支援総額
目標金額 3,000,000円
- 支援者
- 256人
- 募集終了日
- 2025年11月18日

ぬるぬるのお引越|万博・落合陽一 null²パビリオン次なる場所へ
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- 現在
- 223,411,900円
- 支援者
- 13,079人
- 残り
- 28日

緑と笑顔あふれる森の教室を再び!東原小学校森の教室リフォーム計画!
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- 現在
- 638,000円
- 支援者
- 89人
- 残り
- 39日

『d design travel』を続けたいvol.36 徳島号
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- 現在
- 752,000円
- 支援者
- 70人
- 残り
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ごかつら池どうぶつパーク|命を守り、次世代へ繋ぐ小さな動物園の挑戦
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- 現在
- 5,793,000円
- 支援者
- 366人
- 残り
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【第二弾】法隆寺金堂、火災で失った色彩|「鈴木空如」模写絵を未来へ
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- 現在
- 1,460,000円
- 寄付者
- 62人
- 残り
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沖縄が誇る歴史文化をつなぐ 琉球びんがた事業協同組合50年目の挑戦
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- 1,295,000円
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東京国立博物館|価値ある文化財を救い出す。源氏物語図屏風、修理へ
#伝統文化
- 現在
- 61,848,000円
- 寄付者
- 2,867人
- 残り
- 28日
プロジェクト本文
第一目標達成の御礼と
ネクストゴール400万円への挑戦について
「ART in MINO 土から生える2024」の記録を残す図録制作にご支援くださった皆様に、心より御礼申し上げます。多くの皆様からの、熱いご支援と、力強い応援により、第一目標の300万円を達成することができました!
16年前の図録が時を超えて私たちを動かしたように、今回の図録も、記憶と手触りを確かなかたちで残し、次回の開催や次世代に手渡す土台となることを願っています。
今回、第一目標金額である300万円の達成により、図録制作の最低限の資金は確保できました。しかし、実際の制作にあたっては資金面で行き届かない部分も多く、依然として十分とは言えない状況です。そこで、残り時間はわずかではありますが、ネクストゴールに400万円を掲げ、引き続きご支援を募らせていただきます。
残り時間は「1日と12時間」を切りました。最後の瞬間まで、応援の輪を広げてくださる方を一人でも増やしたいし、一人でも多くの方にこの図録を手にとってほしいと心より願っています。
ご支援はもちろん、周囲の方へのお声がけや拡散も大きな力になります。産地ならではの空間と、そこから生まれた作品の存在を、より広く、より遠くまで届けるために。紙に印刷された記録が、また次の灯りをともしていくそんな循環を、皆様と共につくるために。
どうか最後まで、ご支援・ご助力を賜りますようお願い申し上げます。
ART in MINO 土から生える 2024
実行委員会メンバー一同
「ART in MINO 土から生える 2024」
その全貌を図録として残すご支援を
やきもののまち岐阜県多治見・土岐・瑞浪で、
昨年16年ぶりに火を灯したアートプロジェクト
「ART in MINO 土から生える2024」。
2008年に点けられた燈火の意志を継ぎ、
次の世代による復活の契機となったのは
当時の展示風景を残した図録でした。
紙に印刷された記録が、
時を経て今を動かしたのです。
やきものの産地ならではの空間で、
アーティストと共に
その場でしかできない展示が実現しました。
この町の産業遺産を掘り起こし
価値を広く伝えて、下の世代へとつなぐために。
会場と作品の風景からイベントでの言葉まで。
その瞬間の記憶の全てを1冊にまとめます。
次へ踏み出す第一歩としての図録制作へ
皆様どうかご支援をお願いいたします。
2024年開催時に製作した動画
| 目次 | |
| 01:実行メンバーからのメッセージ | 05: 図録に「残す」意味 |
| 02:はじまりは、2008年の15日間。 | 06: 次回開催に向けて |
| 03:図録によって想いが繋がった想い | 07: 挑戦にあたってのメッセージ |
| 04:2024年、2回目の開催へ | 08:特別対談「土から生える」2024を振り返って |
やきもののまち岐阜県多治見・土岐・瑞浪で16年ぶりに復活させたアートプロジェクト「ART in MINO 土から生える2024」。16年前、我々の親世代が携わった2008年の「土から生える」の意志を継ぎ、2024年は自分たちの世代が中心となって民間主導で開催まで漕ぎ着け、おかげさまで来場者の方々に大変好評をいただきました。
2024年、プロジェクトを復活させるにあたって大きなきっかけとなったのが、16年前の「土から生える」の図録の存在です。前回の開催当時、我々はこの地域を離れていたため、その踏み込んだ内容については把握しないままでした。 時が経ち、地元に戻って活動を続ける中で、当時の図録を通じてこのプロジェクトについて再認識し、その重要性をあらためて感じさせられたのです。
「土から生える」では、産地ならではの場所を使ってそこでしかありえない展示をつくり上げてきました。会場に選ばれた建物は産地の記憶を残しており、展示をすることでそこに残された空気感を多くの人々に知ってもらうよう努めてきました。
ただ、限られた期間でかつアクセスも決して良くなかったため、興味を持ってくださった方々すべてにはご覧いただけなかったというのが正直なところです。だからこそ、その場所ならではの、空間と分かちがたく結びついた作品の存在をさらに広く知ってもらうためには、現在制作を進めている図録の存在が大変重要だと考えています。
また、近年デジタルアーカイブの重要性は増すばかりではありますが、「土」を中心に据えたこのプロジェクトには、身体的な感覚を表現できる媒体が適していると考えています。
図録の内容としては、まず会場及び作品の詳細を追体験できるようなビジュアルを中心としたページ。それと同時に会期中に開催した多くのイベントのレポートなど文章もしっかりと残して、プロジェクトを網羅的に把握でき、全体像が浮かび上がってくるような構成を考えています。そして今回の図録については、文章やデザインから流通まですべてプロジェクトチーム内部で行なっています。何を作るのかだけでなく、どうやって我々の想いを届けるのかも重要だと考えています。
