避難先から伝え続ける「未来へつなぐ伝える想い」いつかまた浪江の空を

支援総額

715,000

目標金額 500,000円

支援者
70人
募集終了日
2023年3月5日

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プロジェクト本文

終了報告を読む

●ご支援のお礼とネクストゴールについて●

 

ここまでご支援、ご協力いただいた皆さま、本当にありがとうございました。

皆さまお一人おひとりのお力添えをいただき、

お陰様で第一目標金額を無事に達成することができました。

2月23日の復興支援ライブ開催を直前に控えている今、

皆さまの温かいご支援と共に一歩前進することができます。

改めて心より感謝申し上げます。

 

 ただ、最終日まで約14日間ほどございます。

当プロジェクト開催には本来200万円が必要です。

ですが今回のクラウドファンディング挑戦にあたっては

開催日まで間もないという期間でこれまでにない不安があり、

「目標に達成しなかったらどうしよう…」という気持ちから、

低めのスタートを設定していました。

 

ですが、これだけの応援を目の当たりにし、

皆さまのご支援から心強い力をいただくことができました。

そして、残りの期間で700,000円を目指して

ネクストゴールに挑戦することにいたしました。

仮にネクストゴールの金額を達成できなかった場合も、

自己資金を元に実施はさせていただく予定ですが、

この後も皆さまからの多くのご支援いただけますと幸いです。 

 

 今まで関わりのあった皆さまにとっても、

またこれを機会に初めて知ったという方にとっても、

このページがまた新たなひとつの繋がりになって、

これから先ご一緒する仲間として、

たくさんの方にご参加していただきたいと思っています。 

 これからいただくご支援は、しっかりと皆さまの想いと共に

当プロジェクトの実現費用に使わせていただきます。

引続き拡散のご協力をどうぞ宜しくお願いいたします。  

 

 

 

 

 

▼勝手な使命感が動かした強い想い

~伝えるための歌であり、伝え続ける歌い手でありたい~

 

皆さま、初めまして。

牛来美佳(ごらい みか)と申します。

2011.3.11に生じた東日本大震災・原発事故により被災後、

シンガーソングライターとして活動しています。

私が生まれ育ち、震災当時も住んでいた福島県浪江町。

また震災当時は、福島第一原子力発電所内の

協力企業の社員として勤務中に地震が発生しました。   

 

 

 

 

▼目に映ったあの日の景色を忘れることはない

~失ったモノたちが問いかけるように私を突き動かす~

 

2011.3.11-東日本大震災。

大きく揺れた大地震は勤務中に起こりました。

 

いつもの日常、何ともないいつもの社内、私のデスク。

普通の金曜日でした。

 

何故だろうか、もう今年の3月で

あれから丸12年という月日が経とうとしているのに

あの日に出勤した時の自分のマフラーとジャケットまで鮮明に覚えています。

 

当時仕事は忙しいピークが続いていく日々、

お昼ご飯も食べすに慌ただしく業務に追われていた日でした。

やっとひと息付けようと自分のデスクへ座った瞬間。

妙にふわ~ふわ~と揺れてる?気がする…

その直後には味わったこととのない激しい揺れとなり、

それが東日本大震災でした。

 

仕事に出勤する私と保育園に送る娘と2人、

あの日、家を出た玄関の扉は

いつものようにカギを閉めて出掛けたまま…

そこにあった当たり前の日常に

私たちは帰ることができなかった。

その瞬間が最後の日になってしまった。

 

 

 

▼散り散りになっていくことが夢のようだった

~心がついていかない現実に心が痛くなる~

 

着の身着のまま、数日で帰れるだろうと思っていた避難も、

事態はどんどん急変していく。

「全町民強制避難指定区域」という恐い言葉。

 

自分の家に、自分が住んでいる町に入ることされ許されない

強制的な避難とは何を意味するのだろうか…

気持ちに折り合いもつかず、

起こっていることに心がついていかない日々。

 

電波が通じるはずの場所でも電波障害の影響で圏外のまま。

時のイタズラのようにごくたまに入る電波は、

これまでのメールや不在着信通知が一気に流れてくる。

 

「どこにいますか?

