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地雷は記憶を奪えない。カンボジアに平和な畑を残し、眠る仲間へ

高山良二 NPO国際地雷処理・地域復興支援の会代表

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地雷は記憶を奪えない。カンボジアに平和な畑を残し、眠る仲間へ

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目標金額を達成した場合のみ、実行者は集まった支援金を受け取ることができます(AllorNothing型)。支援募集は12月26日(木)午後11:00までです。

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プロジェクト本文

カンボジアとタイ国境のバッタンバン州、タサエン村。 内戦の最後の激戦区。

 

誰も見向きもしないようなカンボジアの小さな村で、私は村人から、「ター(おじいさん)」と呼ばれています。

 

自衛隊を55歳で定年退官した3日後、再びカンボジアの地へ戻ってきました。

 

 

 

見て見ぬ振りができなかった、カンボジアに残る地雷

 

「地雷の処理方法を知っているのにできない」その時のもどかしさと悔しさが、私をカンボジアへと向かわせました。

 

約26年前、PKO・国連平和維持活動のため、カンボジアに渡っていた私が所属していたのは、陸上自衛隊の施設科部隊。 自衛隊の任務遂行を目的とした道路や橋の建設をする部隊です。建設ルートに、地雷原があることも想定されるので、地雷処理や爆弾処理に関する高い技術を持っていたのです。

 

その任務中に目の当たりにしたのが、カンボジアの少年が落ちていた鉄の塊で杭を打った瞬間に爆発。即死する過酷な現実でした。鉄の固まりは不発弾。

 

 

1970年から22年もの間続いた内戦でカンボジアには負の遺産が眠っています。不発弾が約240万個、地雷が400〜600万個と言われています。

 

このような状況を目の当たりにしながらも、“任務外”ということで処理活動をすることができない。現地で過ごす間中、「私なら地雷を処理できるのに」と何とも言えない気持ちになりました。

 

 

その想いを諦めきれず自衛隊の定年退官後、カンボジアの地を再び訪れました。

 

当初は、地雷や不発弾の処理を支援する非営利団体、JMAS(ジェーマス)、その現地副代表に就任し、不発弾の処理にあたりました。しかし、膨大な量の不発弾を目の前に、到底実現不可能なものに思えた時、新たな打開策を考えました。


 

支援から、「教育」へ。

 

地雷探知員(デマイナー)を村人から募集し、育成する。誰もやったことがない挑戦でした。

 

そして、支援地はどこか。

 

「一番地雷が多くて、開発に困っている場所に入らせてください」

 

私のその問いの答えとして返って来たのが、“カンボジアとタイ国境のバッタンバン州、タサエン村”。

 

カンボジアの中でも数十ヘクタールに及ぶ地雷原が60箇所もある、カンボジアで最も貧しい地域 タエサン村で、膨大な地雷と立ち向かうことにしたのです。

 

 

現場の悲惨さを見た者が行動を起こさなければ、平和な未来を切り開くことはできない。

「地雷を取り除くことが、村の未来を作ることになる。一緒に頑張ろう。」


その呼びかけに、数百人の村人たちがデマイナーとして活動に参加していきました。

 

 

■ 地雷撤去
① 一人が、幅1.5mを除草
② もう一人が、金属探知機で探知。反応がなければ、40cm進む。反応があれば小さなスコップや刷毛で土を少しずつどかして、金属が何かを調べる。

 

神経をすり減らす作業。わずか40cm進むのに1時間以上費やすこともあります。さらに、重装備の防護服を着て、40度を越す炎天下で行うという重労働です。


 

地雷処理専門家として共に活動をする仲間(チームリーダー、副リーダー、デマイナー3人)。デマイナーは、2006年から活動を共にしており、わが子同然。

 

私が、カンボジアに渡って、地雷処理の活動を始めてはや17年。

処理した地雷・不発弾は今や4,000個近く。地雷を処理した土地は、東京ドーム41個分に相当します。

 

安全になった土地は、今では畑となりキャッサバという芋などを育て、村人の生活を支えています。

かつて地雷が眠っていた地に根をはる、キャッサバ芋の芽

 

一歩ずつ地道に、着実に地雷をなくしてきました。

 

しかし、この平和の礎には、「地雷処理へ立ち向い命を落とした7人のデマイナーがいる」という記憶までは無くしてはならないのです。

 

 

2007年1月19日:IMCCDの活動の中で、もっとも辛い日


カンボジアバッタンバン州カムリエン郡タサエンコミューンオ・チャムロン村で、住民参加型地雷処理活動中の7名の住民による地雷探知員が対戦車地雷の爆発事故により、一瞬にして帰らぬ人となってしまったのです。


