プロジェクト概要

プロジェクトの終了が報告されました

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7月25日追記

本日おかげさまで目標金額を達成いたしました!

皆様からのたくさんの応援とご支援をいただきまして、本当にありがとうございます! 皆様からご支援いただきました51万円は、ハリウッド渡航費に充てさせて頂きます。

そして今回、残り短い時間ではございますがネクスト・ゴールで19万円を追加させていただき、次の目標金額を70万円で再度走りだすことにいたしました!実は、VISAの関係で現地で働く事ができず、3ヶ月のアメリカの滞在費用(宿泊費や学費などを含め)は、最低でも100万円ないとかなり苦しい現状です。

渡航は目標額で無事叶いましたが、現地での売り込みなどの費用を考えますと約70万円は必要となってきます。達成したばかりではございますが、ハリウッドで最大限有意義な生活ができますように、どうか引き続き応援を頂けたら幸いです。最後の一押し、何卒宜しくお願い致します!

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近藤喜代市ハリウッド挑戦プロジェクト

 

はじめまして、俳優の近藤喜代市と申します。5年間舞台、テレビ、映画の端役をやってきましたが、俳優の道を歩み出した後も、歩み出すまでにも、様々なことがありました。そんな私がハリウッドへ挑戦するために、プロジェクトを立ち上げました。最後まで私の想いをお読みいただき、その夢の舞台へと一緒に歩み、応援を頂ければ幸いです。よろしくお願い致します。
 
 

アスペルガーと引きこもっていた頃

 
私には、アスペルガーという発達障害の可能性があります。それを認識したのも最近のことです。今では克服しましたが、長い間他の人との感覚の違いに随分と苦しみ、引きこもり状態を続けました。友人と連絡先を交換しても、1ヶ月経って互いにメールのやり取りがなければ不要と考え、削除していたので、その後、相手からメールがきても誰だか分かりません。家族とはリビングに一緒にいても、基本的に口を利きませんでした。
 
休日は外出しても、とにかく人がいない道を選び、1番お客さんがいない時に、飲食店に行き、DVDを借りて観て寝るのがお決まりでした。当時の私は親に甘えていたのですが、それに気づくこともなく不満だらけでした。なぜそうなったかを思い返すと、相手の気持ちを自分の妄想で決めつけて、愛情を受け取ることができないというアスペルガー特有の症状だったと、今は思います。自分の存在感をどれだけ消せるかにこだわっていました。
 
とにかく人が信じられなかった過去

 

役者の道を踏み出すことが恐怖でした

 
そのため、人前にでるのがとても苦手で、俳優を始めた当初はオーディションに応募すること自体がとても怖くて、会場に向かう途中に気分が変わり、帰ってしまうという行為を繰り返していました。オーディションでは吐き気とめまい、腰痛に襲われ、終わった後は脱力感で何もしたくなくなっていました。
 
演技のワークショップでは、他人に演技を見られていると怒りでキレそうになり、監督からは「君はなぜ俳優をやってるの?」とよく言われました。しかし、その中でも「君は正直でリアルな芝居をする」と評価されることもありました。「君は普通の役はできない。この世の枠にハマらない抜けた役が合っている」とよく言われました。
 
カメラが回ると時間が止まったような感覚を覚えます
 

偏差値34から滑り止めなしで青山学院大学へ

 
そうしたわけで、25歳になるまで俳優の道を踏み出す事ができませんでした。できれば人目を避けたい、しかし、成功したい。そんな矛盾だらけの想いがありました。
高校の時には、偏差値が34という劣等生だったため、周りの友人や家族から受験なんかできるわけない、と言われたのをきっかけに大学受験を志し、猛勉強の末、青山学院に合格しました。
 
しかし、反発心だけに突き動かされていたためか、入学後は何も目標がなくなり、腑抜けになりました。友人や家族、彼女でさえも心から分かち合える感覚を感じることができず、精神世界の本を読むようになりました。なぜ自分が生まれたのか、使命はあるのかなど、普通に就職して幸せな家庭を築くのではなく、何か霊的な大きな目的を探し始めました。
 
動物は無条件に好きでした
 

役者になると予言されました

 
そんななか、アメリカ人のアカシックリーディングの権威である方の個人セッションを受ける機会がありました。そこで、「あなたは俳優の道に進んだ方が良い」と助言されました。自分が用意した質問をする前にあっさりと言われ、頭が真っ白になりました。本来自分が進みたかった道を言い当てられ「やっぱりそうなのか」と思い腑に落ちました。セッションの翌日、勤務先に退職の意を伝え、演技教室に通い始めて役者の道に進むことになりました。
 