私たちは今、〇〇県〇〇市(町)にいます。

家族全員無事です。

これから〇〇県を目指します。

ガソリンがなくて行けるところまでですが。

また必ず会いましょう。」

 

このような内容のメールを時差で読む。

皆んなが散り散りになっていく…

どこに行けばいいのか、どこに居ればいいのか。

起こっていることは現実なのか…?

何もかもが分からなくなり、

心の整理なんてつけようがなかった。

 

 

更に全町民強制避難指定区域とは、

警察や救助隊も全て打ち切りを意味することでもあり、

津波の被害で救助を待っていた人々たちの命も残して、

そのまま誰一人として残らず、

町から人が去らなくてはならなかった現実。

 

救助を信じて待ち、

3月の冷たい水に浸かっていた身体を奮い立たせて、

町民の人々と声を掛け合っていたことを思うと、

心が痛くて震えるほど無念の想いに尽きる。

 

 

 

 

▼こんなにも愛おしく感じるのはごく普通の日々

~また会えるよね… 浪江町は在るのにどうして… ~

 

「どうしたら伝わるの?どうすれば伝わるの?」

この想いはどこに届くのだろうか…

伝えなきゃ、伝えなきゃ…とにかく伝えなきゃ…

今にも壊れてしまいそうな心の叫びが限界に達していた。

 

 

あちこち転々と避難していく中、

震災から約2か月後に娘と2人辿り着いた群馬県。

ボストンバック1つとお布団だけが置かれた、

何も埋まらない殺風景な部屋で

先の見えない日々を過ごす中、ふと思い出した。

既にお互いの安否確認はしていたものの、

更に震災から数週間後、

ちょうど私が新潟県内に避難していた時、

10代の頃に福島県郡山市で知り合った

ライブハウス店長からの電話。

 

「福島の今の状況じゃ、

音楽のシーンだってどうしていいのか苦しいよ…

だけど美佳、こんな時だからこそ音楽をやらないか?

10代の頃にオリジナル曲作ってCD作ろうって言ってたのも、

そのままになってるし…。」

 

ふと思い出したその言葉に気付いた時には、

改めて折り返しの電話をしていた。

 

「私、歌う。だから協力して欲しい。」

 

そう伝えてから、

初めての作曲とCDの自主制作に取り掛かった。

今振り返ると8歳の頃から娘を出産する前までは

歌手になりたい夢を持ち続けていたけど、

10代の頃に数回、イベントで歌ったことくらいで、

実際にそれまで本格的な活動も音楽制作もしたことはなく、

無知に想い一つで飛び込んでいったようなもの。

あの時の私は無我夢中すぎて記憶にないほど、突進していった。

 

いざ、制作に取り掛かろうとした時、

何気に携帯のメモを見ると、

震災の3日後におトイレにこもって

心の内を吐き出すかのように綴った

浪江町や浪江の人々へ想いを寄せた詩が見付かった。

 

『優しい音色で

飛び交ってた波音は

黒い雑音で

次々に飲み込んだ…

 

肌で感じた浜風

吹かれて揺さぶられ

自然の鳴き声たち

この耳に残って

僕らの町は海も山もある

素晴らしい自慢の町さ

どうか希望の光りよ今、ここで輝いて…

暖かい手が 止むこと知らずに

必ず繋がっていること

忘れないで

僕たちは絶対、生き続ける

 

淡い配色で

町の勲章、秋桜の花は

暗い闇の中で

今でも存在している

僕らの町は海も山もある

美しき田舎の町さ

どうかいつか帰る

道を今、ここで信じて…

暖かい手が 離すこと知らずに

強く繋がってる絆

忘れないで

僕たちは絶対、繋がり続ける

 

今、苦しいから笑顔で歌う

今、もどかしいから最高の笑顔を

僕らの命は強く、逞しく…

暖かい手が 止むこと知らずに

強く繋がっていること

忘れないで

僕たちは絶対、生き続ける

繋がり続ける…』

 

 

 

もちろんその当時は目の前で起こっていることに

心もついていかない現実に不安で精一杯な日々で、

楽曲にすることなんて考えていないし、

増して自分が歌手活動するなんてことは何一つとして描いていない。

 

それでも不思議と思うのは伝えるための勝手な使命感が、

既に言葉として吐き出されていたのだと今は思う。

 

 

