支援総額
目標金額 1,000,000円
- 支援者
- 202人
- 募集終了日
- 2021年8月26日
朝鮮通信使と相島と殿様道
和白(三苫)の北隣、福岡県糟屋郡新宮町の新宮漁港から北西約7.5キロメートル、町営渡船で約20分の海上に浮かぶ相島(あいのしま)は、万葉集や続古今集にも歌われた歴史ある島で、国指定史跡の「相島積石塚群」など貴重な遺跡や神社をはじめ、珍しい鼻栗瀬(通称めがね岩)や柱状節理の絶壁など大自然の造形美が見どころです。近年は「猫の島」として有名になり、多くの観光客が訪れていましたが、現在はコロナ禍の中で医療体制が不十分なため、渡航の自粛が求められています。
相島(福間海岸から撮影)
江戸時代、鎖国政策をとるなかで唯一国交を結んでいた朝鮮からの「朝鮮通信使」を福岡黒田藩は相島で接待し、福岡の学者・文人との文化交流の舞台となりました。近年の発掘調査により、当時の客館や船着き場、井戸の跡や陶磁器の破片などが見つかりました。発掘の成果や、朝鮮通信使を接待した際に出された食膳の再現(レプリカ)等が、新宮町立歴史資料館(シーオーレ新宮4階)にて展示されています。
当初、相島での接待のため、物資・人員を一旦津屋崎(福津市)に集め、そこから船で相島へ渡していたのですが、福岡から遠回りだったため、唐津街道の原上(現在の国道3号線上の「一蘭 新宮店」あたり)から現在の高美台~大神(おおみわ)神社~唐ノ尾(現在の和白病院の東側)~和白丘~人丸神社~新宮湊へショートカットする新道をつくり、今のように新宮湊から相島へ船で渡るようになりました。その時つくられた新道は「殿様道」と呼ばれるようになりました。近年の宅地開発等により、現在「殿様道」は、その一部のみが和白丘3丁目に残っていますが、住宅街の中の狭い裏道となっています。
現存する殿様道(和白丘3丁目)
朝鮮通信使とは
「朝鮮通信使」とは、朝鮮国王が日本の将軍に対して派遣した使節団のことで、江戸時代のものが有名であるが、そもそもは1375年に、室町幕府第3代将軍足利義満が派遣した日本国王使に対し、当時朝鮮半島を支配していた高麗王朝が返礼のため「信(よしみ)を通わす使者」を派遣したのが最初。その後、朝鮮王朝になって世宗の代の1429・39・43年の3回、室町幕府との間に通信使が派遣されたが、その後、約150年にわたって中断した。
豊臣秀吉は1587年の九州平定後、朝鮮に服属と国王の来日を求めた。1590年、表向きは秀吉による天下統一の祝賀使節として、一方で朝鮮侵攻の意図を確かめることも目的として、朝鮮から通信使が派遣された。秀吉は通信使を服属使節と思い、朝鮮国王に対して明の征服を先導するように求める書を渡した。1592年の文禄の役/壬辰倭乱(1593年休戦)の後、1596年に休戦交渉のための明の冊封使に同行する形で朝鮮の通信使が派遣されたが、朝鮮の通信使は堺に留め置かれ、秀吉に謁見することが出来ないまま、交渉も決裂し帰国。1597年休戦は破れ慶長の役/丁酉倭乱となったが、秀吉の死により1598年日本軍は撤退した。
秀吉の後に権力を握った徳川家康は、速やかな日朝の国交回復と貿易の再開を求め、1604年朝鮮から特使として派遣された密陽・表忠寺の僧侶・松雲大師(四溟堂)惟政と会談し、朝鮮側は戦後処理として、日本が戦争を起こしたことの不当性、捕虜として連行された同胞の送還を訴え、日本の再侵略の意思のないことを確認した。
その後、1607年に江戸時代はじめての朝鮮通信使が派遣されたが、1624年までの最初の3回は「回答兼刷還使」とされ、秀吉の侵略に対する国書での回答(謝罪)と、捕虜として日本に連行された朝鮮人の送還を求めるものであった。交渉の結果、8000名にのぼる朝鮮人の送還が実現したが、交渉の過程での対馬藩による国書の偽造が発覚し、徳川幕府による謝罪の国書は確認されていない。
1636年の4回目以降は、江戸幕府の要望により「通信使」と改められた。
朝鮮通信使は、都・漢城(現・ソウル)から陸路釜山へ下り、そこから船で対馬~壱岐~相島(福岡県新宮町)~赤間関(山口県下関市)から瀬戸内海を経て大阪で船を乗り換えて淀川を上り京都へ至り、そこから陸路で江戸まで、およそ2000キロの距離を8~10ヶ月かかって移動した。朝鮮側からの通信使が300~500名、それに対馬藩からの案内や警護1500名ほどが加わったとされる。途中の接待は通過する各藩の負担となり、回り回って江戸以西の農民に労役の提供や費用の重い負担が求められることとなった。
江戸時代に合計12回の朝鮮通信使が派遣されたが、日朝双方とも回を重ねるごとに費用負担が困難になり、12回め1811年の通信使が「易地(場所をかえること)聘礼」により対馬で差し止めとなり、以降断絶した。