演技を初めて体験した時は声が震えました(笑)
 

約5年間、祖母の介護をしていました

 
高校生から大学生の頃まで、祖母が痴呆になり、介護をしていました。最初は簡単なもの忘れから始まり、同じ事を何回も聞く事が増えていきました。数年後には家を急に飛び出し、警察に保護されて帰ってくる日が続き、その度に私は警察に謝っていました。自分の部屋の扉を開けたら床に排泄物が落ちていたことや、リビングには排泄物まみれの祖母がソファに座っていたこともあり、黙って雑巾で掃除しました。
 
なかでも1番辛かったのは、私が誰なのかわからなくなったらしく、朝起きた時に「こんにちは」と言われた事です。晩年は週に数回ケアセンターに通うようになったので、抱きかかえて車まで運んでいました。最後まで看取れた時は、安堵と虚無感で一杯になりました。介護をやり遂げたきっかけとして、祖母に対する愛情と祖母にとてもかわいがられた記憶があります。私は昔、祖母から「あなたは曽祖父の生まれ変わりよ」とよく言われたものです。
 
祖母と私の幼少の頃の写真。手の位置が気になります

 

近藤家の叶わぬ想い

 
曽祖父の名前は喜代市。満州鉄道関連の事業を立ち上げ、一代で財を築きました。しかし、祖母が10代の時に急死してから、壮絶な遺産相続争いがあったらしく、一家は崩壊。葬式の写真を見たことがありますが、すごい人数が集まっている式でした。結局、16歳で祖母は親戚の家に預けられることになりました。
 
祖母の夢は女優になることでした。何回かのチャンスがあったらしいのですが、勇気が出ず、その道を進む事はできなかったそうです。私の母も、女優を志した時期があったそうですが、やはり諦めてしまったそうです。私の家系には、夢を成就できなかった血が流れているのを感じました。私がオーディションに向かっていく時に、体に表れる様々な抵抗の原因がわかった気がしました。
 
私は祖母から、曽祖父がどんなにすごいひとだったか、私がその血を引いていることをしょっちゅう聞かされて育ちました。私は急死した曽祖父の生まれ変わりとして、祖母から続く想いを叶えたいと思い、芸名を曽祖父の名前である「喜代市」とすることにしました。
 
自分の血統の歴史を知り、深く共感しました
 

ハリウッドスター早川雪洲を知る

 
日本人の中でハリウッドで成功した人はいないのかと探していた時に「早川雪洲」のことを知りました。彼はのトーキー映画の時代にハリウッドの頂点に立った唯一の日本人だったそうです。私は彼の軌跡を知ったことによって、ハリウッドに行こうと決めました。
 
彼は無名の状態で海を渡り、海外で成功しています。彼の東洋的な美しさと歌舞伎を思わせる佇まいは、海外の女性のハートをガッチリとつかんだそうです。日本で当たり前と思っているものは、海外では新鮮に見える。日本では異端と言われる芝居も、海外ではどう映るのか?と自分に問いかけた時、とてもワクワクしました。
 
加藤正憲氏撮影(2016年2月)
 

想いを果たしたい

 

曽祖父は裏舞台で活躍しながらも表社会では評価されていません。雪洲も海外ではスターとしてあれだけ大活躍したにも関わらず、国内ではそれほどには認められませんでした。私は、そうした2人の成就されなかった夢を、果たしたいと思います。歴史は想いで繋がっているのではないでしょうか。
 
私が自分自身の血筋の抵抗と向き合いハリウッドに挑戦していくことは、多くの人にとってあり得ない話と思われるかもしれません。私と夢を共有しませんか。皆さん応援してください。今の私には、皆さんの応援が必要です。ぜひ、ご協力お願い致します。
 
加藤正憲氏撮影(2016年2月)
 
◆使用使途とアメリカで実行すること
 
渡航費、宿泊費、演技学校費等に使わせていただきます。
そして語学学校に通いながら、アメリカの演技学校のワークショップやレッスンに参加し学びます。
舞台出演の際の集合写真、役者陣と(2014年12月)
 

◆お芝居が観れます

*作品はオムニバスになっており、私の出演シーンは30分前後から、最終章 (こころのこもったふぁっくゆー)
 
タイトル「過ぎ去りし、我々」 

 


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