震災の3日後に携帯のメモに綴っていた詩には

その後、初めての作曲をし、

「浪江町で生まれ育った。」というタイトルを付けた。

自主制作でリリースしたCDは、

2012年3月20日に同タイトルで全4曲を収録し、

ミニアルバムとして完成させ、

鞄に詰め込んで娘と2人で色んなところへ歌い歩いた。

 

 

 

▼いつかまた浪江の空の下で会いたい笑顔がある

~心の奥にある想いはずっと一緒~

 

震災前に浪江町で私も実行委員会の一員として携わり、

町おこしの一環でミュージックフェスティバルを開催していた。

2009年開催時にメインスペシャルライブの

出演者としてお招きし出逢った音楽家-山本加津彦さんに

震災から2年後、

震災前と震災後の写真アルバムを作ってお手紙を添えて送った。

そのお手紙の最後には

「浪江町を思って曲を作って欲しい。」と綴った。

 

山本さんと一緒に歌詞を書き始めて、

約1年かけて制作した楽曲は、

少し先の未来を描く内容で、

完成すると共に私の心で違和感が芽生えていた。

 

 

「そうじゃない…。

この今を伝えたい。

あの時のまま止まってしまっている町中は、

荒れ果てたまま、ただただ存在だけしている。

誰もいない、生活の音がない…。

だけど存在している。

この今を、現状を伝えたい!」

 

 

そう思うと心が付いていかなくなり、

この楽曲のイントロが流れるだけで、

嫌になって止めてしまうくらいになっていた。

 

この楽曲と離れている間も、音楽活動は続く。

様々なステージで歌い続ける。

その時に気が付いた。

 

これまでは、

「震災がなければこんな想いすることなかった。

震災がなければ…。」

と必然的に繰り返してた気持ちが、

 

「震災がなければこの人たちとも、

あの人たちとも出逢えなかった…。」

 

歌い続けていく中で出逢い、

応援してくださる、支えてくださる人々とのご縁に

改めて気付かされた瞬間だった。

 

これから先も震災が起こって良かったなんて思うことは決してない。

だけど、

突然に住処を失い、

幼い娘と2人で知らない土地に来たと共に歌で伝えると決意し、

歌い続けてきた中で出逢えたこの一つひとつのご縁は

私にとってかけがえのない存在で、

大事な巡り合いとなっていた。

 

そう思うと、

僅かな希望も諦めない…

浪江の空の下で会いたい笑顔が浮かんだ。

ふと変な力が抜けたように、

少し先の未来に想いを描くようになった。

そして完成から約1年離れた後にこの楽曲と心から向き合い、

2015年に発表した「いつかまた浪江の空を」が生まれた。

 

「子どもたちの声が聞こえてきた気がする…。」

 

自分のレコーディングも終盤戦に差し掛かった頃、

「子どもたちの声が聞こえてきた気がする…」

ふと思ったことが山本さんも想像したイメージと重なった。

 

本来、浪江町には全6校の小学校がありました。

その中で浪江小学校・津島小学校が

当時二本松市の仮校舎で開校されており、

全校生徒21名の浪江町の子どもたちが

コーラスで参加してくださいました。

 

楽曲発表公開まで時間もない中、

毎日、一生懸命に練習してくれました。

 

 

子どもたちのコーラスをレコーディングする日、

先生方が子どもたちとお話しをする時間を作ってくださいました。

 

「皆んな、浪江町に帰ったら何がしたい?」

そんな質問をすると…

 

「浪江のお家に帰って、家族みんなでご飯が食べたい。」

「この曲を浪江のお家で皆んなで歌いたい!」

 

中には、

浪江町で過ごす当たり前の日常に強い想いを抱き、

言葉にできずに泣いてしまう子どももいました。

私たちにとって、あの場所で過ごす日々が…

あの場所でごく普通に交わす全てという全てが、

こんなにも複雑に一変してしまった現実を思いました。

帰りたいのは皆んな同じなんだと、

この楽曲のようにいつかまた浪江の空の下で、

会いたい人々たちの笑顔がたくさん溢れることを

心から願い、歌い続けることを改めて決意した瞬間でした。

 

 

 

 

▼どんな時も諦めない、故郷に馳せる想いと共に歩いていく

~伝え続ける先に繋がっていく巡り合い~

 

