支援総額
目標金額 1,000,000円
- 支援者
- 202人
- 募集終了日
- 2021年8月26日
和白と朝鮮半島のつながりについて(2)
和白村雁の巣にあった「国際空港」について
1889(明治22)年の町村制施行により、上和白村・下和白村・塩浜村・三苫村・奈多村の5ヶ村を合併して和白村が発足し、今の東消防署和白出張所(和白公民館の隣)所在地に和白村役場が置かれた。1954(昭和29)年に和白町となり、1960(昭和35)年に福岡市に合併された。役場は市役所の出張所として使われたが、1972(昭和47)年に解体された。
現在、雁の巣レクリエーションセンターなどがある広大な土地に、かつて“日本初の国際空港”“戦前における日本最大の民間国際空港”と呼ばれた福岡第一飛行場(雁の巣飛行場)がありました。
日本初の定期航空路は1925(大正14)年に郵便輸送のための東京~大阪~福岡間に開設されましたが、当時は水上飛行機(飛行艇)が使われ、現在の東区名島に作られた滑走路を持たない水上飛行場や西公園近くの船溜まりが使われました。
その後、1929(昭和4)年4月に陸軍太刀洗飛行場と大阪・東京をむすぶ貨物便路線が開設され、同年7月には定員6名の旅客便も就航しましたが、太刀洗飛行場は福岡都市部から遠く不便なため、福岡市域に新しい陸上に滑走路を持つ飛行場をつくることになり、用地選定の結果、和白村雁の巣に決定し、1936(昭和11)年6月に開場しました。
雁の巣飛行場正門跡
雁の巣飛行場水上機用スロープ跡
就航路線は、東京から国内数ヶ所を経由してここ雁の巣から、朝鮮半島~満州、沖縄~台湾~中国大陸・東南アジアへ飛んでいました。今と違って、当時の飛行機の航続距離では、東京からダイレクトに外国へ飛ぶことができないため、雁の巣から朝鮮半島や沖縄・台湾(いずれも当時日本の“領土”)を介して海外(日本が侵略していった地域)へ飛ばしていたということです。
雁の巣飛行場はもともとは民間飛行場でしたが、戦時体制下でやがて民間機の飛行が禁止され、飛行場も軍に接収されました。福岡大空襲の際には雁の巣飛行場も空襲を受けています。
敗戦後、米軍はここを接収して「ブレディ飛行場」として使用し、朝鮮戦争のときには輸送部隊が軍事物資を日本から、米兵の遺体を朝鮮半島から運びました。
しかし、同じく米軍が接収した席田飛行場→板付基地の方が滑走路が長く、雁の巣飛行場は滑走路が短くて戦後大型化した飛行機に対応できず、朝鮮戦争後は徐々に飛行場としては使われなくなり、1965年には滑走路の舗装が撤去され、跡地には朝鮮民主主義人民共和国やソビエト連邦(当時)・中華人民共和国に対する諜報用無線受信施設が置かれました。
1972~77年にかけて、現在の海の中道海浜公園(「キャンプ・ハカタ」等)と併せて段階的に返還されました。
当時の写真等が こちらのサイト などで見ることが出来ます。
■福岡第一飛行場(雁ノ巣飛行場)→ブレディ飛行場
(現:雁ノ巣レクリエーションセンター、福岡航空交通管制部および航空交通管理センター、ほか)
- 1930年3月
名島水上飛行場開場 - 同7月
福岡(大刀洗飛行場)~東京(立川飛行場)間に定期航空路開設 - 1934年
新空港建設地を雁ノ巣に決定(1935年1月着工) - 1936年6月
福岡第一飛行場開港 “日本初の国際空港”
敷地面積59万平方メートル、滑走路(600×30m)1本、海岸に水上機の滑走台(80m)と格納庫2棟が整備
「昭和十一年日本航空がダグラスDC、ロッキードの二機種を入れて京城、平壌、奉天、大連、天津、沖縄、台北、上海と、空路を広げた。東京を飛びたった日航機はほとんど雁ノ巣に飛来ここから朝鮮、台湾、大陸へと飛びたった。(略)雁ノ巣空港は要人の〝通路〟でもあった。大将に昇任したばかりの東条英機、辻政信参謀、汪兆銘と、いろとりどり。そのたびにインタビュー取材。」(『毎日新聞西部本社五十年史』毎日新聞社、昭48・3) - 1939年
拡張により総面積は開港時の倍以上の135平方メートル、滑走路は800m級2本の交差型となる - 同5月
大日本航空球磨号墜落事故
大日本航空(1939年設立の国策会社、日本の民間航空会社は同年に大日本航空1社に統合)の「球磨号」(福岡発京城経由北京行)が離陸直後にエンジントラブルで近くの松林に墜落、乗員3名乗客8名のうち、乗員2名乗客4名の6名死亡、5名重軽傷
※当時の大日本航空の航空路
・国内線
東京/横浜/大阪/米子/福岡/那覇/台北/台南/蔚山/京城/大連
・南洋群島線
サイパン/トラック/コロール/ポナペ
・国際線
新京/奉天(以上、満州国)/南京/上海/青島/北京(以上、中華民国)/バンコク(タイ)/マニラ(米領フィリピン)/ハノイ/サイゴン(以上、仏領インドシナ)/ジャカルタ(オランダ領東インド)/ディリ(ポルトガル領ティモール) - 1941年
軍徴用により大日本航空が「特設第十三輸送飛行隊」に組み込まれる