16年前にされた問題提起は、現代においてより重要性を増し、我々にとっても非常に意義のあるものに感じています。プロジェクト自体を復活させることはできましたが、実現できたことはまだまだ我々が思い描く姿の一部に過ぎません。次回開催を念頭に、地域の産業遺産を掘り起こしてその存在を再評価し、さらにその価値を広く周知していく為にはまだまだやるべきことが多くあります。今回の図録は、昨年の「土から生える」を振り返り記録すると同時に、次への第一歩としても非常に重要な意味を持っています。
コロナ禍を経て、時代は今大きな曲がり角にあると感じます。産地に生まれ育ち、これからもこの土地で生活していく人間として、前の世代がしてきたことを正しく受け継ぎ、さらに次の世代に繋げていく為に。
今、世代を超えた人材が集まり、さまざまな垣根を超えて一緒になって動ける体制がようやく整ってきました。この機運の高まりを逃すことなく、更なるうねりを起こすためのきっかけとして、まずは図録制作のために、皆様のご支援のほど何卒お願いいたします。
「土から生える」は、「国際陶磁器フェスティバル美濃’08」の普及企画事業として2008年に立ち上がったアートプロジェクトです。発起人は安藤雅信さんと高橋綾子さんで、15日間実施されました。
(写真右)高橋綾子:名古屋造形大学 教授、芸術批評誌「REAR」の編集・制作を行う
会場は大川採土場、市之倉窯場跡、小山冨士夫邸、下石陶磁器工業協同組合といった産地ならではの場所を使い、10名のアーティストが展示を行いました。日本を代表する工芸作家をはじめ、現代美術作家、舞踊家、そして古道具屋の店主が、各々の思想と方法論で、場の力を引き出すことに挑んだ取り組みでした。
この地でずっと続いてきた、大量生産大量消費の仕組みや陶芸界の既得権益などの評価基準に囚われず、現代美術と工芸の垣根を取り払い、土という素材や産地の遺産に対して正面から向き合い、空間全体を構成するインスタレーションの革新性は多くの人にとって強く印象に残るものでした。
2008年に「“ものを作らない”アーティスト」として参加いただいた古道具店主の坂田和實さんは「あるべき空間に配置し、あるべき光を与えれば、物は美しさを発揮するのだと思えたのです」という言葉を残しています。
「土から生える」は、やきものや土をはじめとした地域資源の価値や、産地・場の力、ものづくりの本質にアートを通して正面から向き合い、その可能性と魅力を広く伝えようとした前例のない地域発のアートプロジェクトでした。
そして、その根幹には、「土」という普遍的な素材、地域の産業遺産や人の精神性・創造性に光を当て、過去と未来をつなぎ直すという想いと挑戦がありました。
ART in MINO '08 土から生える
会期:2008年9月14日(日)〜9月28日(日)
参加作家:石井晴雄、伊藤慶二、内田鋼一、遠藤利克、鯉江良二、坂田和實、設楽知昭、田中泯、藤本由紀夫、 森北伸
会場:大川採土場(瑞浪市)、市ノ倉窯場跡(多治見市)、小山冨士夫 花の木窯(土岐市)、下石工組 旧釉薬工場(土岐市)
企画運営スタッフ:安藤雅信、高橋綾子
主催:国際陶磁器フェスティバル美濃実行委員会
企画運営:aim'08実行委員会
2008年に開催された「土から生える」は、大きなインパクトを残したにも関わらず、残念ながら継続されることはなく一度きりで終わってしまいました。
現在のようにまだ地域芸術祭が一般的ではなく、使用した会場が会期終了直後に取り壊されてしまうなど、地元で十分にその意義を理解されなかったこともその一因です。終了後そのまま放置され、自然と壊れていってしまった作品もありました。
会場を残すことができなかったのは、大きな反省点の一つです。そして、当時はまだデジタル環境が今ほど充実していなかったため、写真等のアーカイブがオンライン上にほとんど残っておらず、一部を除いてその存在はほとんど忘れ去られた状態になってしまっていました。
しかし、その記憶をかろうじて繋ぎ止めたのが図録でした。紙に印刷された図録によって当時は多治見にいなかった人たちもその存在を知ることになり、再び我々の中で話題に上がり始めました。また、コロナ禍において長距離移動ができなくなる中で、あらためて自分たちの身の回りに眼を向けることになったのも契機となりました。
時が経ち、前回の開催を知らなかった人間にもその意義を感じられるものとなり、復活への機運が高まっていったのです。
(以下図録より抜粋)
陶磁器のまち:美濃。
本書は、この地域で開催された「国際陶磁器フェスティバル美濃'08」の普及企画事業として実施されたアートプロジェクトの記録です。
美濃地域のなかでも、岐阜県の西濃西部地域(多治見市・土岐市・瑞浪市)は、全国有数の陶磁器産地として発展してきました。その歴史は古く、7世紀に焼かれた須恵器に始まり、16世紀後半の安土桃山時代には、志野・織部・黄瀬戸を代表とする優れた茶陶をはじめとした「美濃桃山陶」によって、一大産地となります。今日においても和洋食器、タイル、陶磁器用はい土など、陶磁器に関連する各種製品を製造する企業が集積しています。
こうした「美濃焼」の伝統をふまえ、現代の陶磁器デザインや技術を世界に発信し、さらには産業と文化の交流を促進し活性化させることを目的として、第1回目の国際陶磁器フェスティバルが開催されたのが1986年のこと。以来3年ごとに陶磁器デザイン・陶芸の本格的な国際コンペティションとその展覧会を中心としたイベントが開催されてきました。
第8回目を迎えた2008年、フェスティバルの普及企画事業として実施されたのが、aim(art in mino)'08「土から生える」と題されたアートプロジェクトです。このプロジェクトでは、陶磁器の歴史と人との根源的な関わりがテーマに据えられました。「陶芸・やきもの」という限定的なジャンルに収束する以前の、より広い概念としての「造形」を対象とし、陶芸や現代アートが場と関わることによって、呼び覚まされる共感や喚起力が意図されました。
10人の創作者たちは、完成品あるいは作品としての陶磁器ではなく、土を掘り、粘土にして成形し、焼成、そして流通というプロセスに寄り添った「陶磁器の場所」を題材としました。ここに顕在化されたものは、美濃地域が培った潜在的な魅力であり、あるいは地域や土地が記憶している陶磁器産業の盛衰の痕跡といえるでしょう。

2024年2月のトークイベントをきっかけとして約半年後の開催が決定し、急ピッチでの準備が始まりました。通常であれば数年を要する準備を限られた時間の中で行わなくてはならず、民間主導での実現には数々の困難が立ちはだかりました。しかし、それまで同じ業界に属しながらも各々で活動することの多かった人間たちが、垣根を越えて同じ目標に向かって力を合わせて一丸となり、無事に開催まで漕ぎ着けました。今回は世代も入れ替わり、前回の時にはまだ学生であったり美濃に縁のなかった人も数多く携わりました。
前回の内容を踏襲しながら、16年の時を経てより広い意味で「土」について問いかける展示とするため、より幅広い作家の方々に参加していただきました。また、多くのご協力のおかげで会場も前回よりも増やすことができ、産地としての特性が感じられる場所を使わせてもらいました。
その中でも、惜しくも2022年に逝去された坂田和實さんによる2008年の展示が奇跡的にほぼそのままの状態で残っていたことは、今回の開催への大きな後押しとなりました。