どこに届いているのだろう…

そう思いながらも諦めない気持ちは変わらずあるけど、

コロナ禍で更に埋もれていく中で、

歌詞に込めた想いがどんどん浮き彫りになっていく…。

 

 

諦めたくなくて、

伝えたくて歌い続けてきた先に、

本当にどこに届いているのだろう…と、

心が折れそうな気持ちに直面した。

コロナ禍になり1~2年間は

思うようにライブステージもできず、

3年目に突入した昨年はとても苦しい気持ちと、

現実に負けそうな気持ちも出てきました。

 

 

その中で素晴らしいご縁に巡り合い、

「いつかまた浪江の空を」を発表してから7年、

東日本大震災から丸11年の月日を経て、

昨年3月11日にキングレコードより配信リリースとなりました。

またこれに先駆けて、

ももいろクローバーZのメンバーである、

佐々木彩夏(愛称:あーりん)さんが総合プロデュースをつとめる、

浪江町とのコラボに据えたアイドルユニット浪江女子発組合(略称:JA浪江)の

1stアルバム「花咲む(ハナエム)」(2022.2.23発売)にカバー収録され、

注目を集める楽曲となりました。

 

 

<佐々木彩夏さん・浪江女子発組合さんについて、

名称及び動画の掲載許諾を取得しております。>

 

 

そして遂に、

来月2月22日に同レコード会社より、

牛来美佳のオリジナルのメジャー1stシングルが

リリースされることになりました。

 

 

収録される楽曲は「いつかまた浪江の空を」の他に、

福島県南相馬市原町区で津波によりご家族4人を亡くされた、

上野敬幸さんが代表として活動する菜の花巨大迷路を

イメージして作ったテーマソング「菜の花のきみへ」を収録。

そして、2013年度 太田青年会議所 響き合う心養成委員会の

当たり前の大切から命の大切さを学ぶプログラムに

賛同アーティストとして提供した楽曲をリニュアルし

「幸せのカタチ ~I think this is Love~」を収録した。

 

牛来美佳 KING RECORDS OFFICIAL SITE

 

<福興浜団、上野敬幸さんより許諾を得て掲載しています。>

 

 

 

▼幾つの時が経とうとも伝え続けていく

~受け継がれていくように大切な想いを未来へつなぐ~

 

伝えるための歌をうたい続ける想いは、

幾つもの時を経てもきっと届いていく…。

この楽曲は、背景に震災のことがあるけども、

沢山の人々に受け継がれていくような

大切な想いが込められている。

そう信じている。

 

 

 

2018年開催に向けて立ち上げたG-namieプロジェクト実行委員会。

群馬で出逢い有志で集まった皆さんと任意団体として活動しています。

年に一度、太田市民会館(群馬県)で開催する当プロジェクトは、

東日本大震災、原発事故のことを風化させないことはもちろん、

福島県浪江町から群馬県に移り住んだ

シンガーソングライター牛来美佳の活動と共に

震災のことを通して改めて当たり前の大切さを共有し合い、

大事な想いを未来へ繋いでいくことを主旨とし、

また収益費から諸経費・運営費の一部を除き全て

浪江町を中心に被災地への支援金として使用することも

主催の目的としており、

昨年で第5回開催を向かえた当プロジェクトの

総額支援金は約200万円となった。

(2022年開催時分、支援金300,000万円に関しては、

現時点で贈呈日程を調整中である。)

 

<公式サイト> G-namieプロジェクト実行委員会

 

 

伝えるための歌をうたうと決意して歩んでいく中で、

沢山の方々に出逢い、

私の活動を応援してくださる皆さんがいたから、

歌い続けてくることができました。

 

 

誰も知らずに、

当時5歳だった娘と群馬県に辿り着き、

震災の強制避難により故郷を失い、

何もかもが突然に一変しました。

目に映る景色も故郷と重ねては

痛い心に傷を広げるだけのような日々でした。

それが音楽を通して

かけがえのない皆さんと出逢えたことは、

私の人生の中で何にも代えがたい「宝物」です。

 

立ち上げたプロジェクトも有志で集まった

群馬で出逢った方々と想いをひとつに活動しています。

 

 

 

 

 

