プロジェクト概要

戦後70年が経ちました。生前、父が話してくれた戦争中の話しを小説にし、7月に出版することを考えています!

 

はじめまして。フリーのライターをしております《梶原  成彦》です。私は、東京都杉並区内に在住し執筆活動をメインに仕事をしております。去年、終戦70年を迎えたことを機に父の戦争体験を書籍として残そうと考えて原稿作成を致しました。

 

父の太平洋戦争での体験を子供の頃から、少しずつ聞かされてきました。内容は大変衝撃的で、幼い自分の頭にしっかりと残されました。その断片的なエピソードをもとに、私が約2年前より小説化させるべく取材も含め進めてきました。

 

本年の7月中には書籍刊行予定です。執筆原稿は完成しておりますが、編集・装丁費用などの出版費用合わせて55万円が不足しております。皆様にご協力頂けると幸いです。

 

 

戦争、それは人に悲しみを残し人から全てを奪い人を孤独にする。過言だろうか。

孤独、それは人間の死であり、心の死である。

 

父も生存していれば91才になります。父の遺品整理を進めていて、平和への願いを強く持っていた律儀な人物だったこと、そして、その思いを心に…戦後、海上保安庁に入庁し海上警備に勤めていたことを思い《平和への願い》を父に代わって伝えようと執筆致しました。原稿はほぼできあがっており、最初の序章を皆様に読んで頂けたらと思います。少々長い文ではございますが、少しでも戦争に関して考えて頂けると幸いです。

 

 

 

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著:梶原 成彦

タイトル : 『   故 郷 は 永 遠 に  』

序  はじめに

 


 「昭和20年4月1日頃であったろうか、、、」

 
以下は、父(松尾宗重)が、戦後に知った<幼なじみで後輩でもあった、故:鈴木 清>に関する、彼の実家での出来事を回想したものである。ここに、鈴木 清の心理と行動を記しておきたい。
   
彼は、語学が得意で、将来は外交官になることを熱望していた。日本と世界の国々との平和的外交、そして文化的交流から生まれるであろう信頼関係を築き上げたい、、、という夢。
   
しかし、戦争へと向かった時代の流れが、その夢と希望を閉ざし断念せざる得なかった。

 
そして、父とは旧制中学の1年後輩である<鈴木 清一飛曹>が人間魚雷回天の搭乗員として、出撃する3日前のことだ。彼は出撃前に2泊の特別休暇を与えられ、田舎の母のもとへ・・・別れの帰省中であった。

 

もちろん、軍の作戦機密を漏らすわけにはいかない。家族は、母と妹(真美、13才)の3人で、彼の父(昭一)は昭和13年10月に日中戦争で戦死していた・・・真美が6才、鈴木清12才時の出来ごとである。妹思いの彼は、真美ちゃんの大好きな甘い物<芋羊かん:僅かに甘さを感じる程度の物であった>を手土産に、、、実家は甘木(福岡県)で故郷の空気を満喫していた。

 

そして、1泊した朝のことである。

   
< ここからは、彼を中心に話を進めたい >

   
前日は、夜の帰省だったこともあり、妹とゆっくり話す時間もなく母と布団を並べての休養であった。妹も気を利かせて、母と二人にしてくれていたのである。

妹・・・真美ちゃんは、いつも長めの黒髪を後ろで束ねるだけの簡素さと、顔は、丸顔にして幼さを感じさせる中で、、、印象的なふじ額が、13才にしては、少し大人びた雰囲気があった。だが、やや浅黒いところがあり、そこがまだ少女らしさを強調していた。そんな妹に、早速、、、

   
俺は、朝ごはんの手伝いをしている真美をねぎらうように、、、声をかけた。

   
「おはよう!母さんの手伝いしとるんか?偉かな」

「おはよう〜、お兄ちゃん。もう少し寝てなよ。ゆっくりしてなきゃダメ」

「真美が孝行しとるのに、ゆっくりなんか出来んやなかか」

「そんなん気にせんでよかよ」

「そうか。じゃ〜、親孝行で優しか妹に、、、お土産を上げようかな」

「え〜、お土産って何?」

「真美の大好物ばい。ほら!開けてみるとよか」

   
新聞紙に包んだ四角い物を手渡して、、、妹の喜ぶ表情を待った。すると、新聞紙を開けるなり、歓喜の声を上げて抱きついてきた。

          
「兄ちゃん、凄いやん、凄〜い!」

「おい、おい、、、そげんに嬉しかったか?」

「うん。芋羊かん、、、よう手に入ったね。凄かよ!」

「真美の喜ぶ顔が見とうてな、、、やっと手に入れたんや」

「ありがとう。後で、母さんと一緒に食べるね」

「ハハハ。大丈夫ばい。一人で食べんね!母さんには別にあるんやから」

「本当に?」

「当たり前や。よし、朝ごはんを食べたら、、、午後には、先輩の松尾さんとも
よう遊んだ甘木公園に、、、行くか!」

「うん。お母さんも連れて行くと良かよ」

「そうやな。何か食べ物を持って、、、親子水入らずも良かな」

暫くして、用意された朝ごはんを見て、、、胸が痛んだ。

すいとん・・・(大麦粉、じゃがいも、雑草を馴染ませた簡素なもの。そして塩で味付け)

