OCR1000模型化プロジェクトの公募が始まってから一週間が過ぎました。

 

公開直前・直後、READYFOR?のキュレーター(担当者)と

頻繁に連絡をとり合っていた慌ただしさから比べれば、

かなり落ち着きましたが、気を緩めることなく、

一人でも多くの方にプロジェクトを知ってもらえるように頑張ります。

 

どうか、皆様も機会がありましたら、Facebookでのシェアや

Twitterでの拡散などの御協力をいただければ嬉しく思います。

 

 

今回は、バンビーンOCR1000の実車についてです。

 

50代以上の方なら「バンビーン OCR1000」と聞けば、

「熱風の虎ね」「世界最速~!」「高いバイクだったよね~」etc

と様々な声が返ってきますが、それより下の年代では、

「ロータリーエンジンのバイクって、あったんですか?」

が普通の反応なので、プロジェクトの説明文よりも、

ちょっと詳しく解説します。

 

 
第三回 そもそもバンビーンOCR1000とは?

 

OCR1000の生みの親であるHendrik Van Veen氏(愛称ヘンク)は、
ドイツ製のクライドラー・モペットの輸入代理店
「Van Veen Import BV」を母国オランダで創業して財を成し、
1965年以降は、クライドラーのレーサーをベースとした

世界選手権ロードレース50ccクラス用のGPマシンを製作して、

高い評価を得ます。当時、彼のバンビーン・クライドラーは、

このクラスの速度記録を保持車でした。

 

バイクによって富と名声の両方を手にした彼は、

これまでにないバイクを開発しようと考え、
1971年から私財を投じ、ロータリーバイクの試作を始めました。

 

最初の試作車は、マツダの自動車用ロータリーエンジンを

モトグッチV7のフレームに載せていましたが、

その後、フレーム形状を改良し、搭載エンジンも欧州製に変更して、

合計6台の試作車を製作します。

 

最も完成度が高かった1台を「OCR1000」と名付けて、

1974年のケルンのモーターショーに展示したところ、

世界中で大きな反響がありました。

 

                                                          1974年のケルンショーに展示された試作車

 

これに手応えを感じたヘンクは市販を決意し、

バイク製造会社「Van Venn G.M.B.H」を創設して、

ポルシェに量産用の部品設計を依頼する一方、
東ドイツ国境に近い西ドイツのドゥーダーシュタットに
OCR1000の組立工場を確保します。

 

1976年9月のケルン・モーターショーにて

先行量産車を公開した後、ドゥーダーシュタットの工場にて

関係者を集めた試乗会も行い、翌年より一般販売すると発表しました。

 

                 1977年当時のOCR1000のカタログです

 

        BMW R100RSの2倍の価格なのにカタログはシンプルです。

 

量産型OCR1000はルクセンブルク公国のコモーター社製

ロータリーエンジンをオリジナル・フレームに搭載していました。

水冷2ローター1000ccエンジンの最高出力は、カタログ数値で

100hp(実際は107hp)でした。

 

同社のロータリーエンジンは、NSU・Ro80と
シトロエンGSピローターの二車種に搭載されており
安定供給を考えてヘンクは選択したようですが、

後に、これが裏目に出ることになります。

 

OCR1000の車格は大柄で、車重は300kgを越し、

駆動形式もシャフトドライブなので、一見するとツアーラーですが、

最高速度は213km/hを記録し、当時、世界最速のバイクでした。

 

また、市販車として初めて油圧式クラッチを採用していました。

 

販売は1977年に始まり、ユーザーへの引き渡しは、

翌1978年からでしたが、不幸にも販売開始と同じ年に
エンジン供給元だったコモーター社が倒産してしまい、

ヘンクは50基のエンジンしか受取ることができず、
事業は開始早々から、大きな問題を抱えていました。

 

エンジン形式の珍しさと世界最速という性能で、

BMW100RSの2倍という高価格にもかかわらず、

当初は販売も好調でした。

 

しかし、価格がOCR1000の半分で信頼性も高く、

保証も充実したホンダのCBX1000やカワサキのZ1300などの

日本製重量級バイクが発売されると注文は減ってしまい、

1981年にドゥーダーシュタットの工場は閉鎖されます。

OCR1000の生産台数は先行量産車1台を入れて僅か38台でした。

 

工場閉鎖後、Van Venn G.M.B.Hのメンバーで、

熱烈なロータリーエンジン・ファンだった
オランダ人のゲン・ファン・ルーツラー(Gen van Rootslaare)氏が
ヘンクから12台分の残存部品を買取り、
個人的に39台目のOCR1000を組み上げました。

 

ルーツラー氏はそれ以上、OCR1000の生産はせず、
残り11台分の部品はオランダ国内の倉庫で、

25年以上も眠り続けます。

 

2009年、旧型シトロエンのレストアラーだった
アンドリース・ヴィエリンガ(Andries Wielinga)氏は、
ロータリーエンジンを搭載したシトロエンGSピローターを
2台レストアしたことで、RE車修理の専門家として有名になりました。

 

彼はコモーターのロータリーエンジン部品の情報を集める過程で、
OCR1000の11台分の部品が、当時のまま、
オランダ国内に残されていると知ります。

 

アンドリースは、OCR1000を復活させようと決意し、
ルーツラー氏から、全ての部品を買い取り、
OCRモータースを設立しました。

 

足りない部品や保管中に劣化した部品は、
かつての下請け工場の協力を得て新規製作し、
デモ用に40台目のOCR1000を組み、
残りの10台を一般販売すると発表しました。


ヘンクがドゥーダーシュタットの工場を閉鎖から

30年以上が過ぎた2012年のことです。

 

この奇跡のような復活プロジェクトが実現した年の10月、
Hendrik Van Veen氏は永眠されました。

 

OCR1000は、単にロータリー・バイクであるだけではなく、

なんとも不思議な歴史があるのです。