また、展示と同時にトークイベントやワークショップを企画し、展示だけではカバーしきれない多角的な視点で捉えたプログラムを準備したのも前回とは大きく異なる点です。この2つは静と動の正反対の性格を持ちながら、両輪となって「土から生える」を構成しています。
会期中は、地元はもちろん名古屋など近郊の都市、そして全国からも足を運んでくださった人も多くいて、様々なメディアにも取り上げていただくことができました。同時期に全国各地で地域芸術祭が開催されていましたが、そのどれとも違う、我々がこの場所でやったからこそできた独自の色を出せたと自負しています。
印象的だったのは、会場の周辺住民の方々が道案内をしてくれたり、会場を訪れて昔の光景についてお話してくれたことでした。中には目に涙を浮かべて当時のことを振り返る方もいらっしゃいました。忘れかけられた場所にもう一度スポットライトを当て、多くの人々の記憶に残したいというのは我々の目標の一つだったので、地元の方々に響いたのは非常に嬉しく思いました。
ART in MINO 土から生える 2024
会期:2024年10月18日(金)〜11月17日(日)
芸術監督:安藤雅信 ( 陶作家/ギャルリ百草 主宰 )
監修:高橋綾子 ( 名古屋造形大学 教授 )
アドバイザー:森北伸 ( 愛知県立芸術大学 教授)
実行委員長:水野雅文 ( 図濃代表 )
主催:土から生える実行委員会、(一社)セラミックバレー協議会
後援:多治見市、瑞浪市、土岐市
今回の開催のきっかけ自体が図録の存在であることはもちろんですが、デジタルアーカイブの重要性が増す現代にあっても物質として紙で記録を残すことは非常に重要だと考えます。「土」を中心に据えたプロジェクトにおいて、紙の手触りやインクの匂いなど、身体に訴えかける感覚を大切にしたいと思います。そのことが今回のプロジェクトの意義を高めてくれるはずです。
もうひとつは、現時点で我々が考える以上に長いスパンに渡って伝わる可能性を秘めているからです。我々は先達が長い時間をかけて築き上げてきた文化の土壌の上で活動しています。その恩恵を忘れずに、今この瞬間だけを切り取るのではなく、過去から受け継いだバトンを次へと繋げていくためにきちんとしたかたちで書籍として残したいと考えています。
先述した通り、「土から生える 2024」は展示とトークイベント・ワークショップ等のイベントで構成されています。展示は6会場22作品、イベントは全部で12を数えました。我々はこのすべてをもって「土から生える」だと考えており、どれひとつとして欠かすことはできません。ただ現実的にはこのすべてを体験するのは非常に難しく、ほとんど不可能だったと思います。それでも「土から生える」の全体像を理解してもらうために、すべての情報を盛り込みひとつの書籍としてまとめられるよう制作を進めています。
展示のセクションは、会場や作品の風景を中心にしたビジュアルメインのページ構成です。また、各作家のコメントによりそれぞれの背景についても理解を深められるようにしています。一方イベントについては、プログラムによって形式は異なりますが、文章をメインにそれぞれの内容を深掘りしていきます。このように各コンテンツに合わせたかたちで記録することで、プロジェクトの全体像が浮かび上がってくるような構成としたいと考えています。
図録では、それぞれのセクションで紙質を変えることにより、モノとしてもその性格の違いを際立たせます。そして表紙は、キーカラーをイメージした色にロゴを箔押しした高級感のある仕上がりとなります。リターンでは、作家自身が表紙に直接ドローイングを施した特別仕様版もご用意しています。
クラウドファンディング概要
■目標金額:300万円
■資金使途:図録制作費、クラウドファンディングの諸経費
前の世代がつくり上げてきたものが、現在急速に失われていっていると感じています。もちろん、時代に合わせて変わっていかなければいけない部分も多くあります。しかし、ただ単に古いからといってすべてを否定してしまうのではなく、それらが持つ意味をひとつひとつ再検証していく必要があるのではないかと思います。一度失われてしまったものを再び元に戻すのは非常に困難なことです。
我々の住む地域には、昔から脈々と受け継がれてきた「土」の文化があります。今こそそれらを丁寧な眼差しで注意深く見直し、現代にも通じる価値を掘り起こしていかなくてはなりません。それこそがアートであり文化の持つ役割ではないかと思います。昨年のイベントでは、しばらく使われていなかった場所にもスポットを当て、作品はもちろんのこと会場自体についても知ってもらうきっかけとなりました。その中には、もはやいつなくなってしまってもおかしくないところもあります。
今回準備を進める中で、身の回りにある環境の価値にあらためて気づかされることも多々ありました。世界中の情報が瞬時に手に入れられる時代になりましたが、意外と目の前のものが見えていない場合もあります。「土から生える」を続けることで、ひとりでも多くの方々にこの土地の持つ魅力を知ってもらいたいと考えています。
この地域の未来を見据えて、たとえメンバーが入れ替わったとしても、長きにわたって継続できる活動とするために。今回制作する図録が新たなる起点となり、「土から生える」の存在と意義を広く知ってもらえるよう準備を進めています。

水野雅文 / 「土から生える 2024」実行委員長、セラミックバレー協議会メンバー
前回から16年の時が経ち、復活開催を遂げた「 土から生える2024 」は、一冊の本(前回の図録)が、きっかけとなりました。
昨年秋に開催した際には、本当に素晴らしい光景を私たちに見せてくれました。その場でしか見ることが出来ないサイトスペシフィックな展示やパフォーマンス、専門的なトークイベントやワークショップは、産業遺産を切り口に、人間の営みの根源や資源に迫る内容でした。実際に会場まで足を運んでくださった方々をはじめ、この感動を改めて多くの方々に見て欲しいし知って欲しいです。
その為に、土から生える2024の図録を作りたいです。
文化の火を灯そうと語った芸術監督の安藤雅信さんの意志を共にしながら、昨年に再び巻き起こした美濃の大きなうねりを止めることなく、今度こそ続けていきたいです。私たちが暮らすやきもののまちには魅力的な店舗や店主が増え、これまでよりも業界や地域を意識する作家や仲間が増え、世代を超えて繋がり続けています。芸術の力が未来を照らしていく兆しを感じます。
みなさんのお力を貸してください。ご支援、ご協力お願いいたします。

伊藤達信 / 「土から生える 2024」副実行委員長、スペース大原
前回の「土から生える」では、父親が実行委員会の1人として携わりました。当時自分は海外にいてほとんど何も知らなかったのですが、あとになって図録を見せられてこんな素晴らしいイベントが開催されたのだととても嬉しい気持ちになりました。
それから16年、まさか自分がそのプロジェクトを復活させることになるとは思ってもいませんでしたが、多くの仲間たちと一緒になってしがらみなく実現に向けて突き進んだ経験は何物にも代えがたく、とても貴重なものとなりました。
このプロジェクトを決して一度きりで終わらせたくはありません。昨年の開催によって生まれたつながりを礎にして、まだまだ今後やりたいことが数多くあります。「土から生える」の存在をより広く知ってもらい、次のステップへのきっかけとするために、この図録を一人でも多くの方々の元にお届けしたいと思っています!
