こんにちは。NPO法人Ubdobe(ウブドべ)代表の岡です。 

私は日本で生まれ、アメリカで幼少期を過ごし、ヒップホップやパンクなど音楽まみれの人生を送ってきました。 

高校時代は毎日毎日ライブハウスに通い、モッシュピットの中にいました。 

大学時代は毎日毎日バイト先であるDJバーで朝まで過ごし、荒れた生活をしていました。 

 

そんな頃、僕の音楽狂いを唯一認めてくれていた母親が「がん」になり入院しました。 

オーマイガッ!マジで?ずっと毎日一緒に生活をしていたにも関わらず、痩せていく母ちゃんの病気に気づかず、僕はただのうのうと生きていました。 

そして母親ががんだと分かった後も、どこか余裕を感じながら生活をしていました。なぜならば、がんというものが人を死に至らしめる病気だと感じていながらも実感としては自分の母が本当に死ぬだなんて思えなかったのです。 

おそらくその原因の一つが、がんを「知らない」からということでした。その恐ろしさも病気の改善方法も、なぜなるのかも、知らなかった。そして知ろうともしていなかった、さらに言い訳をさせてもらうとクラブやライブハウスに入り浸っていた20歳の僕の耳や心に、そういった医療の情報など入ってくる気配もなかったのです。興味もないし、そういった情報が伝達していく仕組みもない。教科書には載っているかもしれないけど、大半の若者はそれらをテストに出る項目として丸暗記してテストが終わったら忘れるということを繰り返していたのです。 

で、結局は入院してから半年後にそのまま母を亡くしました。 

僕を生み、育ててくれた母親が自分だけではどうしようもなく苦しくて悲しくてどうしようもない孤独の闘病生活を送っている時に俺は何一つしてあげることができなかったのです。 

僕の一生の後悔が始まりました。痩せゆく母に気づきもせず、入院してからもその重大さに気づかぬ愚かな自分を責めました。恨みました。 

 

それから3年ほど経って、僕がサラリーマンになって数年過ぎた頃に祖父(母方の父)が認知症になりました。一緒に食事をしている時におかしな発言をするようになりました。「お前、肩に兵隊がいるぞ!」とか「冷蔵庫の後ろに誰かいる!」とか。僕は25歳くらいだったかな。 

そんな祖父を見て、当初僕は「あーボケちゃったんだねー」くらいにしか思っていませんでした。しかし次第に症状は悪化し、家の外に出て徘徊し警察のお世話になることも増えてきて、ばあちゃんの負担が重くなりすぎることを懸念して病院に入院させました。 

祖父は「レビィ小体型認知症」でした。後々調べて見ると、その初期症状には「肩の上に兵隊が見えたりすることがある」としっかり書籍にも書いてあるではありませんか。知らないよ!そんなこと誰も教えてくれなかったよ!!もっと早くに知っていれば、症状がひどくなる前に対策を立てれたかもしれないのに!なんだよ!!とまた母親の時と同じように「知らない」ということで自分の大切な家族に対するアクションができなかったことに責任を感じ始めました。 

けど、まだ生きている。じいちゃんはまだ生きている!! 

 

僕は会社を辞めて、音楽療法の専門学校に通うことにした。昔からmusic loverだったじいちゃんとは色々な音楽を一緒に聞いた。音楽で少しでもじいちゃんの症状を緩和させたかった。同時に、もっと医療や福祉について知らなければならないと思い、高齢者介護と障がい者支援の事業所でアルバイトも始めた。 

福祉業界に入って様々なことが僕の身の回りで起き始めた。 

音楽療法の実習で行ったとある離島の障がい者施設は「社会的な受け皿がない」ためにその島から何十年もの間出たことのない人たちがたくさんいた。訪問介護で僕がケアに入っていた脳性麻痺のおじいちゃんは8週間のうち外出したのはたったの2回だった。しかも眼科と耳鼻科だけである。自閉症の男の子の移動支援で特別支援学校から家までの送り迎えもしていたが、この子も色々な意味で社会から断絶された状態で生活をしていた。

 

