客さんが溢れていました。
「パルティールのうた」を歌う人が来る、というだけで只野さんが声をかけてくれた人たち。

その人たちが、震災後、塞ぎきってしまった心の栓を、はじめて解放したかのように、次々と自分たちがマイクを持って歌い始めました。

東京からのミュージシャンもその歌声に合わせ伴奏をし、おおいに盛り上がり、最後は70余名全員がステージにあがり「パルティールのうた」を歌いました。

中には、泣きながら歌う人もいらっしゃいました。
 

「やっと、泣けたよ、ありがとう」
「震災後、はじめて歌ったよ、ありがとう」
「来てくれてありがとう、また来てね」

 

そのような言葉をいただき
自分のうた、ではなく
みんなのうた、を作りたい

そのように強く思うようになりました。

 

そして、

3か月後の6月、「みんなのうた」をレコーディング。

7月にはライブが行われ

8月にはCDを1000枚制作しました。 
  

10月には、市民達の手で造り上げた公園のオープニングイベントで300人の市民と「みんなのうた」を歌い
  

11月には杉並第四小学校のこどもたちが「みんなのうた」を大勢で踊ってくれました。
 

 

そして、2013年3月

ミュージカル実行委員会が、杉並にて結成しました。

 

高円寺大道芸フェスティバルにて、みんなのうたを歌いました。

 

杉並区からこのミュージカルを通じて、たくさんの子ども達が南相馬を訪れ、共に「みんなのうた」を歌い、踊る企画を、継続的に続けていきます。


来年は是非、南相馬での開催を目指しております。

また、南相馬、杉並だけの上演ではなく、希望される場所があれば、遠征して
本ミュージカルを上演しにいくことも視野に入れています。
 

 

 

沢山の人の応援のもと、「みんなのうた」がミュージカルになっていきます。

 

最初は、私の個人的な動きから始まった事で、賛同してくれるミュージシャンが4名、という少人数から始まりました。単に個人的な動きから始まった事でしたので、予算的には大変厳しく、個人的な持ち出しの金額では続ける事が困難で、募金を集めたりしながらの、低予算での活動でした。

 

 そこから、南相馬で「パルティール」や「みんな共和国」「はらまち交流サポートセンター」の方々出会い、その縁から杉並区役所の方々、杉並第四小学校、杉並第八小学校の子ども達、先生方、校長先生、高円寺商店街、そして、杉並区教育委員会と、繋がって参りました。

 

 そのうちに「みんなのうた」で繋がり始めた、杉並区と南相馬の人々が、いつか同じステージで、一緒に歌いたい、という願いを私に伝えてくれました。

 

 その「願い」を叶えるため、こどもたちが共に同じステージに立つというミュージカル形式のイベントを企画するに至りました。

 

 大きな後ろ盾や、大きな営業媒体を一切使わず、草の根だけでこの曲に出会ってくださった人たちに支えられ、純粋に「みんなのうた」で南相馬を応援したいという意識をもった杉並区の方々に支えられ、一歩一歩進んでいます。
 

じゃぶじゃぶ池でみんなのうたを歌いました。

 

 

もっと多くの子ども達に、ミュージカルに参加して楽しんでほしい。
どうか皆様のご支援をよろしくお願いします。

 

ご協力いただいた方には下記の商品を持ってお礼とさせていただきます。


缶バッチ

 


 手作りミサンガ*写真はイメージです。

 

オリジナルTシャツ

 



当日公演DVD

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 


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