「土から生える 2024」を振り返って
水野雅文(実行委員長)× 伊藤達信(副実行委員長)
2024年の「土から生える」の良さはどこにあったのでしょうか?
伊藤:キュレーションに関して言うと、出展作家の方々がいわゆる「芸術祭でよく見る人たち」ではなく、同時に「やきもの人たち」だけでもないという絶妙なバランスが特徴だったのではないでしょうか。これは伝わりづらい部分もあるかもしれませんが、根本的には2008年から変わらないまま、2024年はより広がりのあるものになっていたと思います。
水野:参加してくださった出展作家の方々は本当に魅力的で、それはこの企画の前提ですよね。この地域には歴史的にも、産業的にも、表現としても多様な背景と魅力がある。ただ顕在化していなかった。それらを、出展作家の方々が丁寧に掘り起こして、表現して、アートの力で届けていってくれた。
伊藤: あとは高田地区にせよ、下石地区にせよ、いつなくなってもおかしくない場所だった。唯一残っていた2008年の坂田和實さんの展示もいつ撤去されてもおかしくない状況だったし、そういう中でギリギリ間に合ったような感覚があります。 16年前、展示が終わった瞬間に壊されてしまった場所もあるくらいなので。時代の変わり目だし、コロナ禍もあって変化のスピードが早くなっているから、産業遺産的な場所であってもどんどん失われていく中で、作家のみなさんの展示とともに記憶に残すことができた。
―他の芸術祭との違いとは?
伊藤:「やきもの」という明確な文脈があるのは大きな特徴であり、特殊性ですよね。下石地区は伊藤慶二さんという作家の作品であると同時に、やっぱり空間の存在なくしてはありえない展示だった。いわゆるアートのインスタレーションとも違うし、もちろん作品は作品として成立しているのだけれど、同時に空間とも響き合っている。内田鋼一さんの作品もだけれど、それは慶二さんや内田さんの作家としての力量あってこそだけれど空間の影響も大きかった。それに桑田卓郎さんは普段とはまったく別の展示だったけれど、あれは桑田さんが地元の作家で場所の文脈を理解していたからこそ、あえてあの展示になった。それは今回のプロジェクトにとって非常に大きなこと。有名作家を外から連れてきて何とかしてもらうというのはと違う、場の力の強さを感じられるものじゃないかな。土地を知ることにもなるし、それも一つの目的だと思っています。
水野:この地域にこれだけ面白い場所がある、面白い人たちがいるのを伝えていけば、そのまま「土から生える」にしかない魅力になると感じているんです。いま世の中にはいろんなイベントがあるけれども、この場所だからこそ、ここに住む人たちだからこそ、という特殊性があるから、「土から生える」の価値が生まれて、他の芸術祭との違いが浮き彫りになるような気がしています。
―そもそも2人はかなり前からつながりがあるんですか?
水野:最初に出会ったのは、2016年にぼくが前職時代に企画したグループ展があって、そこに伊藤さんが来てくれたんですよね。その何年か前に伊藤さんが多治見に帰ってきて「スペース大原」を継いでいたんですが、ぼくはそれを知っていて「多治見にこんな場所あるんだ、帰ったら行かなきゃ。」と思っていたんです。でも、そんな時間も取れずに月日が過ぎていたら、伊藤さんがふらっと展示に現れた。そこからすぐに仲良くなりましたね。しかも、偶然父親同士が同級生だった。それもあっていずれ一緒に何か多治見でやりましょうと話していた。
―お互いのお父さんが2008年の土から生えるに関わっていたんですよね。
伊藤:保育園から幼なじみでした。瑞浪市釜戸町で。
水野:伊藤さんのお父さんが「土から生える」に関わったのは安藤さんから?
伊藤:安藤さんか高橋さんのどちらかから声がかかったんだと思う。2008年の瑞浪だと大川採土場での展示や田中泯さんの場踊りには父親が関わっているんだよね。「クレの小屋」を作る人を集めるのもやっていた。
水野:うちの父は瑞浪市長として関わってたけど、当時はそのことを知らなかった。自分は20代前半で、「ギャルリ百草」「やぶれ傘」「陶林春窯」の存在は知っていたけど、そんな企画が地元で行われているなんて知る由もなかった。
伊藤:自分も話を聞いてはいたけれど、日本にいなかった。図録ができてから展示の内容を知ったくらいかな。
―「土から生える」を最初に知った時はどう感じたんですか?
伊藤:僕は父親から苦労話も聞いていました。会場はなくなってしまうし、「クレの小屋」を見せて欲しいと何度もお願いしたけれど無理だと言われて。危うい状況の中で辛うじて成立した部分があると感じていた。
水野:多治見に戻ってきたころは、「土から生える」よりも「フェスティバルFUKUSHIMA in Tajimi!」や「カレーと音楽と器の祭典 摩咖摩咖」の方がぼくの中で存在として大きかった。 やっぱりリアルタイムだったしインパクトがあったかな。自分の中で文化に対する意識はまだそんなになくて。当時はクラブに入り浸っていて、野外フェスやマーケットイベントが増えてきてる時代だったから、多治見でもそういうイベントができるんじゃん!みたいな。「土から生える」は時代的な距離感もどこか遠い存在だった。
まちの変化と、日々のつながりから2024年の実現に向かう
―どこで「土から生える」を復活させようというスイッチが入ったんですか?