なんでそんなことが起きるのか。みんなただ一人の人間として生まれて死にゆくという同じ条件で生かされているだけなのに、なぜこのような「差」が生まれるのか。

それは、、、「知らない」から。

またでた~、このキーワード「知らない」。

 

がんなんて

認知症なんて

障がい者施設なんて

脳性麻痺なんて

自閉症なんて

医療なんて福祉なんて

 

誰も知らないし、興味もないんだ。

そしてその「知らない」っていう状態までは自然なことだと思うんだよね。

だって誰も教えてくれないし。

 

問題はここからで。。。

「知らない」ことで起きることって、結局自分の後悔なんだよね。

これは断言できる。何度もこの後悔を味わっているから。

知らないことで家族を苦しめたり、知らないことで自分の選択肢を狭めたりしてしまう。

 

であれば、、、知ってたほうがいいじゃん!!

 

自分ががんになったらどうする? 

家族が認知症になったらどうする? 

生まれてきた自分の子どもが障がいがあると分かったらどうする? 

脳性麻痺の友人が温泉行きたいって言ったらどうする? 

自閉症の子と街で会ったらどうする? 

 

医療福祉って、本当はすんげ~~~~選択肢を広げるための宝庫で、自分や家族がどのような状態になったとしても、安定の日常とスリリングな非日常のバランスを取って生き続けるための素晴らしいツールだと思うんです!! 

 

だったらみんな知ってたほうがいいし、うまく使ったほうがいいし、その仕組みの中で何か思うことがあるのなら、それを変えようとすればいいと思う!! 

 

そして待ってるだけじゃなくて「医療福祉業界」ももっとポップに人々のライフスタイルの中に入り込んでいけばいいんじゃないの?って思う。難しい顔して待ってる時代はもう終わり!医療や福祉、大事なことなんだからもっともっと人に伝わっていくような仕組みを考えないといけないし、そうすることで人の幸せが増えるんなら最高じゃん! 

と思うわけです。 

 

心の底からそう感じた2008年から医療福祉×エンターテインメントなイベントやプロジェクトを展開してきまして、2010年にNPO法人化して今年設立6年目を迎えました! 

 

 

Ubdobeは全国に10の支部を持つまでに成長はしたけれど、イベントベースの展開なので、そのイベントを開催する前後はメッセージを発信できるんだけど、それ以外の時間が何かもったいないというか、もっともっとできることがあるんじゃないか?と思えてきたのです。

じゃー、いつでもメッセージを発信し続けているものって何だろう?って思った時にすぐに「店舗だ」って浮かびました。

思い立ったが吉日。よし、店舗をやろう!と思って動き出しました。

が、実は店舗をやろうと思ったのは初めてのことではなく、4年も5年も前からちょいちょい構想は描いていたわけ。

ずっとコンセプトや内装に関する企画書やメモを書き溜めてきたわけですが、実行に移してこなかった。

 

そんな僕の心を突き動かすきっかけとなったのが、子ども達との出会い。

昨年くらいから筋ジストロフィーや心臓病、先天性中枢性低換気症候群などのキッズ達や親御さんとの出会いが立て続けにありました。キッズ達は障がいや疾患を抱えつつも一生懸命最高にファンキーに生きていました。

 

その親御さんたちと話をする中で同じようなキーワードが沢山出てきたのです。

「娘の病気に関して相談できる人がいない」「障がいがあると保育園や学校を選ぶときに大きな壁がある」「行政の窓口に行っても具体的な話をしてくれない」「支援してくれる事業所の種類や数が多すぎてどこがうちの子にとって良い事業所なのかがわからない」このような話をたくさん聞くようになりました。

 

 

であれば、、、創ろう!クリエイション!ヤーマン!ということでショップを作ることを決意しました! 

しかも店舗名は、うちの事務局スタッフの娘の名前を引用。娘ちゃんがこれから先どんな状態になっても安心してすくすく成長できるような世の中を創ろう!的な意味合いね。(名前の由来は、またにでもゆっくり)

 

 

2016年7月7日のOPENに向けて、

ぜひ応援よろしくお願いいたします!!!

 

 

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