高知県宿毛市出身、本山白雲作の岩村三兄弟胸像を再建したい!!

高知県宿毛市出身、本山白雲作の岩村三兄弟胸像を再建したい!!

支援総額

5,096,000

目標金額 4,000,000円

支援者
162人
募集終了日
2021年3月8日

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プロジェクト本文

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昨日2月7日、目標の400万円を達成しました。これまでにご支援いただいた方々に、改めて御礼申し上げます。でも「胸像再建と目標額」に記載しましたが、通俊、有造、高俊 三兄弟の胸像の再建には1,000万円必要です。最初の目標を400万円にしたのは、三兄弟の肖像をモチーフにしたモニュメントなど、彼らの偉業を示す作品を宿毛に残すための最低金額という考えでした。改めてNEXT GOALを1000万円に設定し、残された期間は一ヵ月ですが、各方面への働きかけを続けながら胸像再建を目指します。引続き、ご支援、応援よろしくお願いします。

 

 岩村三兄弟胸像再建プロジェクトの白石良多と申します。

私たちは次の団体、個人により組織されました。

 

主催

・菊一会(三兄弟の子孫による懇親組織)

 

後援

・高知県宿毛市

 

協賛(順不同 敬称略)

・東京宿毛会 会長 伊賀朗氏(あきうじ)

・若宮汽船株式会社 常務取締役 立田昌敬

・卓囲会 会長 大江貞男

高橋信裕(高知みらい科学館館長)

・まちづくり会社ドラマチック代表 今村ひろゆき(林邸指定管理者)

・白石区ふるさと会/札幌市白石区 会長 武藤征一

・宿毛市在住  華道教師  松田五月

・宿毛市在住 宿毛コンシェルジュ 谷口麻耶

今橋映子(東京大学大学院教授・日本近代美術/近代文化)

 

▼プロジェクトを立ち上げたきっかけ

残された台座 手前が高俊、奥が通俊のもの
上部の丸いものは昭和27年に宿毛町が
胸像の代わりに設置したもの

 現在の宿毛小学校は岩村英俊(礫水)邸跡にあり、岩村通俊、岩村高俊の胸像が供出された後の台座だけが残されています。同校は宿毛中学とともに令和3年4月開校を目指し改築工事が進められていますが、胸像の台座は同じ場所にある他の記念碑等と合わせて歴史公園として、令和4年4月までに整備されることになっています。この機会に宿毛市から歴史公園として再整備したいとの要請もあり、林有造も含めた三兄弟の胸像を再建したいと考えました。しかし胸像の制作については宿毛市の予算を充てられず、クラウドファンディングを通じて、宿毛市にご縁のある方、戦時中の供出により失われたものへ哀感を抱いている方々からの支援により実現したいと考えています。

 

▼背景など

 宿毛市は高知県南西部に位置する人口約2万人の市です。ここから実に多くの偉人が生まれました。戦後の宰相 吉田茂、その実兄で小松製作所(現在のコマツ)創業者の竹内明太郎、法学者、政治活動家で早稲田大学建学の母として知られる小野梓などが挙げられます。

 その中で、初代北海道長官となるなど北海道全域にわたる開発に力を注いだ岩村通俊、自由党の領袖として中央政界で活躍した林有造、佐賀・愛媛・石川・愛知・福岡・広島の県令、知事を歴任した岩村高俊は岩村三兄弟とよばれています。

 

三兄弟が育った岩村英俊(礫水)邸跡に、通俊と高俊の胸像が建てられました。

 岩村通俊像 明治42年4月 同郷有志者建設

 岩村高俊像 昭和 9年8月 東京宿毛会建設

 

 胸像の制作者は同じ宿毛出身の彫刻家 本山白雲。桂浜の坂本龍馬像は白雲の代表作で、林有造の像も白雲が制作しました。維新の元勲の銅像で彼の手にかからなかった物は殆どないと言われるほど沢山の作品を作りましたが、残念なことに第二次世界大戦時に多くの銅像が金属供出で失われました。

 

 白雲の子息、近思は、その当時のことを次のように語っています。

「忘れもしない、昭和19年暮の夜おそく、断続する空襲の中をくぐって、アトリエの前庭まできた私は、一瞬立ちすくんだ。父は、すでにスクラップにされてしまった明治の元勲の原型を11体、淡々として素手をもって叩き割っている。そのかたわらで母は、しずかに合掌していた。」