伊藤:「フェスティバルFUKUSHIMA in TAJIMI!」の時は、商店街の玉木酒店さんや安藤さん、森北伸さんもいろいろと尽力してくれたけれど、みんなで一緒になって継続的に何かをやる感覚とはちょっと違う部分も正直あって。そこから2022年に「土から生える」の復活を目指して会場を見に行ったりしたけれど、まだ具体的に動き出しそうな雰囲気はなかった。
水野:視察をして、単純に「すごい...」と思ってたけど、本当にやるの?という感じだった。ちょっと様子を見てみようかなって。みんなワクワクはしていたけど……。
伊藤:あの時に水野くんが「やりましょう!」って言っても、きっとまだ進まなかったよね。2、3年前だったらみんなの反応もそこまでなかったはず。
水野:安藤さんたちにもそれは話していた。でも、そこから安藤さんが「土から生える」というフレーズを再び使い始めた。安藤さんが言葉にしてくれたことによって周りはザワッとした。その当時の岐阜県現代陶芸美術館の学芸員さんだったり、身近なところでザワザワし始めた。でも、あの時は「いま」じゃなかったんだよね。
伊藤:まだ少し早かった。
水野:そんな中で、あらためて安藤さんや高橋さんと話してみて、ギャルリ百草での「土から生える」を振り返るトークイベントもみんなで聴きに行った。でもその時にはまだぼくらの気持ちもちゃんと伝わってないし、向こうもどう思っているかよく分からないという距離感を感じた。そこで一回潜るわけ。そこから急浮上したのが2024年2月。
―セラミックバレーのシンポジウムですね。
水野:ぼくも一回潜ったけれど、別にやらないと決めたわけでは決してなかった。「土から生える」を復活させたい想いがある一方で、どう理解してもらったらいいんだろうとずっと考えていて。そうしたら急にセラミックバレー協議会のチェアマン・笠井政志さんが安藤さんとのトークセッションで切り込んだ。それが結果的に良かった。
―その時は驚いた?
水野:笠井さんと裏では喋っていたんですよね。今回のトークイベントを経て「土から生える」の開催にこぎつけたい、という筋書きを。トークの中でそれぐらいの話題は出てくるだろうと思っていたら、そしたら笠井さんがテンション上がっちゃって、安藤さんに「うん。」と言わせた。ぼくからすると本当にびっくりだった。だから、あれは本当に大きな出来事だった。
伊藤:その時の大きな流れがあって、個人的にもそうだし、まちとしてもお店ができたり、人が移住してきたり、元々住んでいた人たちも動き始めて、何かが起こる土壌ができていた。そしてそれぞれが単独で活動していたのが徐々につながってきていた。みんなの関係性ができてきたちょうどいいタイミングの中で、あのトークイベントがトリガーとなった。
―トークイベントから半年ちょっとでみんなの気持ちの入っていったのは何故だったのでしょうか? 半年で実現できたことも、あのクオリティのものが届けられたことも、ある種、奇跡的だと思えるほどです。
伊藤:逆に短い準備期間だったからこそ、できた部分もあると思いますね。きっと、そういうものをみんなもどこかで求めていた。例えば、ギャラリーやショップは、基本的に個人のビジネスなんだけれども、やっぱりこの周辺の人は個人であると同時に地域のという意識が分かち難くあるわけですよね。自分たちのビジネスがうまくいけばそれで良いという考えにはならない。自分たちに利益が来るのは地域が成り立ってから、初めて個人のところまで降りてくる。一時的にはもちろん売れる・売れないはあるかもしれないけれど、それだけだと持続性がない。
―なるほど、地域に対する意識ですね。
伊藤:作家との距離感も、東京と多治見では全然違う。もっと近いというか、単なるビジネスパートナーだけじゃない。同じ地域に住んでいるし、学生時代から知っていて、彼らの今後のキャリアをどうするのかというところまで考えている。そういった距離感の中でやっぱりそれぞれやりたいことがあって動いているけれど、みんなで一緒になって何かをやる機会はあまりなかった。もう少し長いスパンで、自分たちに近いところでみんなが協力して何かを実行できるプラットフォームを求めていた。
CCC(CERAMIC VALLEY CRAFT CAMP)もそういう部分はあると思うけど、基本的には数日のイベントじゃないですか。より一層地域に寄ったものがやりたいという思いが漠然とあったと思う。そのスイッチが笠井さんの一押しで入った。安藤さんも、大変だったからやりたくない気持ちもありつつ、復活自体を望んでいなかったわけじゃない。ただ大変だったから自分主導でやるのはちょっと…というところで、笠井さんが後押しをしてくれた。安藤さんの中にやりたいことはいっぱいあるからアイデアが出てくる。みんなもいろいろ考えていたことがあるから、それぞれが乗っかってきたらスピードがだんだん加速していったんじゃないかな。
それまで飲みに行ったり集まったりする機会はあったにせよ、一緒に何かをやれる第三者的な場所はなかった。もう少し大きなプラットフォームとして継続性のある活動をできる場所を、みんながどこかで求めていた。
―行政が地域を起こしたためにアートイベントを実施する文脈とは全然違いますよね。
伊藤:「土から生える」は、そもそも内容がすごく特殊なもので、やきもののまちの企画でありながら、そこだけに頼らない。展示場所はやきものに関わっているけれど、出展作家にいわゆる陶芸家という人は少ないわけです。そういう特殊性もあるから逆に入りやすかったのかもしれない。もちろんわかりにくい部分もあったかもしれないけれど、それをみんなで学びながら進めた。実際に設営を始めたら作家との距離感も通常よりも近かったと思うし、運営側にものを作る人たちが多かったので設営能力もすごく高くて、一般的な芸術祭とはまったく違う動き方だったと思います。
―水野さんは何故やれたと思いますか? 曖昧で危うさを持った組織が半年で芸術祭を開催できた理由について
水野:そこに関しては、ほとんど伊藤さんが言った通りだと思う。ただ細かい部分をいろいろ話していくなら、やっぱりCCCで地域との関係を丁寧に作ってきたからだという自負はあります。例えば、どこの場所を使うかを最後の最後に決めに行けたのはやっぱり自分の中で手応えとしてあって、これができたのはCCCをみんなでやってきたおかげなんじゃないかと。
ぼくらの存在が地域に少なからず認知されていたのは大きい。いきなりぼくが何の実績もなく「新町ビルを運営しています、あの図録を持っていって復活させたいんです!」と言ったところで、前回が16年前のことだったのでなかなかわかってもらえなかったと思う。でもCCCで頑張っている水野さんならと話を一回は聞こうとしてくれたし、市長や商工会議所の会頭も関係を持てていたから。みんながヒントをくれた。
その上で期間が限られていて、もうここでどうにかするしかないという背水の陣だったからこそみんなが本気になれた。今いるメンバーは「やらない・やれない」がない人たちばかり。「やるって言ったからにはやる」という人しかいなかった。全員そう。冷静な意見は言ってくるけど、「やるか・やらないか、どっちですか?」と聞いたら「まあ、やるけど」って人しかいない。笑
―確かに。笑
水野:場所を借りるときも大変だったけど、本当に色々な人が協力してくれて何とかなった。
伊藤:ものすごく親切な人ばかりだったよね。