日本側の返礼使は、交渉役であった対馬藩が代行したが、主として軍事的な理由において漢城まで上ることを朝鮮側から拒否され、釜山の草梁倭館で返礼の儀式が行われた。日本に対する不信が完全にはぬぐい去られていなかったものと思われる。
通信使の相島来島のたびに、福岡藩によって、約1,500平米に及ぶ客館が建てられた。客館では、食事・宿泊の提供とともに、貝原益軒・亀井南冥ら博多の文人と通信使一行による詩文の交流が行われることもあった。通信使が島を離れれば、客館は即座に解体されたため、現在、その跡は全く残っていない。 1995年度、新宮町教育委員会による発掘調査の結果、掘立柱建物跡・石敷遺構・井戸跡、下駄・漆器腕・肥前系の陶磁器などが発見された。
日韓の高校生らによる朝鮮通信使の行列の再現(2009年、博多港)
参考資料:
「東区歴史街道を往く vol.2」福岡市東区役所 2013年3月
「新宮町誌」新宮町 1997
「朝鮮通信使客館跡―福岡県糟屋郡新宮町所在遺跡の調査―」新宮町教育委員会 2000
「朝鮮通信使の舞台・相島 ~世界の記憶 朝鮮通信使~」 新宮町おもてなし協会
「相島の概要」「相島−朝鮮通信使」 新宮町ホームページ
「松雲大師の足跡いまに 韓日交流の礎築く」2005.1.26 民団新聞
(柴田一裕)
リターン
3,000円
応援3,000円コース
感謝のメールをお送りします。
- 支援者
- 65人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2021年9月
3,000円
手作り栞3,000円コース(数量限定)
朝鮮学校の子ども達が心を込めて作った栞をお送りします。
- 支援者
- 24人
- 在庫数
- 25
- 発送完了予定月
- 2021年9月
5,000円
応援5,000円コース
感謝のメールをお送りします。
- 支援者
- 39人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2021年9月
5,000円
エコバッグ5,000円コース
劇団石オリジナルエコバッグをお送りします。
- 支援者
- 27人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2021年9月
10,000円
応援10,000円コース
感謝のメールをお送りします。
- 支援者
- 26人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2021年9月
10,000円
キャラメル観劇10,000円コース
劇団石ひとり芝居キャラメル福岡公演(10月16日13時コミセンわじろ)チケット1枚をお送りします。
コロナウイルスの影響によりキャラメル福岡公演が中止となった場合、公演可能な状況になった際に必ず再公演を行います。再公演のチケットをお送りいたします。
- 支援者
- 16人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2021年9月
30,000円
応援30,000円コース
感謝のメールをお送りします。
- 支援者
- 6人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2021年9月
30,000円
キャラメル観劇・Tシャツ30,000円コース
・劇団石ひとり芝居キャラメル福岡公演(10月16日13時コミセンわじろ)チケット1枚
・劇団石オリジナル オーガニックコットンTシャツ
をお送りします。
コロナウイルスの影響によりキャラメル福岡公演が中止となった場合、公演可能な状況になった際に必ず再公演を行います。再公演のチケットをお送りいたします。
- 支援者
- 1人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2021年9月
50,000円
応援50,000円コース
感謝のメールをお送りします。
- 支援者
- 5人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2021年9月
50,000円
キャラメルペアチケット・Tシャツ・エコバッグ50,000円コース
・劇団石ひとり芝居キャラメル福岡公演(10月16日13時コミセンわじろ)チケット2枚
・劇団石オリジナルオーガニックコットンTシャツ
・劇団石オリジナルエコバッグ
をお送りします。
コロナウイルスの影響によりキャラメル福岡公演が中止となった場合、後援可能な状況になった際に必ず再公演を行います。再公演のチケットをお送りいたします。
- 支援者
- 1人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2021年9月