出展:宿毛市Webサイト

 https://www.city.sukumo.kochi.jp/docs-26/p0108040719.html

 

 

▼胸像再建と目標額

 

胸像の制作は彫刻家の中野滋先生から内諾をいただいています。

 

中野 滋

横浜美術大学 元教授

東京藝術大学大学院美術研究科卒業

彫刻家 中野滋 デジタル・アーカイブス https://nakanoshigeru.com/

 中野先生は、供出された胸像の制作者 本山白雲と同窓(当時は東京美術学校)にあたります。

 

 費用は、胸像制作(塑像制作、石膏型取、ブロンズ鋳造)、運搬設置、台座制作*1 合わせて1,000万円程度と見込んでいます。

*1 古い台座が再利用できれば林有造胸像の1台のみ

 

 胸像3体の再建はこのようにかなりの費用が必要になるので、第一目標金額400万円、NEXT GOAL 1,000万円とし、1,000万円に満たなかった場合は三兄弟の肖像をモチーフにしたモニュメントを造るなど、ご支援いただいた金額に応じて記念公園に相応しい作品の制作を行います。

 

▼応援メッセージ

宿毛市長 中平 富宏

 宿毛市は、豊後水道から太平洋を望む土佐西南地域で、豊かな歴史と文化を育みながら、明治以降、日本に多大な影響を与える人材を多く輩出してきました。

 そのなかでも、岩村通俊、林有造、岩村高俊の三兄弟は、明治の新しい時代に国政への参画をはじめ、北海道や愛媛県など各地の発展に尽力され、宿毛にも産業振興や交通基盤整備の面で大きな足跡を今に残しています。

 今回、老朽化した宿毛小学校、宿毛中学校の建て替えに伴い、同敷地内にある様々な歴史的な石碑を移設し、三兄弟ゆかりの地に、歴史を感じる観光資源となりえる公園の再整備を計画しています。

 本プロジェクトが、公園再整備と協調して「人材のまち宿毛」探訪のランドマークとなって、林有造が建てた「林邸」とともに本市の歴史観光資源につながることを期待いたします。

 むすびに、本プロジェクトを主催されました(岩村三兄弟の会)菊一会のますますのご発展と、ご健勝をご祈念申し上げます。

                              宿毛市長 中平 富宏

 

 

東京宿毛会 会長 伊賀朗氏

 この度、クラウドファンディングで支援を募り、宿毛市の協力を得て岩村通俊、林有造、岩村高俊 三兄弟の胸像再建の報に接し大変嬉しく思います。

 岩村英俊、加乃夫妻のもとで生まれた三兄弟は良く両親の期待に応え、獅子奮迅の活躍を示し、宿毛市はもとより、日本の文化向上に多大な貢献をされました。

 岩村家の家訓である、「積善の家には余慶あり。」とは、まさにこの言葉の通り。その後も岩村八作、岩村俊武、岩村通世、岩村 透、林 譲治と優秀な人物を輩出して明治、大正、昭和の時代にあって、政界で、財界で、司法で、実業界で、帝国海軍で、美術界でそれぞれ輝かしい金字塔を建てております。

 岩村三兄弟が末永く、地元宿毛市の皆様に愛されることを祈念し、東京宿毛会として三兄弟を顕彰する胸像の再建に協賛させていただきます。

                              東京宿毛会 会長 伊賀朗氏(いがあきうじ)

 

岩村兄弟の銅像再建を願う
高橋 信裕 様(高知みらい科学館館長)

 宿毛に生まれ、成人後は就職先の首都圏を拠点に全国各地の地域振興やまちおこしに携わってきた私にとって、郷里である宿毛には人一倍熱い思いと自負を感じている。

 ただ、残念に思うことは、現在の宿毛には往年の偉人達の大志や彼らの社会的功績に心を寄せ敬うという気風が薄れているように思われる。

 例えば、宿毛小学校の前庭に苔むしたまま無残な形で放置されている台座が、日本の近代化を先導した偉人の胸像の台座だと知る児童はもとより大人たちもいないのではないか。宿毛小学校の卒業生である私さえも、その台座には、大砲の弾丸が飾られているとしか思っていなかった。元々、その敷地は明治政府を代表する高官、岩村通俊、高俊や自由民権家である林有造兄弟の生家跡であり、台座には岩村兄弟の胸像が設置されていたのである。ところが第二次世界大戦時に金属供出で取り上げられ、そのままに打ち置かれているのである。