水野:水野くんの人柄じゃない?ってみんなが冗談で言ってくれるけれど、それはラッキーだったという話で。そういうのが全部恵まれたよね。今となってみれば、自分たちでやったという感覚よりも何かのおぼしめしに近いものでやらせてもらえた感覚はあるかもしれない。ドラマチックなことを言うと、やっぱりこれは坂田さんに見られているのかなという感じもする。
伊藤:そうだね。
水野:だって、あんな場所が16年そのまま残っているなんて、絶対にありえないと思っている。あれが残っていた時点でもうやるしかないと思った。
―視察の時も前向きな気持ちが少しはあったはず。でも、いまの話聞くとその時は、2008年と精神的に距離があった。しっかり興味を持てたのは何故だったんでしょうか。
水野:いろんな人との関係がぼくをそうさせている部分もあると思うので、一つずつ説明させてもらうと、まず伊藤さんとの関係が少しずつできていったわけです。2019年から毎年開催している内田輝さんの演奏会もひとつのきっかけ。多治見の中で文化的な活動を一緒にやれていたし、お互いの状況に左右されずに毎年続けていこうと。ほぼ同じタイミングで新町ビルも始まって、ビルの中で伊藤さんに茶会をやってもらったこともある。これがまず一つ目の文脈。
次に「土から生える」にたどり着くまでのもう一つの文脈が、ぼくや花山和也くん、笹田理恵さんたちとの関係だね。新町ビルができたことで一緒に小さなイベントや展示を含めてやるようになった。そんな中から自分たちでも何かやろう、もっと広い意味で世の中に訴えられるようなことやれるんじゃない?という視点からCCCになり、大きなイベントをやれるようになった。
それからセラミックバレー協議会。地域のすべてを網羅していくべきだという考えがある中で、笠井さんと井澤さんにとって足らないピースが安藤さんだった。どう結びつけていけばいいんだろうとぼくの中でずっと考えていた。
―なるほど。さまざまな文脈が重なるわけですね。
水野:もう一つ、安藤さんとぼくとのとても個人的な文脈がある。安藤さんのことを尊敬しているし、地域にとってすごく必要な人で、いろいろ学びたいと思っている中で、安藤さんにとって欠かせない存在が坂田さんだった。しかし、坂田さんが亡くなって安藤さんが落ち込んでしまった。そこから安藤さんと何かできないかと思って考えたのが「土から生える」だった。坂田さんの遺伝子は残っている、一緒にぼくらと何かやりましょうと。ざっくりとこの4つの文脈があって、それが今回のタイミングでたまたま重なっていった。
その手前でCCCやいろんな活動をする中で「土から生える」への興味がどんどん膨らんでいくわけですよ。やっぱりすごかったんだなって。「土から生える」は今やるべきじゃない?という思いがあったから本を安藤さんから買わせてもらったり、会場を見に行ったりしていた。
伊藤:やっぱり3年に1回のイベントだけじゃなくてもう少し継続性のある活動としてやっていくのかが大切だと思う。3年に1回に向けて頑張るだけじゃなくて、その間に何をやっていくのか。リサーチもそうだし、教育的な部分と同時にサポーター人材を広げていくのも重要。今回の図録の制作をはじめアーカイブを残すためにも継続的な活動が大事になってくる。それもうまくやれば十分できると思う。一つの区切りとして3年に1回展示があるという風にしていけたらいい。高橋綾子さんが言っていたけれど、お祭りじゃなくて継続的な活動になるためには、これだけ地元に関わる人がいるっていうのも重要な部分だと思う。
水野:そうだね。
伊藤:それからそれぞれが運営している場所との連携ももっとやっていきたい。会場を一気に増やすのは難しいと思うけど、同じ時期に関連付けられた展示をサテライト会場としてそれぞれの場所でやれたらいい。ただ「土から生える」を周るだけじゃなくて、もう少し地域に足を運んでくれる人も増えるだろうし、地域全体を見てくれる。そういうことが今後の展望としてつながっていくと、今回の体制やプラットフォームとしての動きがさらに意味を持ってくる気がする。
水野:残念ながら集客という意味では、2024年は本領を発揮しきれなかった。これだけ魅力的な場があり、モノがあり、人がいるのに、それを2024年に俺らがちゃんと丁寧にみんなに紹介できていたかというと、正直足りなかったと思うんですよ。例えば、中島酒造がどんな場所で、どんな地域で、どんな日本酒で……ときちんと説明ができていたり、朔さんと中島醸造さんがこんな話をしてきたからこそこんなことができたというところを、もっと掘り下げながらきちんと丁寧に広げていけると、それがそのまま地域全体の魅力になるし、「土から生える」の魅力としてさらに伝わっていく。これはまだまだこれからだよね。
伊藤:開催自体にみんなが集中していたから、掘り下げて発信して届けることが丁寧にできなかった。我々としても、もっと自分たちがやっていることに対して俯瞰的に見て学んでいくことができればいい。勉強会などでキュレーションについても、もう少し広い範囲で考え方を共有していくプロセスも大事だと思う。関わる人たちがきちんとそれぞれの言葉で説明できるようになっていくといいなと思うし、そこが広がりを持っていけば活動としても広がっていく。
―お祭りではないし、ある種の土着的なチームでもある。それを続けていくという前提だと今回の図録の役割が、実は一般的な芸術祭が発行する本とは少し違ってくる気がします。書籍制作の打ち合わせでは「2027年のために作る図録なんだ」と話すけれど、「土から生える」を届けきれなかった人にもやっぱり知ってほしいし触れてほしい。だからこそ、いつこの図録に触れてもいい。刊行して終わりではなくて育てていく本にもなりそうです。
伊藤:その意義は今回のクラファンにおいて一番重要なところ。次への第一歩の意味合いが強いと思う。もちろん記録をまとめるんだけれど、そこから何ができるのか。
水野:次回の「土から生える」に来てほしいよりまず、またこの地域に来てねという思いが、大前提で自分たちの中にある。それはこのチームの強さだと思う。自分たちの場所も持っているし、紹介したいところをいくらでも持ってるから。もちろん次の「土から生える」に来てほしいんだけど、実はみんなこうやって話していくと最後は「またここに来てね」って本気で思っている。
伊藤:関わったほとんどの人が、ここで生きていくしかない。嫌になったからやめて、次にどこかに行くような人ではない。
―確かに、腹が決まっている人は多い。地域の人たちがやったからこそ、どのタイミングでもいいから来てほしい。しかもそれを迎え入れる場所はみんなが持っている。
水野:だから、もっと地元の人たちを巻き込んでいかなきゃいけないだろうし、それができたらもっともっと面白くなっていく気がする。
伊藤:地元で関わる人たちをもっと増やしていけるといいよね。高田地区の会場で迷ったお客さんを紹介してくれた地元の人もいたのはよかった。自分もそうだけど、子供の頃はやきもののまちという認識もないから、これだけいろんな素晴らしい作家がいて、素晴らしい産業があることを認識できる環境もつくりたい。一度外へ出ても戻ってこようかなと思う人も増えるかもしれない。今回はできなかったけど、学校を回るのにも挑戦したいよね。簡単な授業や土に触れる授業みたいな。今後いろんな可能性が出てくると思うので、活動の一つとしてあり得るかもしれない。
水野:絶対にやったほうがいい。やりたい。
―本がそういった活動につながるきっかけになるのではと思っています。まだ出来上がっていないけれど、どんな図録になりそうですか?どんな風に楽しみにしててほしいですか?