昼は、、、煮ただけのじゃがいも、味噌汁の中には雑草(代用野菜)。

母や妹が、、、この食に耐えて過ごしているのだ。兵舎から、、、余り物でもいい。

もっと、ましな食を持参してあげれば!と涙が溢れかけ、俺は顔をうつむかせずにはいられなかった。だが、食べていると母の、妹の心がこもった懐かしい美味しさが全身を包んでいた。思わず、、、心が、気持が<感謝>の念で溢れていた。

<ありがとう・・・母さん。そして、真美、、、ありがとう!>

  
午後は、公園で、、、はしゃいでいた妹。しかし、母は、、、ただ、ただ俺たちの顔を、はしゃぐ姿を見つめていた。俺は、ふと頭をよぎった。

 <今、妹と戯れ、、、故郷の優しさを感じながら過ごしている俺。

そんな俺と妹。そして、二人の姿を追っている母。平和だったら・・・どんなに幸せなひと時だろう。ひと時であっても、こんな日を過ごせることに、家族のありがたさに感謝の思いだけが心に溢れた。幸せ者だな、、、俺は!出来れば、いつも、こんな日々でありますように、、、>

   
そんなことを祈って・・・過ぎゆくひと時を噛みしめた。公園でのひと時を終え、夕刻になると落ち着かない自分を感じていた。明日の朝には、兵舎に帰らねばならない。今日が、最後の夜。母を、妹を、、、忘れぬように悔いを残さぬように心に残そう!そう思うと、、、1分、1秒が貴重なひと時となっていた。

 

今、俺にできることはないか?

今しか、やれないことはないか?

今、やり残していることはないか?

今、、、そう思っていると、1つのことが願望となって、強く心に浮かんだ。

  
「母さん、そして妹。この家族を失ってはならない。守ること、、、」そう 守ること!それが、俺の一番の願いそれが、俺の幸せそうでしょう?父さんも そうだったでしょう?いつしか 父に問いかけていた・・・

 

そして、夜には母が、お風呂を沸かせてくれた。

「清。お風呂で疲れば癒さんね」

「はい。ありがとう。これから入ります」

   

自慢ではないが、わが家のお風呂は、父の拘りもあって広めに作られていた。俺は、この広めのお風呂で、父と一緒に入った子どもの頃を思い出していると・・・妹が入口で話しかけてきた。


「兄ちゃん。一緒に入って良か?」

「真美か。何ば言うとる、、、13才やろ。一人で入らんか!」

「恥ずかしいんでしょ!?」

「ば〜か!勘違いするんやなか。一緒に入る相手が違うやろ」

「お母さんが、『背中を流してやりなさい!』って言ってるんよ」

「そうか! そうなんか。じゃ〜、久しぶりや。流して貰おうかな」

「うん。良かとね? 入るよ」


そう言うと、、、妹は何のわだかまりもなく一緒に湯舟に入ってきた。俺は、そんな行動の中に、妹の子どもの頃の姿が懐かしく思い出されてしまい・・・また、その無邪気さが嬉しかった。そうした気持ちを込めて、、、妹に話しかけた。
   