▼一緒にプロジェクトを運営する大切な仲間たちと共に

~「牛来美佳CDリリース記念 復興支援ライブ」を開催~

 

G-namieプロジェクトPRESENTS 企画として、

牛来美佳のCDリリースを記念して復興支援ライブを開催いたします。

 

伝え続ける中で立ち上げたG-namieプロジェクトを

共に運営してくださる大切な実行委員会の皆さんと活動いたします。

またこれまで同様、収益費は運営費・諸経費の一部を除き、

全て浪江町を中心に被災地への支援金として使用いたします。

 

【寄贈先(2箇所を予定)】

・浪江町

・福興浜団

 

 

G-namieプロジェクトPRESENTS

「牛来美佳CDリリース記念 復興支援ライブ2023'」

<日時> 2023年2月23日(祝-木)

    開場 13:00 / 開演 14:00

<会場> 太田市民会館 (群馬県太田市飯塚町200-1)

<料金> 3,000円 (リリースCD付)

    ※小学生以下無料

 

 

開催にあたっては約200万円ほどが必要経費となります。

有志で集まっている任意団体として活動しているため、

大変に資金が不足しています。

そこで今回、その一部をクラウドファンディングで

募ることにいたしました。

皆さまお一人おひとりのご支援、ご協力が不可欠のプロジェクトです。

この機会にお力を添えていただけましたら幸いです。

 

 

必ず大成功させたいプロジェクトです!!
どうか皆さまのご支援、ご協力をお願いいたします。

 

 

 

 

【寄贈に関して】

※寄贈先である『浪江町』及び『福興浜団』より、

当プロジェクトの寄付先としての受け入れと、

クラウドファンディングのストーリーに

公表されることに関しての同意を得ております。

プロジェクト実行責任者:
牛来美佳 (G-namieプロジェクト企画代表)
プロジェクト実施完了日:
2023年2月23日

プロジェクト概要と集めた資金の使途

G-namieプロジェクトのプレゼンツ企画として「牛来美佳CDリリース記念 復興支援ライブ」を開催いたします。 東日本大震災、原発事故により福島県浪江町から群馬県へ避難したシンガーソングライター牛来美佳の活動を周知すると共に、震災を風化させず、大切な想いをを共有し合い、未来へ繋いでいくコンセプトを主旨に毎年開催しております。今回はプレゼンツ企画ですが、これまで同様、収益費から諸経費・運営費の一部を除き全て浪江町を中心に被災地への支援金として使用いたします。 【会場・設営費用…100万円、企画演出費・広報委託費等…50万円、パネル展示等の制作費用…20万円、その他雑費等…30万円】

リスク&チャレンジ

プロジェクトに必要な金額と目標金額の差額について
必要金額と目標金額の差額は自己資金にて補填いたします。万が一、自己資金で確保できない場合は、プロジェクトが大きく変わらない範囲で規模を縮小するなどして対応し、返金はいたしかねます。 また、新型コロナウイルス感染症拡大防止対策等で通常開催が中止となった場合も、それまでにかかった必要経費の清算後、開催目的のひとつである収益費から運営費・諸経費の一部を除き全て、浪江町を中心に被災地への支援金として使用し、この場合も返金はいたしかねます。

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プロフィール

福島県浪江町出身シンガーソングライター牛来美佳。 群馬県内で避難生活を送りながら全国各地でステージ活動の他、各種メディアへの取材や出演、また団体やテレビ番組等へ楽曲提供。また近年では講演会の講師としての依頼を受け活動している。これまでにアルバム5枚、シングル1枚を自主制作し発表。2015年に発表した「いつかまた浪江の空を」は、2022年3月にキングレコードより配信リリースとなった。またこれに先駆けて、ももいろクローバーZの佐々木彩夏さんがプロデュースする浪江女子発組合の1stアルバムでもカバー収録され、更に注目される楽曲となり遂に2023年2月22日、同レコード会社からCDリリースとなった。 また2018年開催に向けて立ち上げたG-namieプロジェクトは、太田市民会館を会場とし年に一度、復興支援ライブを開催。運営費・諸経費等一部を除き全て浪江町を中心に被災地への支援金として寄贈している。