岩村通俊の功績を讃える銅像は任地の北海道に戦前の早くに建立され、戦争で供出された後も戦後に改めて建立されている。

 北海道での〝待遇〟に比べ、郷里のもてなし方はどうであろうか。

 小学校という教育の場にあって、何ら顧みられることもなく、打ち捨てられたままの歴史遺産。その無関心さは、現在の宿毛の貧しさを切実に物語っているように思われる。近代という新しい時代を築き、社会に多大な功績をもたらした先人たちを郷土・宿毛の“心の栄養”として継承し、その大志と共生していく地域づくりを、我々はもっと積極的に行うべきではないだろうか。

 岩村兄弟の郷里・宿毛での銅像再建を切に願うものである。

 

宿毛市在住  華道教師  松田五月

 私は宿毛生まれ、宿毛小学校の卒業生です。小学生の時には、小学校内にある岩村旧邸と岩村三兄弟の名前は、宿毛の偉人の中でも特に身近な存在として過ごしました。

 この度、宿毛小学校の移転に伴い岩村旧邸跡あたりが歴史公園となる、そして岩村三兄弟の銅像建立の話が持ち上がっていることをうかがいました。それも、本山白雲氏と同窓、東京芸術大学ご出身の方が制作されると聞き、少しでもお役に立てたら、と思っております。歴史公園が建設されましたら、市外の友人・知人が宿毛に訪れた時には、三兄弟の偉業と共に、偉人たちを育んだ宿毛市の歴史や魅力を伝えられるのではないか、と思っております。

 

岩村三兄弟の功績を称えて

宿毛コンシェルジュ 谷口 麻耶様

 四国高知は西の端、宿毛市が生み出した英傑「岩村三兄弟」の生き抜く力は明治の世に多大な功績を残しました。

 今、新しい時代のうねりが訪れようとする折、初めの一歩を踏み出す時は、北海道の荒野を開拓した通俊のように粘り強く立ち向うこと。道に迷った時は有造のように洞察力を働かせ怯まず行動に移すこと。たとえ周囲と意見の相違があろうとも高俊のように自分の信念を貫きその役割を全うすれば事を成せるだろう。

 私たちは今一度、岩村三兄弟の功績を称えると共に銅像を建立し、これからの未来を「生き抜く力」の指針としていきたいと思う。

 

今橋映子 様(東京大学大学院教授・日本近代美術/近代文化)

 この度は宿毛市の公園再整備計画の中、岩村通俊・林有造・岩村高俊三兄弟の銅像を再建なさる計画の報を接し、大変嬉しく思っております。
 私は比較文学比較文化を専門とする研究者で、「日本人のパリ体験」を辿る研究から出発し、若き日に、岩村透(高俊の長男、東京美術学校教授で日本近代美術批評の先駆者)という存在と出会いました。それから三十年をかけ、岩村透とその時代の美術思想をめぐる膨大な研究を続け、ようやく2021年春にその成果を、上下二巻本『近代日本の美術思想――美術批評家岩村透とその時代』(白水社刊)で上梓する予定です。
 その研究の途上、私も宿毛市を訪問しました。南に開けた明るいその地は光に満ちていて、明治政府の要人として数々の功績を成した三兄弟の父祖の地ならではの光景でした。
 岩村透は、父高俊の開明的な教育方針から若くして渡米し、いわばバイリンガルの美術批評家として大成しました。伯父・通俊と林有造を人として慕い、通俊の次女・蝦夷子と結婚して幸せな家庭生活を送り、重要かつ膨大な著作を世に送りました。岩村三兄弟の次世代にこうした人材を輩出したことはまた、三兄弟の明治人としての気概と人柄を偲ぶよすがとなるでしょう。
 この度の銅像プロジェクトの成功と、菊一会ならびに宿毛市のご発展を心から祈念いたします。

 

主催者挨拶

菊一会 会長 岩村治

 岩村三兄弟の長男、男爵岩村通俊のひ孫にあたる岩村治と申します。三兄弟の父、岩村英俊(礫水)邸跡にあった、通俊と三男、男爵岩村高俊の胸像が戦時中の金属供出で失われたことは、私たち子孫にとって長年の遺恨でありその再建は悲願でありました。

