クマグスクのアートワーク塾第1期終了のお知らせ
支援していただいた方々、この度は「クマグスクのアートワーク塾」を応援していただきありがとうございました。
クマグスク代表の矢津です。
おかげさまで皆様のお力添えによって素晴らしい第1期となりました。
想像を超えることが多く、新しい発見の毎日でした。
今後、第2期、第3期…、と引き続きアートワーク塾を続けてまいりたいと思いますので
引き続き見守っていただければ幸いです。
さて、アート×ワーク塾第1期は9月29日の全塾生による展覧会の終了をもって終えました。
アート×ワーク塾のプログラムの最後に塾生全員参加の展覧会をするというアイデアが出た時、「正直、ハードルが高すぎるのでは…」と話した事を覚えてます。
それは塾生にも僕ら運営側にも言える事で、果たして作品を全く作った事のない人たちを展覧会に導く事ができるのか?
下手すると、表面上のアートっぽさだけをなぞるような意味のない作品をつくることになりかねない…
そもそも展覧会自体が成り立たない可能性だって十分ありました。
でも、9/29の展覧会最終日、その不安は消えました。
そこに立ち現れたのは僕の想像を遥かに越えて、僕の、展覧会、作品、アートへの考え方そのものを揺さぶるものでした。
「アートは人間の根源的な営みであり技術である」
「アートはあなたの中にある」
「この3か月間あなたの中にあるアートと向き合ってください」
僕らが最初の授業で塾生たちに伝えた事です。
もちろん、個々の作品にはクオリティの差はあるし、アートの軸で評価すれば取るに足らないものばかりかもしれない。
でも、塾生たちが3か月のプログラムを通してアートを自分の内に発見し、それを半ば無理やりに発露させる事によって剥き出しになった個が、展覧会という特殊な場に置かれる。
もしかしたら塾生たちはその制作過程で苦しみもがき、恥ずかしい自分や目を背けたい過去と向き合う事になってしまったかもしれません。
塾生の1人が展覧会の合評で発した
「裸の自分をみられているよう」
という言葉、
職業という服を脱ぎ、裸で立つ姿があの展覧会にはありました。
そして、その事の意味はつくることだけでなく、それを“観ること”にもあったと思います。
展覧会は観せる場です。
『作品という鏡に映った自分の裸を観る』
作品は自分を改めて解釈するための道具のように機能していました。
そして、それは同時に他者と何かを共有し思考するためのものでもある。
観た人との会話が解釈に揺らぎをもたらし新しい自分に出会わさせてくれる。
それがあの展覧会で起こっていたことでした。
本当に素晴らしいことです。
29日、塾生が一同に会したあの公開合評によってこの展覧会が完成したことが僕には分かりました。
あの展覧会は作品だけでは成立しない
作品と作者と鑑賞者によって完成する新しい展覧会の形があったように思います。
【リターンの発送状況について】
今、リターンの準備をしております。
お待たせして大変申し訳ありません。
映像アーカイブ受講については近日中に発送できるかと思います。
また、事業計画書についても近日中に発送できるかと思います。
テキスト記事についてはまだ少し時間がかかりそうです。11月中を目指して鋭意製作中です。
どうぞよろしくお願いいたします。