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リターン

3,000+システム利用料


【3千円応援コース】

【3千円応援コース】

●プロジェクト企画代表-牛来美佳が代表して、開催終了後にご報告も兼ねて自筆で感謝のお礼状とリリースCDをお送りいたします。

支援者
20人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2023年5月

5,000+システム利用料


【5千円応援コース】

【5千円応援コース】

●プロジェクト企画代表-牛来美佳が代表して、開催終了後にご報告も兼ねて自筆で感謝のお礼状とリリースCDをお送りいたします。

支援者
25人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2023年5月

10,000+システム利用料


【1万円応援コース】

【1万円応援コース】

●プロジェクト企画代表-牛来美佳が代表して、開催終了後にご報告も兼ねて自筆で感謝のお礼状とリリースCDをお送りいたします。

支援者
17人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2023年5月

20,000+システム利用料


【2万円応援コース】

【2万円応援コース】

●プロジェクト企画代表-牛来美佳が代表して、開催終了後にご報告も兼ねて自筆で感謝のお礼状とリリースCDをお送りいたします。

支援者
1人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2023年5月

30,000+システム利用料


【3万円応援コース】

【3万円応援コース】

●プロジェクト企画代表-牛来美佳が代表して、開催終了後にご報告も兼ねて自筆で感謝のお礼状とリリースCDをお送りいたします。

支援者
3人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2023年5月

50,000+システム利用料


【5万円】

【5万円】

●プロジェクト企画代表-牛来美佳が代表して、開催終了後にご報告も兼ねて自筆で感謝のお礼状とリリースCDをお送りいたします。

支援者
3人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2023年5月

100,000+システム利用料


【10万円応援コース】

【10万円応援コース】

●プロジェクト企画代表-牛来美佳が代表して、開催終了後にご報告も兼ねて自筆で感謝のお礼状とリリースCDをお送りいたします。

支援者
1人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2023年5月

150,000+システム利用料


【15万円応援コース】

【15万円応援コース】

●プロジェクト企画代表-牛来美佳が代表して、開催終了後にご報告も兼ねて自筆で感謝のお礼状とリリースCDをお送りいたします。

支援者
0人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2023年5月

200,000+システム利用料


【20万円応援コース】

【20万円応援コース】

●プロジェクト企画代表-牛来美佳が代表して、開催終了後にご報告も兼ねて自筆で感謝のお礼状とリリースCDをお送りいたします。

支援者
0人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2023年5月

200,000+システム利用料


【企業・団体様向け20万円コース】牛来美佳があなたの元へ!

【企業・団体様向け20万円コース】牛来美佳があなたの元へ!

●プロジェクト企画代表-牛来美佳が代表して、開催終了後にご報告も兼ねて自筆で感謝のお礼状とリリースCDをお送りいたします。


●歌唱ステージ他、講演を含めたプログラムも可能。
※交通費や必要に応じての宿泊費等は、支援者様のご負担となります。
尚、個人向けではないこと、地域のイベントやコンサート、講演会等の場合はその団体、主催や運営活動が明確なものであることを条件とさせていただきます。
日程につきましてはクラウドファンディング成立後、メッセージにてご相談させていただきます。
また事前にご相談や確認事項等が必要な場合は、
gnamie.project311@gmail.com までお問合せください。
確認内容によりお返事が遅くなる場合がございますことをご了承ください。

支援者
0人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2023年5月

プロフィール

福島県浪江町出身シンガーソングライター牛来美佳。 群馬県内で避難生活を送りながら全国各地でステージ活動の他、各種メディアへの取材や出演、また団体やテレビ番組等へ楽曲提供。また近年では講演会の講師としての依頼を受け活動している。これまでにアルバム5枚、シングル1枚を自主制作し発表。2015年に発表した「いつかまた浪江の空を」は、2022年3月にキングレコードより配信リリースとなった。またこれに先駆けて、ももいろクローバーZの佐々木彩夏さんがプロデュースする浪江女子発組合の1stアルバムでもカバー収録され、更に注目される楽曲となり遂に2023年2月22日、同レコード会社からCDリリースとなった。 また2018年開催に向けて立ち上げたG-namieプロジェクトは、太田市民会館を会場とし年に一度、復興支援ライブを開催。運営費・諸経費等一部を除き全て浪江町を中心に被災地への支援金として寄贈している。

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