2011年当時、災害時応急仮設住宅の団地は宮古市内に(旧田老町も含めると)60数カ所ありました。そのうち、我々音楽療法士チームには24箇所の巡回を担当するように、と所轄の社会福祉協議会から言われました。

 

「市の中心街から離れた場所は、イベントが入りやすくて良いんですが、意外と街の中心にある仮設はそういった催しが少ないんです。皆さんには是非、そちらに入っていただけると助かります」

 

 もちろん我々は快く応じて、言われるまま仮設の巡回を開始しました。市の中心部、と言われたのですが、あとちょっとで山田町という場所や、半島の手前にある遠隔地も含まれていました。毎回、住所だけを頼りに慣れない土地を右往左往するので、時間に間に合うかどうかスリル満点の日々でした。ほぼ毎週末の土曜日、午前と午後それぞれ一箇所をまわるので、24箇所を三ヶ月で一巡する計算でした。しかしコーディネートする方の考えで決められるので、それぞれの場所が決して均等ではなく、頻繁に訪れる仮設もあれば、半年や一年以上も間が空く仮設もありました。

 

 仮設が建てられたのは主に、小学校や中学校の校庭と、市街地にある公園、町外れの民有地などですが、行政の呼び名と我々に伝えられる仮設の名称が違っていると、たどり着くのが非常に困難でした。また、同じ名称の仮設にも第一や第二、AやBなど区分けがあると、どこに談話室があるのか見極めるのが大変でした。また、車両で移動している都合上、団地の駐車場が狭かったり、入り組んだ複雑な形をしていたり、満杯だったりするなど困ったこともしばしありました。

 

 仮設の巡回を開始して数週目、閉伊川と山田線の線路の間にある狭い住宅地をうねうねと突き進んだ先に、その仮設がありました。地図上では、仮設住宅で道路が終わり、敷地は袋小路のような状態でした。ここでは初回から割と多くの住民の方が足を運び、参加してくださいました。風船を使ったエクササイズ(ストレッチと簡単な筋力トレーニング)や、発音練習(誤嚥予防の目的)などを行い、参加者からの反応も悪くありませんでした。

 

 二回目の訪問は翌月でした。間隔が短かったため、前回参加した方の記憶がまだ鮮明で、活動内容をちゃんと把握してくださっていました。

 

「今度いらしたら、私は先生(智田のことです)に歌っていただこうと思っていた歌があったんですよ」

 

 参加者の中で一番話し好きで、リーダー格の女性が私に言いました。

 

「私が歌うんですか?」

 

「そうよ(にっこり)」

 

 音楽療法は、音楽療法士が曲の提供や活動の構成、伴奏などを通して参加者の表現を促し、心身の状態を改善するために行います。つまり、音楽療法士はあくまで裏方で、歌を歌うのはあくまで参加者、というのが本来あるべき姿だと私は思っていました。この仕事を始めて20年近く経っていましたが(当時)、まさか自分が矢面に立つような局面が来ようとは夢にも思っていませんでした。

 

 女性には、次回必ず歌の用意をしてきますから、と許しを得て、この日は通常の活動のみで終わりました。

 

 自宅に戻ってから、私は仮設の女性がリクエストした曲「雨に咲く花」を動画検索サイトで調べました。恥ずかしながら、これまでの臨床現場では一度も使用したことの無い曲で、私も詳しく知らなかったので、良い機会なので徹底的にマスターしようと思っていました。原曲は戦前に関種子という歌手が発売したのですが、昭和30年代にロカビリー歌手の井上ひろしがカバーして発売、大ヒットしました。これがきっかけで、その後リバイバルブームが巻き起こったそうです。

 

 私が期待されているのは、勿論男声での歌唱なので、井上ひろしを真似て歌う練習をしました。メロディがシンプルながら美しく、自分なりに和声を工夫して伴奏するのも楽しかったです。

 

 そして翌月、女性の前で私が「雨に咲く花」を弾くと、彼女はとても喜んでくれました。

 

「思った通り、良い声ね。先生」

 

「ありがとうございます、気に入っていただけてほっとしました」

 

「毎回、こうやってリサイタルしてもらうのもいいわね」

 

 二回目の活動でも、参加した皆さんが和気あいあいと語らい、体操もゲームも嬉しそうに取り組んでくださったので、私はこの仮設や、ここの人々に親しみをおぼえました。また近いうちに訪れる機会があるといいな、と思いました。

 

 しかし、数カ月後の三回目、さらにまた数カ月後の四回目では参加者の数が激減し、とうとう住民は一人か二人だけ‥あとは支援員や外部の人間だけという状態になってしまいました。あんなに良い雰囲気だったのに何故、何があったんだろう?と私は怪訝に思いました。思い切って、この仮設を担当している支援員の方に聞いてみたところ

 

「住民同士のいざこざ、感情の行き違いですよ」

 

 と言われました。

 

「元々この仮設団地の人々は、同じ町内に住んでいたんです。仮設団地によっては、バラバラの地域からまるで寄せ集めのように互いを全く知らない住民ばかりの場所もありますが、ここのように最初から住人同士のつながりがあるのは恵まれた環境だと思われていました。バラバラ寄せ集めの場所はコミュニティ形成をゼロから始めなければなりませんからね。しかし、顔見知りだったのが仇となって、仮設というストレスフルな環境で鬱憤が溜まりやすく、爆発しやすくなっているんですね」

 

 支援員さんの話では、リクエストを下さった女性と、別の男性が口論をし、団地に住む人々が二分されてしまったせいで、結局どちらの側もイベントには参加しなくなったとのことでした。談話室に来るのは、諍いに無関係な立場の方のみでした。

 

 私が「雨に咲く花」を歌ったあの日が、まるで幸せな幻のように思えました。そしてその後、二度とあのような幸せな瞬間は訪れませんでした。

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