初めてのバングラデシュが終わり、日本に着いて早々、
貧困とはなんなのか今一度考えることにしました。

「貧困とは何か」とタイトルに書いてある本を探しては、手に取り読みました。

すると、そこにはバングラデシュではあまり感じることのなかった貧困の悲惨な状況が書かれていました。

 

本が誇張しているのか、私が見ていなかったのか。

すぐにバングラデシュに戻りたくなりました。

 

そして、今度はもう少し長く滞在をするために大学を休学し、バイトで費用を稼いでバングラへ向かいました。

 

「前回、直視できなかった人々と向き合うために。」

 

スラムを何度も訪れ、物乞いの方々を観察していました。指差しベンガル語という便利な単語テキストを利用して交流をはかっていました。

 

バングラデシュには露天のお茶屋さんが、そこかしこにあるのですが、

ほぼ毎日3、4軒同じところを回って顔を覚えてもらい、交流しました。

 

 

ところが、旅というものは予想外の出来事が起こるもので、
ひょんなことからチャクマ民族というバングラデシュのマイノリティ民族の方と知り合うことができました。

チャクマ民族とはバングラデシュの東南側で暮らす先住民族なのですが、
軍主導による襲撃事件などで今も文化や生活が脅かされている状況にあります。

私は、彼の故郷を訪ねる決心をし、バスで16時間かけて現地へと向かいました。

 

当時、外国人がその地域に入る場合は許可証が必要で、その手続きで2日ほど足止めをくらい、目的地までの道のりが本当に大変だったことを覚えています。賄賂も払いました。

中に入ると、地域のあちこちに検問所のようなところがあり、軍が見回りをしていました。

民族が異なるとはいえ、同じバングラデシュの国籍をもった人々なのに、監視されながらの生活を強いられていました。

橋の向こう側はベンガル人(入植者)の住まい、こっち側が先住民族の住まい。

ベンガル平野からやってくるベンガル人と先住民族の間には大きな溝が出来ているようで、住んでいるところが分かれていました。

 

また、ここに住む先住民族の中には、難民として海外へ出て行った人々も少なくなく、
本来ここにらいるべき人がいないということの悲しさを知りました。

 

私にとっての2度目のバングラデシュは、

民族紛争というバングラの新たな一面に触れる旅になりました。

 

これまで貧困についてばかり考えてきましたが、そこには実に様々な問題がありました。

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