小説好きのあなたに未発表の作品を届けたい。

■難なく英語を使いこなす人材を小樽に。そして北海道に送り出すのが我校の建学の情熱。それは昭和四二年から今も続いています。

　当時の小樽はニシンが獲れなくなって久しく、石炭産業の衰退もあり、明治中期から続いてきた繁栄の勢いが弱まりかけていました。それでも広い運河にはハシケが頻繁に行き交い、停泊しているハシケの上からチカが沢山釣れていました。日ソ貿易の中心地・木材の積み出し・サハリンとの定期航路・北洋船団の基地等による活気が街の至る処に漲っていました。少し魚の匂いが香る活気でもありました。人口は二一万人余り。

　我校の原点は英語力です。ＴＯＥＩＣ七三〇点は公立高校教員採用試験合格の水準。簡単ではありません。しかし、これは卒業時の最低基準。到達目標を八四〇点に据えました。無茶苦茶高い。けれども二年間、英語漬けの毎日（入試合格の後の春休みからスタート。夏冬の休み大半を英語のトレーニング）を過ごすなら八四〇点は可能と主張する若い教員の熱意に押され、私も必ずや、取らせてみせると決断しました。しかしながら一生懸命勉強し、英語に親しみ、目標に到達するのが我校の使命なのか、社会的役割として充分なのかとの壁にぶつかります。ＴＯＥＩＣ・ＴＯＥＦＬの点数を上げるだけなら専門学校でも力ある英会話スクールでも可能でしょう。

　原文の誌的感性を毀損した無残な直訳に私達は幾度となく出逢っています。英語の達人が陥りやすいのが直訳。そこから脱皮するには自分で考える力を身に付けなくてはならない。学問に接近しなければ達人止まり。決して超人にはなれない。永遠に英語で考えられない只の使い手に留まってしまう。本学の存立理由は此処なのです。

 

　二十四年前に私は国際関係論の外書購読ゼミを選択しました。名物先生が巨岩のように屹立し、私も周囲の学生達も畏怖していましたが、人気があり、一〇名の枠に五〇名以上の応募がありました。それでゼミに入るのに試験。課題は『国際連盟発足の諸要因』。もちろん英文での提出。英語が苦手な私は日本語で訳の分からないことを綴り、駄目と諦めていました。何故か合格。友人には日本語で小論文を書いたとは言えませんでした。

　週二回の授業はＥ・Ｈ・カーの『ナショナリズムの発展』。

　原書一〇ページほどの和訳が講義の始まり。順番に受け持つも、みんな、訳するのが精一杯。何が書かれているのかはチンプンカンプン。私も同じでした。私の番が来ると英文科に進んだ高校のクラスメイトの力を借り、非の打ちどころのない和訳が完成。ホッとしている私に「タカハシ君。今日のテキストにはＦｕｎｃｔｉｏが五回も出てきた。ここでのＦｕｎｃｔｉｏｎの意味は何か」と先生がいきなり問うのです。

「え～と。エ～ト。え～と。欧州で二度と戦争を起こさない。再び戦争が勃発した時には第一次大戦以上の惨禍に見舞われる。またも帝国主義が世界の覇権を争って大変なことになる。それを未然に防ごうととして話し合いで解決しようと言うのが国際連盟の機能」

　先生は私の愚答に明らかに苛立っていた。

「話し合いでまとまらなかった時、国際連盟はどのような役割を果たそうとするのか、その問いかけがここに書かれている。Ｆｕｎｃｔｉｏｎが分からなかったら読み下したとは言えないのだ」と席を立ち鬼の表情で教室を出て行ってしまった。                                          　　　          　

　私を始め、皆がうなだれていると再び先生がドアを開け、「みんな心配しなくて良い。私も未だに分からないのだから」とウィンク。「分かったら手紙を頂戴ね」。

　私は『優』だった。しかし本物の『優』ではないと想い続け、一〇年後に、今度は自力での英文（友人である英語の達人に添削してもらったけれど）を先生に送りました。

『国際連盟はもとより国際連合も強国のポリティックスパワーの前には無力だった。それは何時の時代であっても変わってはいない。その調停機能には明らかな限界がある。しかし局地戦であっても戦争を起こさない機能を模索し強めていかなければならない。これは終わることのない運動であり精神のリレーである。これが人類の理性である。最も重要なのは理念あふれる憲法を有している日本と日本人が世界の恒久和平に向けてどのような取り組みを続け何を実現してきたかであろう。残念ながらアメリカの核の傘の下で安寧を満喫しお題目のように平和と民主主義を唱えているだけである』

　ヴェトナム戦争が終わり冷戦も然り。しかし戦争の火種は中東に残っていた。しばらくして学長の署名入りの二重丸の『優』が届き、先生からは「頑張ったね」と、ひと言が添えられていました。嬉しかった。ようやく本当の『優』を頂戴した気分。

　早くからユーロ圏成立を予言していた先生は三年前に他界しました。さぞやアメリカが造りだしたグローバルスタンダードを苦々しく思われ、とても無念だったと思う。私は長い時間を費やしてしまったけれど英語を通して、世界と、世界の中の日本。そして日本人と、自分の非力と向き合えました。こうした僥倖を我校の門を叩いた学生達に体感して欲しいと願っています。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