現場に駆けつけると、直径5m、深さ1.5mに切り裂かれた穴が地面にその爪痕を残していました。

 

 

100%私の責任。私はそう思っています。

 

募集したデマイナーたちも数百人が集まり、上手く体制が立ち上がって半年。私は日本に一時帰国をするため現場を離れようとしたのです。今思うと、その私の判断が発端であると感じています。

 

現場に専門家が張り付いてはいましたが、数百人の素人の地雷撤去隊員を置いて帰国しようとしたことが間違いだったと思っています。

 

 

亡くなった7名のデマイナーたち。

地雷処理専門家として活動を共にした、いわば手塩にかけたわが子同然の村人たちでした。

 

その爆発事故の知らせを受け、プノンペン空港から車で12時間かけて引き返し。


大きな穴からは、対戦車地雷が8こくらい埋まっていたのではないかと推測します。その上に設置されていた、敏感な対人地雷に気づかずに触れて誘爆。悲劇を引き起こしたのです。

 


 

その晩は眠れませんでした。


翌日は、亡くなった全てのデマイナーのお葬式へ向かいました。私を見つけてご遺族と無言で抱き合って泣きました。

 

「私の息子は、村のために地雷を除去する仕事で亡くなった。私たち家族は誇りに思っています」

 

そこには、想像を超える悲しみがあるはずなのに、精一杯私のことを気にして言葉をかけてくださっているような気がして私も泣き崩れました。

 

 

そして、ご遺体が発見されてない探知員の捜索と散乱したご遺体の収集をやりました。わが子の骨を一つ一つ拾い集める悲しいことになりましたが、髪の毛一本でも拾い集めようという心境でした。

 

しかし、事故現場の半分はまだ探知していない地雷原ですので、2次被害を避けるため不明者のご遺体の一部を回収した段階で断念せざるを得ませんでした。


活動は2ヶ月ストップし、トラウマで、食事や眠れなくなった隊員の家に毎日通いました。

 

私自身も精神的におかしくなってしまうのではないかと思うくらいに、様々な考えが頭をよぎることもありましたが、この事故の後も、辞めずに地雷処理を続けることを選んだデマイナーたち。

 

彼らと一緒に、カンボジアの復興を心に誓いました。

 

慰霊祭:7名のご遺体は、小さな骨、肉片ではありましたが、全員発見され、ご遺族のもとに戻りました。

 

 

この慰霊塔を守り抜く。


この7人のデマイナーたちの死を「かわいそう」で終わらせてはならない。100年先も彼らのことを活動の根幹に置いて忘れてはいけない。


その想いに共感していただき、2007年に、愛媛の皆さんの募金により「慰霊塔」を建てることができました。

 

地雷が埋まっていた広大な土地が全て、村人の生きる力となる畑へと生まれ変わった時、今の平和の礎には、犠牲となった7人がいることをこの慰霊塔が伝え続けてくれる。

 

また、日本人の誠意をこの慰霊塔を守り抜くことで、現地で示し抜いていく。

責任回避、権利主張主義ではいけない。腐っちゃいけない。私は、恥を忍んで生きていく。私は、そう決めました。

 

完成当時の慰霊塔


10年以上経つのに、あの事故のことになると今だに胸が詰まって上手く話すことができません。
 

しかし、事故のことは一番伝えていかなければならないこと。年間150人くらいの日本人が来ますが、慰霊塔は欠かさず案内します。

 

 

この慰霊塔に飾られているのは、殉職者7人の顔写真。 その一番左端には1人分のスペースを空けていて、自分が亡くなった時にはここに写真を飾ってもらい、彼らと向こうの世界で再会するのです。
 

慰霊塔は、この10年以上の間に修復を繰り返してきました。現在は、タイルが割れ、壁がますます痛んできております。

 

 

私たちの活動の根幹部分にある、この慰霊塔を何とか後世に残せるかたちにしたい。

 

そう思っていた時に、大変有難いことに、応援してくださっている人から「お地蔵さんを送ります」というお話をいただきました。

 

このお地蔵さんは、1,000年もつと言われている御影石で作られている仏教詩人 坂村真民さんの「念ずれば花ひらく」のお地蔵さんを輸送、設置する予定です。

 

このお地蔵さんは単なるお地蔵さんではく、この先何年も「このお地蔵さんは、日本から来たんだ。それはね、」とその話とともにこの村で残っていくことになるのです。

 

殉職者7人の顔写真。 一番左端に空けているスペースは、自分が亡くなった時にここに写真を飾ってもらう。​​

 

現在の慰霊塔が修繕を必要としていたことに加えて、このお地蔵さんを綺麗な慰霊塔で迎えたいと思いました。

 

