インドネシア社会に貢献するビデオを学生たちが作ります。
スマラン事件のリサーチ(軍事博物館にて)
5月2日(月)はメーデーに引き続く「スマラン市の日」です。
今日は軍事博物館にスマラン事件を勉強に行きました。
スマラン事件で亡くなった方々を追悼する記念碑の横の博物館
「スマラン市の日」の今日は、市内あちこちで大渋滞。学生達が到着したのは
予定を1時間も遅れた午前9時でした。
説明してくれたガンドゥンさん。(58歳)
でもガンドゥンさんは、説明原稿を繰り返し読んで待っていてくれました。
「インドネシアの独立を願う住民と日本軍との戦いがこの付近でありました。
竹槍しか持たない住民に対して日本軍は圧倒的な武器を持っていました。
多くの住民が日本兵によって殺害されました。」と説明が続きます。
スマラン事件は、連合軍に降伏した日本軍の武器を独立運動に使うために
インドネシア独立運動派が武器引渡しを要求したことから始まります。
インドネシアを植民地にしていたオランダを含む連合軍は、進駐までの間
市の治安を維持すること、日本軍の武器はインドネシア住民に渡さないことを強く指示していました。またこれは、国際条約でもありました。
日本軍の軍政の下に独立を目指してきたインドネシア独立派にとって
日本が戦争に敗れ、再び支配者オランダが戻ってくるのです。
何としても戦って独立をしたい。そのためには武器が必要なのでした。
独立運動派の中でも共産党の過激派がやがて実権を握ったスマランでは
日本人を拉致・監禁して資産や武器を掠奪し始めます。この動きを察知した
日本軍は、治安維持の為に武力鎮圧に乗り出し、5日間で作戦を完了します。
この抗争が「スマラン事件」または「5日間戦争」と呼ばれているのです。
日本軍の武器引渡しを巡っては各地で似たような対立が起こりました。
しかし、スディルマン将軍の尽力で、多くは流血の事件に至りませんでした。日本側とインドネシア側を合わせて数百人を超える死者を出したのは
スマランだけでした。
ガンドゥンさんは「ここで住民が何十人も、日本兵によって首を切られました」と話します。でも、彼は58歳ですから、1945年には生まれていません。
つまり「伝聞」なのです。しかし信憑性は高いかもしれません。
今後の予定は、スマラン事件に関する日本側の資料を読んでもらうこと。
また、長年この事件を研究しているJICA日本語教育ボランティアで
この企画の共同提案者である小田謙爾さんのレクチャーがあります。
スディルマン将軍の胸像
放送に携わる者の仕事は、物事の正否を判断することではなく、
事実を正確に、100年後にも伝えることです。
ただ、「事実を見極める」のは、なかなか難しいことですが。
リターン
3,000円
上記に加えて鎮魂碑へのご芳志報告子供たちの手洗い推進運動ビデオロンボク島の美観ビデオ集
ビデオ映像による、制作担当学生と子供たちのサンクスメッセージ。
※ネット上にUPして、ご協力いただいた方にパスワードをお知らせしてご覧いただきます。
上記に加えて、スマラン市郊外の「鎮魂の碑」の前でお名前を読み上げ、犠牲者の霊に芳志を報告します。また、ネット上で島の美観ビデオと歌に合わせた子供たちの手洗いビデオが視聴できます。
- 支援者
- 8人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2016年6月
7,000円
上記に加えてスマラン事件概要ビデオ
上記に加えネット上でPOLINES学生によるスマラン事件概要ビデオ(約15分)の視聴ができます。
- 支援者
- 1人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2016年9月
10,000円
上記に加えてロンボク島のお薦めスポットビデオ(お薦めスポット示した地図贈呈)とインドネシア渡航時健康管理情報「スマランの悲劇はなぜ起こったか」贈呈
上記に加えて、JICA観光ボランティアによるお薦めスポット解説ビデオ(お薦めスポット地図贈呈)とJICA看護師ボランティアによるインドネシア渡航時の健康管理情報をPC上でお知らせします。また、河合正雄氏著『スマランの悲劇はなぜ起こったのか』(非売品)を差し上げます。
- 支援者
- 5人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2016年9月
30,000円
上記に加えてスマラン事件証言ビデオの視聴
上記に加えて、ネット上でPOLINES学生作成のスマラン事件証言ビデオの視聴ができます。
- 支援者
- 1人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2016年9月
50,000円
上記に加えてスマラン市内のホテルMGSuitesの宿泊費10%OFF
上記に加えて、一年以内にスマランを訪問される方に、市内のホテルMGSuites宿泊料10%割引。
- 支援者
- 1人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2016年9月