　本校には二年間でＴＯＥＩＣ七三〇点を保証して余りある英語教官や、就職できるまで面倒をみる伝統（家族的）があり、来春も一〇〇％の就職率を実現しようと意欲を燃やしている古参の教職員の存在が心強い。この気風は卒業しても学生達からの相談に親身に応じるに繋がっています。また小樽の歴史を知ると北海道の成り立ちは八割方学べると云う立地条件にも恵まれています。英語を切り口にした、大学たる所以である教養課程の充実や、経済経営の基礎を身に付けるカリキュラムも整えました。それと来春には「心を鍛える」を主題とした文学部（四年制）を開設します。これは来春の受験生との約束です。

『誰にも敗けない強い力をひとつだけ持て。来たれり我が学び舎へ』■

 

   Ｒｅｉが言っていた。

「俺は何時か、必ず、力のある優れた奴とぶつかり合う。その時に敗ける訳にはゆかない。正々堂々と勝たなくていけない。勝てない時には最悪でも引き分けに持ち込まなければならない。そうでなければ俺が抱えている組合員へのＲｅｓｐｏｎｓｉｂｉｌｉｔｙを全うできない。だから心を鍛え、俺のポテンシャルを引き出し昇める筋トレを続ける」

　この集積が『誰にも敗けない強い力をひとつだけ持て』なんだ。

   Ｒｅｉらしい強烈な一文。

   探偵社の所長が檄文と言った通り。

　Ｒｅｉは今も社会と戦い、自分とも闘っている。大病しても、死線を彷徨っても、Ｒｅｉの気力は衰えていない。大病から生還した時に労働組合を清算したのだ。わたしへの音信を絶ったのも大病なんだ。時系列で考えると辻褄が合う。死線を彷徨っている時もＲｅｉは独りだったのだろうか…。独りとは考え難い…。誰かが心配して寄り添って居たに違いない。必ずやオナゴ。誰なんだろう…。

  Ｒｅｉも『精神のリレー』を使っている。

『Ｓｐａｎｉｓｈ　Ｄａｎｃｅ』読んでくれたのだろうか…。

『Ｔｕｒｎａｒｏｕｎｄ　Ｍａｎａｇｅｒ』は初めての単語。『Ｔｕｒｎａｒｏｕｎｄ』とは方向転換。『Ｍａｎａｇｅｒ』は管理運営責任者。併せると方向転換を司る者に落ち着く。これは事業再生に係る専門用語。調べると「事業再生とは窮境に陥った企業や各種法人の業績を短時間にＶ字回復させ立て直す取り組み」。

　造語された単語の意味がだいたい分かった。

　短大と『ＴＭＡ』のサイトを開く時には手が強ばった。長らく逢っていない恋人との再会のよう。けれどもわたしは捨てられた女。女々しい、未練がましい、を振り切るにはかなりの力を使った。

　わたしは嫌われたとは一度も想わなかった。Ｒｅｉが自分の事情で一方的に音信を断ったとしか想わなかった。それでも捨てられたことに変わりない。立ち直れないほどの衝撃。

　Ｒｅｉはわたしをパートナーと捉えていなかった。それが残念で口惜しかった。わたしは湘南に生まれ育ったお嬢さん。Ｒｅｉの認識だけが、沈黙の下、伝わってきた。

　Ｒｅｉはパートナーを必要としていなかったのかも知れない。写真週刊誌の中にＲｅｉを発見してから、それが芽生えた。Ｒｅｉの裡では愛隣地区潜伏は想定内。

　わたしはどうなのだろう。パートナーを求め、その存在を必要不可欠と想っているのだろうか。分からない。分かるのはわたしの全てを受け止め、受け入れ、わたしだけを見つめ、寄り添ってくれる安心が欲しかった。わたしはそれをＲｅｉに求めた。

　Ｒｅｉはわたしに何も求めなかった。

　短大と協会のサイトには写真が載っていた。短大の屋上で撮った写真。遠くには小樽の港が写っていた。Ｒｅｉは紺のダブルのスーツを着こなし腕を組んで上方を見つめていた。気迫と渋さが同居。協会は顔写真だけ。紺のソフトスーツ。二枚の写真ともネクタイは濃紺に赤黄青の水玉模様。わたしのクリスマスプレゼントだった。顔が少し右に傾いていた。検索した者に話しかけようとしている。そう思った。愛隣地区の匂いをまったく感じさせないＲｅｉの写真。わたしの記憶通りの写真。最後の逢瀬から随分と時間が経った。Ｒｅｉは痩せ、少し老けた。それでも若々しいけれど時間は嘘をつかない。誤魔化せない。そう云うわたしも三十路をとうに過ぎていた。

　わたしもＲｅｉも同じ時間だけ歳を重ねた。Ｒｅｉにもわたしにも様々な試練が訪れ襲ってきた。わたしはわたしなりに一つひとつと向き合い逃げなかった。姿を隠して、試練と闘い続けたのがＲｅｉの六年。孤立無援を恐れないＲｅｉ。わたしは周囲の人達に感謝する六年。この違いは大きい。どちらが幸せな時間を過ごしてきたのかは一目瞭然。わたしは写真に語りかけた。

「Ｒｅｉ。無茶はダメ」