伊藤:いわゆる記録集とはかなり違う仕上がりになると思います。デザインも、写真やレイアウトのやり方も、より場所の雰囲気を感じられるようにしている。ビジュアルだけでも会場に行ったような気分を感じられるはず。ただ単に記録で写真が並んでいるわけじゃなくて、写真一枚から空気感を伝えようとしているし、同時にイベントのレポートを読み込んでいくと、これまで話してきたような背景などを理解できる。
水野: だから、伊藤さんとも喋っていたけれど、この本ってどう説明するのが正しいんですかね。
伊藤:どんな名前を付けるかも大事かもしれない。本なのか図録なのか、記録集なのか、カタログなのか。
水野:結論的に言うと、それらを全部カバーしている気がする。表面的な話をすると、なんだかんだ1日で全会場を回るのは大変だったと思う。今回の本は、全会場の写真と説明が写真集としてすごく丁寧に記録されています。まず、これが一つの魅力。そして、毎週のように各所で行ってきたイベントが展示と同時に「土から生える」を両輪として動かしてきました。その全てに参加してもらうのは無理だったかもしれないけれど、それらを写真と文章で網羅しています。体験型作品集、写真集かつ記録集みたいな感じだよね。これをだからどういう言葉にするのか。
伊藤:やっぱり展示を全部回った人はいるけど、関連イベントも含めて全部参加した人はさすがにいないと思う。そういう意味でも全体を全て体験してる人はいないわけです。それを追体験できるのが大きいよね。
水野:そうそう。
伊藤:だから、展示を全部観ただけではすべてを体験したことにはならない。我々が考えていたことは、トークイベントやワークショップを含めて初めて見えてくるはずです。それを伝えられるのが本の魅力だよね。関連イベントの記録まできちんと残すカタログはなかなかない。
―それぐらい、私たちがトークイベントやワークショップのことを重要視している。コンテンツの一つとしても集客のためではないイベントをしてきたということですね。
伊藤:それが全てあって「土から生える」になっていくのが大事なところだと思います。
―そこを皆さんに改めて理解してほしいですね。展示作品を見て感じたものが全てだと思っている人もいるだろうけど、もうちょっと一歩踏み込むともっと面白い広がりがある。
伊藤:展示は全部見たけど、関連イベントには参加できなかった人もいる。でも、プログラムすべてがつながっていた。図録のテキストを読むと展示もまた違った視点から自分の体験をもう一回捉え直すこともできるかもしれない。そうやって図録の意味が出てきて、全体の輪郭がぼやっと見えてくるのが役割かもしれないですね。
水野:本のことも含めてだけど、ずっと「土から生える」って何なのか。やっぱり言葉にできない何かをすごく追い求めているよね。「土から生える」は芸術祭なのか。アートプロジェクトという言葉にしたけれど、一つの言葉にできると強さが持てそうな気がする。「土から生えるは、単なる芸術祭ではありません。○○です」と言えたらすごく強いんだけど、いまはまだ歯がゆい。本の話も一緒で「これは単なる作品集ではありません。○○です」と言われたらズバッとくる。俺らは肌感で分かっているんだけど、これどう言葉にしていいのか。惜しいところまで来ている。
―もしかしたら2027年に向けて得られる言葉かもしれないし、本を刊行したら出てくるのかもしれないですね。
水野:2027年は、スタート時点でそこのぶつかり稽古をやったほうがいいかもしれないね。芸術祭じゃないなら何なんですか?アートプロジェクトって何ですか?だって、アートプロジェクトってそもそもの大義ではない。だからある意味、属性からの脱却は大きなテーマ。すごく日本人的な美を大事にしながらも、日本人的な集団心理からは逸脱しようとしている精神性がある。これは「土から生える」の魅力かもしれない。これらをどうやって端的な名称にするのかはすごく難しい。
―だからこそ、伝わりにくさや届かなかった部分がある。
伊藤:キュレーションを含め情報量が多いし、はっきりと定義しきれない部分もある。言葉にしなきゃいけないけれど、言葉にするとこぼれ落ちちゃうものもあるから難しい。
水野:それなら言葉にできないっていうことを一つ言葉にするべきなのかもしれない。
伊藤:もちろん説明しようとすることは大事なことだよね。
水野:美徳みたいな話だけじゃなくて、正直、それらからの脱却が全てな気もする。いまぼくらがこうやってみんなで力を合わせてやっていることは、そういうことなのかな。
―いま、私たちの周りにはそういう人が多い気もします。何かの型にハマるのが好きじゃない。これも好きだし、これも好き。こうでもあるし、こうでもあるみたいな状況を体現している。
水野:たぶん昔だと、それが一匹狼でつながることはなかったのに、ぼくらの場合は狼じゃないんだよ。そもそも動物が違う。みんな一匹で生きていくんだけど、感覚的にはそれが一緒に集まっている感じなんだよ。自分一人でも仕事はやっていくし生きてはいくけれど、集まることに抵抗がない。一匹狼がいっぱいいて、バチバチやっている2008年みたいな感覚ともちょっと違う。
―いま地域が変わっているし、「土から生える」というものが生まれたことによってこの先の未来も変わっていくと期待したいところですが、未来に向けた「土から生える」の存在意義についてはどう感じていますか。すごく長く考えると、私たちが今の安藤さんくらいの年齢になっていても開催されている可能性もある。
伊藤:文化に対する認識が変わっていくと良いなと思います。ここの店に行ったらすごく良い器が出てくるというのは多分あると思うんだけど、何気なくふらっと入った居酒屋で当たり前のように良い器が使われているのが文化だと思う。これ見よがしじゃなくて当たり前のように水準が高いのが一番良い。それはやきものだけに限らず、いろんな部分で当たり前のように質が上がっていくと良い。例えば、その辺の酒屋に入ったら店主がお茶をたててくれるとか。西尾だったら縁側で抹茶が出てくるみたいな話があるじゃないですか。作る場であったけど使う場ではなかったところが一つの課題。売る場所であって使う場所じゃない。相手は外にいる。今でも大筋はそうだと思うんだけれども、やっぱり多治見にいるんだから、それぞれの食卓の器も良いものを使っていて欲しいと思うし。30年経ったら当たり前になっているといいなと思うけどね。
水野:そうなってくると、結局やっぱり教育みたいな話かな。
―地域の文化度が自然と上がってくる。
伊藤:そうそう、それが長期的で継続的な活動だと思う。誰か有名人がゲストで来てくれる、とかじゃない。世界的なアーティストが居酒屋に行ったら横にいるのも面白さだけど、わざわざ外から呼んでくるんじゃなくて、当たり前のようにその辺にいて普通に飲んでいる。それが一番面白い気がする。それもやきものだけじゃなくて、アートもだし美術館の在り方も変わってくるかもしれない。
