プロジェクト概要

 

鹿児島県最西端の駅・阿久根。

 

ここに、雨ざらしのまま放置されている車両があります。

 

オハネフ25-2209と、オハネフ25-206。かつて寝台特急「なは」として人気を集めました。

 

2008年に鉄道としての役目を終えたあと、2009年に宿泊施設「あくねツーリングSTAYtion」として生まれかわりましたが、運営元の解散に伴い、2014年、営業は停止。

 

現在は閉鎖され、誰の手もかけられず、ただ風雨に車体を晒しています。

 

かろうじて車内はまだ使える状態です。しかし早く救出しなければ、いつしか取り返しがつかないほど痛んでしまい、待ち受けるのは「廃車」という未来です。

 

ブルートレインに魅せられて育ってきた鉄道愛好家として、どうにか救出することはできないか……考え続け、ひとつの決断を下しました。

 

「車両を私の暮らす香川県善通寺市に引き取り、私の店の隣に設置して、再び宿泊施設としてよみがえらせる」。

 

そのために、この2年間、あらゆる方法を模索し、相談し、さまざまな方の協力を得て、ようやく移転の算段をつけることができました。

 

ただ、車両購入と輸送費が自己資金だけではどうしても不足しており、このたびクラウドファンディングに挑戦します。

 

車両が朽ち果てるのを黙って見過ごすことはできない。

 

この思いにご賛同いただける方、どうか私たちの挑戦を後押しいただけませんでしょうか。

 

かつて鉄道少年たちの憧れだった、ブルートレイン「なは」。画像提供 : 日本海ファクトリー

 

 

全ての運行が廃止になったブルートレイン。
いま、私が「なは」を迎え入れたいと思った理由。

 

改めまして、初めまして。香川県善通寺市でうどん店「岸井うどん」を営む岸井正樹と申します。
 

約15年間、昔ながらの手打ち・手切りのうどん屋を夫婦でやっています。今では地元の方だけでなく、全国からうどんを食べに来てくださるお客様が多くいらっしゃいます。

 

お店の目印は"ビニールハウス"。少し風変わりな見た目にしたのは、うどんを食べながらお客様が楽しめる場所を作りたい、という思いがあったからです。

 

 

では、香川生まれ香川育ちでうどん店を営む私がどうして「なは」を迎えようと思ったのか、個人的な思いにはなりますが、お話しさせてください。


ブルートレインとの出会い

 

幼い頃、両親に連れられ訪れた大阪万博の帰りに乗った「ボンネット形電車うずしお3号」がきっかけで、私は電車が好きになりました。中学生の頃には、休日のたびに父のカメラを借りて、鉄道車両を撮影しに出かけるほどの鉄道ファンに。

 

その中でも、私の憧れだったのが、ブル-トレインの愛称で呼ばれた寝台特急でした。

 

しかし、当時のブル-トレインは岡山駅まで行かないと見ることができない列車で、時刻表も深夜早朝ばかり。中学生だった私は、なんとか母親を説得し、時刻表を片手に岡山駅まで向かいました。

 

初めて見るブル-トレインに興奮は止まず、「彗星」「あかつき」、電車寝台の「明星」キハ82時代の「なは」「日向」などを次々にカメラに収め、その写真を友人に自慢したことを思い出します。

 

また、幼い頃に父から、『出張の時は必ずブル-トレインの「瀬戸」で缶ビール飲みながらゆっくり行くのがいい』とよく聞かされ、私もサラリーマン時代は東京出張の際、「瀬戸」に乗って先輩たちと缶ビールを飲みながら上京していました。

 

画像提供 : 日本海ファクトリー


相次ぐ運営廃止、それでもブルートレインへの思い入れは変わりませんでした。

 

1970年・80年代には「ブルトレブーム」が起こるものの、新幹線や飛行機、高速バスなどの普及による利用客減少によって、2000年代には相次いで廃止になってしまいました。

 

ある時、鉄道雑誌を見ていると、廃止になった寝台客車の保存車を宿泊施設として活かす先駆けとなった事例を見つけました。2009年に肥薩おれんじ鉄道・阿久根駅前にオ-プンした「あくねツ-リングSTAYtion」のことです。
 

2008年3月まで寝台特急「なは」で使われていた「オハネフ25-2209」「オハネフ25-206」がライダーハウスとして宿泊可能な施設に生まれ変わったのです。

 

「デュエット」で唯一の保存車となった「オハネフ25-2209」に泊まれるとあって一時は人気を集めました。

 

 

しかし、運営団体が解散したことで、2014年で営業休止に。そして2両はそのまま駅前に「放置」されつづけています。

 

屋根もない状態で、丁寧なメンテナンスも行われず。今もこの姿を写真に収めようと鉄道ファンが訪れることもありますが、その外観にはどんどん傷が増えています。

 

 

「なは」譲渡への道が開ける

 

そこで、なんとか車両を四国に迎え、自分のもとで保存できないかと考え、阿久根市役所へ連絡してみることに。すると、「あくねツ-リングSTAYtion」の管財人さんの連絡先を教えていただくことができたのです。

 

管財人さんへ連絡すると、車両の譲渡について真摯に検討くださいました。

 

阿久根を訪ねた際は、特別に内観も見せていただいたのですが、まだ綺麗に保存されており、当時のままの姿を残していました。

 

実際に自分の目で見たこともあり、この大切な昭和の遺産・九州ブル-トレインをなんとしても守らなければ、と強く感じました。

 