そこで、今ある慰霊塔の向かって右横に、新たに7人のデマイナーの慰霊塔を建てることにしました。

 

そして、今ある慰霊塔は修繕した上で、お墓がない村人たちのお墓として、残していきます。

 

デマイナーの慰霊塔を建てた当初、村人たちはお墓がないため、亡くなったデマイナー以外のご遺骨もこの慰霊塔に置いておかれることが増えていきました。

 

そこで、「村人の合同の慰霊塔を建てた方がいい」という話が挙がっており、この機会に併せてかたちにしていければと思っています。

 

今回新たに建てる7人のデマイナーの慰霊塔は、以前よりも広く、ご遺骨を置ける場所の設置と、これから先もここにあり続けることができるように、防水の処置などを行います。

 

建設は、現在一緒に活動をしている信頼するソックミエンさんに任せている会社に行っていただきます。私たちIMCCDの活動のひとつでもある学校建設支援の際にも建築を担当してもらっていますが、技術は確かな物です。


皆さんのご寄付で「新たな慰霊塔の建設」「現在の慰霊塔を改修して村人のお墓へ」「お地蔵さんの設置」を行いまして、3月15日あたりに、完成セレモニーを予定しています。

 

100年まで続くように、村人たちで大切に守り抜いていくことが必要です。

 

現場の課題としては、みんなで「維持・管理する」ということ。慰霊塔ができてからの十数年は、お供え物の水の片付けや週一の落ち葉の掃除などは私が行って来ました。

 

今回、新しい慰霊塔ができることをきっかけに、維持・管理しやすいように工夫をして、村人たちと一緒に根気強く向き合っていきたいと思っています。

 

 

 

地雷がなくなったとしても、その記憶はなくさない。

 

私が72歳になってまで、こうしてカンボジアに根ざし、地雷地雷・不発弾処理活動を軸とした復興支援活動に取り組んでいるのを見た人に、よく「何がそこまで高山さんを突き動かすのか」と聞かれます。

 

私の答えはひとつだけ。

 

「やりたいからやっている」

 

自衛隊でPKO活動に参加した際にカンボジアで目の当たりにした、地雷による子どもの死。そこから私の人生観が変わったのです。当時55歳であった私は、これから自分の命を何に使うのか。このカンボジアで生きる意味を見出したような衝撃でした。

 

しかし、自分たちのようなNPOは、将来的は必要がなくなり、いなくなることが本望。

 

「自ら生きる力を与えることこそ、支援」です。

 

人間の生活を中心に考えること。
村人が本当に安全に普通の生活が送れる環境をつくる。
 

その想いで今は、地雷除去に留まらずカンボジアの復興のために活動をしています。

 

今回のプロジェクトは、私と一緒にカンボジアの復興のために立ち上がったデマイナー7人を平和の礎としてこの地に残すためのもの。

 

地雷がなくなったとしても、その記憶まではなくすわけには行きません。

 

そして、「この供養塔に8人目は絶対に入れない」、入るとしたら分骨して私の一部をここに納めてもらうという、私の誓いとも決意とも言えるものがここにはあるのです。

 

 

▼IMCCDの支援者の方が、『平和の種を蒔きたい』という歌を作ってくださいました。これまでの私たちの活動や、なぜここで地雷処理を続けているのか、少しでもみなさんに伝わると嬉しいです。少し長くなりますが、ぜひ、見ていただきたいです。

 

 

皆さんのご寄付の使いみち

 

■ 7名のデマイナーのための慰霊塔を新たに建設

■ お地蔵さんを輸送、設置

■ 現在の慰霊塔を村人のお墓として修繕

 

返礼品・税制上の優遇措置について


本クラウドファンディングでご寄付いただいたみなさまには、お礼のメールのほか、カンボジアまでいらしていただけた際には、活動の視察をいただけます。

 

また、当会へのご寄付は、寄付金控除等の税制上の優遇措置(減税)の対象となります。寄付金控除を受けるには、確定申告の際に当会が発行した領収書の添付が必要です。 

 

詳細はこちらのホームページを参照ください。

 

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プロフィール
高山良二 NPO国際地雷処理・地域復興支援の会代表
高山良二 NPO国際地雷処理・地域復興支援の会代表
元自衛官。カンボジアPKOに派遣され地雷の被害を目の当たりにする。2002年からカンボジアの人々と共に最前線で地雷や不発弾除去を続けている。

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プロフィール
高山良二 NPO国際地雷処理・地域復興支援の会代表
高山良二 NPO国際地雷処理・地域復興支援の会代表
元自衛官。カンボジアPKOに派遣され地雷の被害を目の当たりにする。2002年からカンボジアの人々と共に最前線で地雷や不発弾除去を続けている。

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