―実際、美術とされるものに触れられる場とか機会も増えてくかもしれない。
伊藤:人がたくさん来ればいいという話でもないじゃない。もちろんある程度の数は必要ではあるんだけれども、ただそれだけではなくて同時に住んでいる人たちの文化度が上がっていく、文化が自然と馴染むといいなと思う。
水野:僕がやっぱり思い描く日常というのは、越後妻有もそうなっているけれど、芸術祭の期間じゃなくても、アート作品が身の周りにある。お店も日常的にやっている。例えば、「やきもののまち」というわりに多治見駅に降り立ってその雰囲気を感じられる要素は少なかったりするわけじゃないですか。制作の現場や販売場所へのアクセスもまだまだ弱い。もっと当たり前のようにまちの中に溢れているといい。個人的にはぼくや伊藤さんよりも若い人でお店をやる人が出てきてほしい。この何年かの間に一軒でも若い人がやきものを扱うお店を始めたら、一つ成功かもしれないと思う。
伊藤:世代や年齢で次に繋げていけるかは喫緊での課題の一つだと思う。男女比もあるかもしれない。どうしても男が集まりがちだから、それももちろん変えていけるといい。次のコアメンバーで、30歳くらいの子とかが来てくれたらいい。
―話が広がり続けてしまうから、そろそろまとめますね。これって意外とみんな知らない話。関わっているスタッフさんも知らない気がする。
水野:そうだよね。だから、こういうことをとにかく一個ずつ手につなげていく。それをやれば絶対に人は勝手に来る。面白いに決まってる。そこに関する自信はめちゃくちゃある。
伊藤:中身に対しては、みんな自信を持っているわけだから、あとはどう届けるかだね。
―本も同じ。ちゃんと売れてほしい。多くの人に手に取ってほしい。
伊藤:クオリティの高いものができたから満足するのではなくて、一人でも多くの方に届いてほしいね。
▽支援にあたってのご留意事項▽
※第一目標金額達成後のご返金やキャンセル、リターンの変更等はご対応致しかねます。
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※リターンについて、有効期限内にやむを得ない事情によりご案内が困難になった場合には、有効期間について個別に調整させていただくこととし、ご返金は致しかねますのでご了承ください。
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※本プロジェクトのリターンについては日程をよくご確認の上、お申し込みください。また調整の都合上、日程・内容が変更となる可能性があることをご承知ください。またその場合においてもご返金はいたしかねますので予めご了承ください。
※リターンに旅費交通費及び宿泊費は含まれません。
- プロジェクト実行責任者:
- 水野雅文( 土から生える実行委員会 )
- プロジェクト実施完了日:
- 2026年3月31日
プロジェクト概要と集めた資金の使途
ご支援金は「ART in MINO 土から生える 2024」を伝える図録制作費、クラウドファンディングの諸経費に充当いたします。
リスク&チャレンジ
- プロジェクトに必要な金額と目標金額の差額について
- 自己資金にて補填いたします。
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プロフィール
やきもののまち・岐阜県東美濃で2008年に始まったアートプロジェクト「土から生える」を復活させ、民間主導で2024年秋に岐阜県多治見市・土岐市・瑞浪市を舞台に開催した展覧会「ART in MINO 土から生える2024」実行委員会です。
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リターン
5,000円+システム利用料

図録|ART in MINO 土から生える2024|1冊
◇図録|ART in MINO 土から生える2024|1冊
クラファン限定の先行予約です。昨年秋に開催した「ART in MINO 土から生える2024」3市6会場の各展覧会場の写真と解説、展示期間中に毎日のように開催したトークイベントの内容などを掲載した図録となります。
※通常販売価格 5500円(税込)を想定
- 申込数
- 125
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2026年3月
10,000円+システム利用料

お気持ち追加支援コース|図録|ART in MINO 土から生える2024
◇図録|ART in MINO 土から生える2024|1冊
※プロジェクトへ追加のご支援を寄せてくださる方向けのコースです。さらに応援をしてくださる方は「純粋応援コース」を選択いただくとご支援の上乗せも可能です。
※通常販売価格5000円程度(1冊)を想定
- 申込数
- 33
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2026年3月
5,000円+システム利用料

図録|ART in MINO 土から生える2024|1冊
◇図録|ART in MINO 土から生える2024|1冊
クラファン限定の先行予約です。昨年秋に開催した「ART in MINO 土から生える2024」3市6会場の各展覧会場の写真と解説、展示期間中に毎日のように開催したトークイベントの内容などを掲載した図録となります。
※通常販売価格 5500円(税込)を想定
- 申込数
- 125
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2026年3月
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◇図録|ART in MINO 土から生える2024|1冊
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※通常販売価格5000円程度(1冊)を想定
- 申込数
- 33
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2026年3月
プロフィール
やきもののまち・岐阜県東美濃で2008年に始まったアートプロジェクト「土から生える」を復活させ、民間主導で2024年秋に岐阜県多治見市・土岐市・瑞浪市を舞台に開催した展覧会「ART in MINO 土から生える2024」実行委員会です。