そして「あくねツ-リングSTAYtion」からも許可を得ることができ、プロジェクトはいよいよ現実となりつつあります。

 

オハネフ25-2209「デュエット」

 

車両内の廊下

 

 

廃車として消えゆく前に、"寝台"としてもう一度。
車両の輸送・設置に、700万円が必要です。

 

現在、2両は鹿児島県阿久根市で管理されています。今回は、2両のうちのまず「オハネフ25-2209」の方を購入し、善通寺市まで輸送・設置したいと考えていますが、全部で1,000万円ほどの費用がかかってしまいます。

 

そこで今回皆様に、その費用の一部をご支援いただきたいと考えています。

 

無事輸送が叶えば、自己資金で内観・外観の補修を行い、私のうどん店と同じビニールハウスで覆って、雨風もしのげる状態で、保存をしていきます。

 

そして再び宿泊施設として営業していく予定です。

 

 


四国遍路の駅・オハネフの宿「ブル-トレインなは」

 

設置場所:四国遍路の駅・岸井うどんとアジアの里農園と同じ敷地内

オープン予定:2020年秋から乗車可能(宿泊ができるのは2021年春を予定)

●施設について
車両内は、宿泊スペースのみとなります。車両外の四国遍路の駅構内に併設してトイレ、シャワー室、交流スペースを作ります。宿泊施設のオハネフ25-2209の中は、「デュエット」と言って二人用個室が11室あります。

●営業日:土日祝日を含む週5日程度

●宿泊料金:1室9000円(税込)予定


【資金の使い道】
・車両輸送設置費用:7,500,000円
・車両購入費用:1,000,000円
・車両設置場所周辺整備費用:500,000円
(上記のうち、一部をクラウドファンディングで募集いたします)


※画像提供 : 日本海ファクトリー (愛称別トレインマーク事典)

※本プロジェクトは、「あくねツ-リングSTAYtion」管財人様から許可を得た上で実施しています。また、内容に関して「あくねツ-リングSTAYtion」管財人様に問い合わせ等を行うことはお控えください。

 

 

瀬戸大橋が開通して30周年。
ブル-トレイン「なは」を"瀬戸の花嫁"として迎え、四国遍路により多くの方が訪れることを願っています。

 

車両を迎えたあかつきには、その周りを植物で囲み、憩いの空間をつくります。古き良き時代の懐かしさ溢れる空間で、人と人との出会いや繋がりの場所をつくり、守っていくことで必ずみなさんのご支援の恩返しをしていきたいです。

 

現在「四国遍路を世界遺産に」という動きが高まっています。

 

四国遍路の駅・オハネフの宿「ブル-トレイン・なは」を拠点に、四国の素晴らしさ、そして昔ながらの手作りうどんを語り伝えていきたいと思っています。

 

鉄道ファンの皆さま、ブルートレインに思い入れのある皆さまだけでなく、初めて「なは」に触れる方々にも、昭和の時代を駆け抜けたこの車両に間近で触れ、鉄道車両の魅力や旅への夢を描いていただけるきっかけになれば。

 

15年間、どんなことがあっても美味しいうどんを提供することに頑張ってきました。これからも同じ想いで、ブル-トレイン「なは」を守り迎え、みなさんの憩いの場所を提供することを誓い、プロジェクトの成功へと繋げたいと思います。

 

どうか、皆さまのひと押しをよろしくお願いいたします!
 


 


●ブルートレイン「なは」について

沖縄の本土復帰を願って命名された「なは」。

1968年(昭和43年)10月1日の改正で大阪~長崎・西鹿児島間のキハ82系使用の特急「かもめ」の西鹿児島編成の愛称が、沖縄の本土復帰を願って「なは」と命名されました。

 

合わせて大阪~小倉間では宮崎発着の特急「日向」と併結運転運転となり、鹿児島本線系統と日豊本線系統の特急列車が一緒に走る姿を見られるようになりました。1973年(昭和47年)10月1日の改正で485系電車に置換えられ、さらに山陽新幹線博多開業に伴い1975年(昭和50年)3月10日に583系電車に置換えられて、昼間特急から寝台特急に転身することに。
 

本来は「明星」という列車でしたが、1972年(昭和47年)5月15日に沖縄の日本復帰が実現したこともあり、特別に「なは」の愛称は残されることになりました。
 

しかし、時代の波は寝台特急列車から遠ざかる一方で、寝台列車のリ-ダ-であった「明星」が徐々に運転本数を減らしていく中、1984年(昭和59年)2月1日に「なは」は24系25系客車に置換えられ、新大阪~西鹿児島間で存続されることになりました。

1990年(平成2年)3月10日から普通車指定席「レガ-トシ-ト」、1991年(平成3年)3月29日からB寝台2人用個「デュエット」、1992年(平成4年)7月14日からB寝台1人用個室「ソロ」を連結するなど、サービスが継続されてきましたが、2004年(平成16年)3月13日に運転区間が新大阪~熊本間に短縮され、翌年10月1日には京都発着となり、京都~鳥栖間で長崎発着の「あかつき」と併結運転を行うように。そして、需要の減少の一途を辿ることとなり、2008年(平成20年)3月14日に惜しまれつつも廃止になりました。

その後、2009年(平成21年)1月25日肥薩おれんじ鉄道・阿久根駅前に「あくねツ-リングSTAYtion」の宿泊施設としてブル-トレイン「なは」で使われていた、オハネフ25-2209「デュエット」・オハネフ25-206「開放型B寝台」が復活されるも、2014年(平成26年)に営業を休止し、今日に至っています。

 


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