※当時、この周辺には「香椎海軍航空基地」「西戸崎飛行場」「博多海軍航空基地」「和白海軍飛行場」「福岡飛行場(名島水上飛行場)」「九州飛行機(渡辺鉄工)」等の軍施設や軍需工場が存在した - 1945年
敗戦により米空軍が接収、「ブレディ飛行場」(Brady Air Base)として主に輸送部隊が使用
※1955年時点での滑走路は 1280m (スチールマット) および1158m (アスファルト)
朝鮮戦争後の一時的措置として自衛隊が落下傘降下訓練に使用したほか、西日本空輸や福岡県警などのレシプロ機やヘリコプターが滑走路や格納庫の一部を共同使用していた - 1961年
日米合同委員会でキャンプハカタ・ブレディ飛行場・西戸崎通信施設の三施設を統合し、「雁ノ巣空軍施設」(Gannosu Air Station)として在日米軍に提供することが合意 - 1965年
福岡県警等との共同使用停止、滑走路の舗装を撤去
飛行場区域内に通信傍受用の大型アンテナとオペレーション施設の建設開始 - 1966年2月
通信施設運用開始、第14陸軍保安局フィールドステーション、海軍保安群博多部隊、空軍第6918保安中隊などアメリカ3軍の諜報部隊が共同で北朝鮮方面の軍事(電波)情報の収集・分析活動を行う - 1972年6月
飛行場部分を返還 - 1977年
雁ノ巣空軍施設全体を返還 - 2002年
最後まで残っていた格納庫が解体される
参考資料:
「動かざる 福岡空港土地所有者組合史」2011年 千年書房
(柴田一裕)
リターン
3,000円
応援3,000円コース
感謝のメールをお送りします。
- 支援者
- 65人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2021年9月
3,000円
手作り栞3,000円コース(数量限定)
朝鮮学校の子ども達が心を込めて作った栞をお送りします。
- 支援者
- 24人
- 在庫数
- 25
- 発送完了予定月
- 2021年9月
5,000円
応援5,000円コース
感謝のメールをお送りします。
- 支援者
- 39人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2021年9月
5,000円
エコバッグ5,000円コース
劇団石オリジナルエコバッグをお送りします。
- 支援者
- 27人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2021年9月
10,000円
応援10,000円コース
感謝のメールをお送りします。
- 支援者
- 26人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2021年9月
10,000円
キャラメル観劇10,000円コース
劇団石ひとり芝居キャラメル福岡公演(10月16日13時コミセンわじろ)チケット1枚をお送りします。
コロナウイルスの影響によりキャラメル福岡公演が中止となった場合、公演可能な状況になった際に必ず再公演を行います。再公演のチケットをお送りいたします。
- 支援者
- 16人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2021年9月
30,000円
応援30,000円コース
感謝のメールをお送りします。
- 支援者
- 6人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2021年9月
30,000円
キャラメル観劇・Tシャツ30,000円コース
・劇団石ひとり芝居キャラメル福岡公演(10月16日13時コミセンわじろ)チケット1枚
・劇団石オリジナル オーガニックコットンTシャツ
をお送りします。
コロナウイルスの影響によりキャラメル福岡公演が中止となった場合、公演可能な状況になった際に必ず再公演を行います。再公演のチケットをお送りいたします。
- 支援者
- 1人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2021年9月
50,000円
応援50,000円コース
感謝のメールをお送りします。
- 支援者
- 5人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2021年9月
50,000円
キャラメルペアチケット・Tシャツ・エコバッグ50,000円コース
・劇団石ひとり芝居キャラメル福岡公演(10月16日13時コミセンわじろ)チケット2枚
・劇団石オリジナルオーガニックコットンTシャツ
・劇団石オリジナルエコバッグ
をお送りします。
コロナウイルスの影響によりキャラメル福岡公演が中止となった場合、後援可能な状況になった際に必ず再公演を行います。再公演のチケットをお送りいたします。
- 支援者
- 1人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2021年9月