   
「こうやって、湯舟に入るんは何年ぶりやろうな」

「お父さんが生きてたころ以来じゃなか?」

「そうか、、、そうやったかな。あん頃は3人やったが、今は2人やな。真美は、6才でお父さんが、おらんようになって淋しゅうなかったか?」

「大丈夫よ。お兄ちゃんがいてくれたもん」

「そうか。だがな、お風呂は、そろそろ一人立ちせんとな。今年で14才や。それに、そろそろかな? 好きな人、、、おるんやろ?その人と入らんとな」

「分かってるって。心配せんで!それより、早う帰ってきて真美と一緒に親孝行せんと!お兄ちゃん」

「うん。これからも、母さんのこと、、、頼んだぞ。真美」

「お兄ちゃん、、、必ず帰って来て」

「何、言うてるんや。当たり前やないか」

だが、すぐ俺の心は<自責の念>に潰されそうになっていたのだ。つまり、その先を言えない自分が、、、。俺を罪深くし、それが心に重くのしかかっていた。
   
<ごめんな!真美。死んでいく身と、分かっているのに、、、嘘つきな兄ちゃんを許してくれ・・・>との思いに、辛さを感じていると。
   
その辛さを、更に増幅させる一言が、真美から容赦なくあびせられた。

「約束だよ」

もう、これ以上の偽りは言えない。何とか返答を回避したい一心で、話題をすり替えていた。

「うん!それより、良かことを思いついた。いつもお父さんが、真美の頭を洗とったな。今度は兄ちゃんが洗ってやろう」

   
そう言うと、楽しそうに真美も俺の背中を流してくれていたのだが・・・だが、徐々に背中を流す真美の手が、小刻みに震えていた。すぐに直感した。


<泣いているんだな・・・真美>

   
この時、更に妹の気持ちを汲み取っていた。
   
<やっぱり、兄ちゃんが死んでいくのを感じてるんやろな>
   
俺は、そうつぶやき目を閉じて真美の優しさを一身に、、、受け止めようとした。精一杯! 真美の思いを、優しさを・・・受け止めようと。それは、悔いを残さぬために、心の中へ深く、真美を刻むためである。そして、間もなく、それは・・・心からの叫びとなって浮んだ言葉を、、、。つまり、次のことを真美に誓っていた。
   
<真美、、、思いっきり泣くとよか。ガマンできんのやろ?辛い時は、泣けばよか。泣くんは、弱いからやない。涙は、心を立ち直らせるために、辛いことを洗い流すためにあるんや。そやから、真美が泣いた分は、兄ちゃんの幸せば分けてやる・・・>と。

   

こうして兄妹、水入らずの時間は、心の交流は、、、終わった。お風呂から上がると、、、夕食をとったあと、母の部屋へ向かった。感謝の気持ちを告げたかったのだ。まず、母と自分の布団を敷き、最後の夜を共に過そうと思ったのである。母と布団を並べて床に入り、それから暫くして、俺から話しかけた。

「母さん、、、気遣い!ありがとう ございました」

「疲れは取れたかい?海軍に戻っても、、、体ば大事にせんといかんよ」

「はい。分かりました」
  
「お父さんが戦争で死んで、<軍隊は嫌だ!>って言っていたのに、、、それでも軍隊を志願して。なぜなの?軍隊は<泣くこと>ができない所なのに」

「そうですね。でもこれが、、、せめてもの孝行です」

「お前は、みんなから、男のくせに泣き虫だ、、、って言われて」

「そうでしたね。でも、この戦争が、泣き虫の自分を志願させ、、、自分の生き方を変えました、、、世界の平和のために!と思って目指した外交官の夢も諦めました」

「お前は、私の子。それを忘れずに自分を大切になさい。せっかく生まれてきたんです。泣きたいときには泣くことも、人間には必要です。お母さんの前では、我慢せんでもいいんだよ、我がままを貫くのも孝行ですよ、、、」

「母さん、、、。 お母さん、ありがとう、、、」

涙が溢れかけ・・・このあとの言葉が出てこない。
辛うじて、、、

「お休みなさい、、、母さん」

そう言うと、母を背に寝返りをしていた。徐々に、枕が涙で湿り出している。母の優しさに、涙が溢れて止まらないのだ。

   

<母さん、お母さんは、「別れの帰省」であることを分かってるんですね。なのに、俺のことを気遣い、優しい言葉をかけてくれている。もはや母の愛の前には、、、俺は無力です。感謝しかありません。ありがとう。ありがとう 母さん、お母さん!>

 

そう、、、つぶやくと、目を閉じて泣きだしたくなるのを我慢していた。 限りなく、我慢していた、、、堪えられぬほどの辛さを・・・

 

そして、翌日・・・山口県大津島に戻ると、間もなく、、、伊号潜水艦に乗り込み南方海域の沖縄方面へ出撃した。


鈴木 清 一飛曹・・・19才。

まさに、青春の真っ盛りを迎えようとする陽春の桜が、、、咲く頃に。

   
こうして彼の出撃のあと、終戦の日まで、父の幼なじみが、友人が、知人が次々と戦死していったのである。

 

この書籍は、父から伝え聞いた体験をもとに、小説化したものである。その父も、現在生きていれば、、、91才。生まれは、大正14年2月15日。福岡県出身

官立無線電信講習所(現・電気通信大学)卒    


この書籍により戦争という<悲しみと負の遺産>から何かを感じ、それが人生に生かされるなら幸いである。