 この度、宿毛市の後援をいただき、クラウドファンディングにより宿毛小学校改築により整備される歴史公園に、失われた胸像の再建を目指すことになりました。制作者である宿毛出身の本山白雲氏の無念を少しでも晴らすことにもなり、何より歴史公園に宿毛に生まれた三兄弟の姿を残すことは、宿毛市にとって大きな財産になると信じております。

 次男の林有造は、宿毛の新田開発や港湾、道路整備に尽力し、また林譲治、林迶(ゆう)と親子3代にわたり国会議員として宿毛市民の皆様に支えていただきました。更に平成11年12月まで、実に21年に渡り宿毛市長を務めた林 遉(さすが)については、市民の皆様の記憶にも新しいところだと思います。

 しかしその林家も平成29年に邸宅を宿毛市に寄贈し完全に宿毛を離れ、岩村英俊も明治維新後は居を東京に移しているので、私たち子孫にとり宿毛は遠い存在になってしまいました。それでも、素晴らしい大自然の光と暖かい人々に触れ合うことができる宿毛、いつまでも私たちの心の故郷です。

 宿毛在住の方、ご出身の方を中心としたご支援により、このプロジェクトを成功させたいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。

 最後に中平市長をはじめ、素晴らしい応援メッセージをお寄せいただいた方々に深く感謝いたします。

 

岩村三兄弟について

岩村英俊 三兄弟の父

 岩村英俊(礫水)は、文化元年6月に宿毛に生まれ、伊賀氏固、氏理の二君に仕えた。文武に長じ、特に理財に通じていたことから、若くして大阪と江戸に行き藩の発展に貢献し、生涯に二度の加増を受けるなど大いに活躍した。妻嘉乃子と間に三男三女をもうけた。急変する時代を的確に読み、それに対応できる教育を子息に授け、三人の息子はいずれも江戸末期から明治にかけて大いに日本の発展に貢献した。明治2年には留守居組になり、その後は東京において長男通俊宅で暮らし、明治15年に逝去した。

 

岩村通俊

 長男通俊は、天保116月に生まれた。若い頃から文武に長じ、万延元年に武市半平太と会い勤皇討幕に傾倒し、その後は文武頭取、目付、仕置役、更に入京後は御親兵総取締役となり戊辰戦争で大いに活躍した。明治元年に判事に任じられ、更に北海道の開拓判官、明治4年には大判官なり北海道の開拓に大いに貢献した。その後は佐賀県権県令等を務めた後は、大久保内務卿の側近となり、佐賀の乱や西南戦争の平定に大いに活躍した。沖縄県令等も務め明治19年には、初代北海道長官になり、又、明治22年には農相大臣になるとともに貴族院議員となり、明治29年には男爵を授かった。明治37年には勲一等旭日大綬章を授かった。大正4年に76歳で逝去した。

 

林 有造

 次男有造は天保138月に生まれた。幼少に林茂次平の養子になった。慶應末年に脱藩し多くの志士と結び、戊辰戦争では伊賀氏成に従い北越戦争に参戦し、その活躍により参事となった。明治に入り大山巌らと仏独戦争の戦後状況等を欧州に学んだ。帰国後は外務省に出仕し清国に行くなど日清外交に貢献した。明治七年に征韓論に敗れると野に下り「海南義社」を設立した。明治8年には「立志社」を設立し多くの子弟を育てた。明治10年の西南戦争時には、これに呼応し政府の転覆をはかり、岩手の獄に繋がれた。7年の後に減刑により宿毛に戻り、自由党に入り板垣退助らと憲政施設の為に活躍した。又宿毛の新田開発や港湾や道路整備を指導した。明治20年には条約改定の建白により、政府から東京撤去を言い渡された。明治23年には帝国議会が開設され、郷里から出馬して衆議院議員となった。更に大熊、板垣内閣では逓信大臣、伊藤内閣では農商務大臣を歴任した。政界引退後は郷里宿毛の開発に専念し、大正10年に80歳で逝去した。葬儀は宿毛町初の町葬となった。

 

岩村高俊

 弘化211月生まれ。幼少から兵法や洋学を学び、高島流砲術の免許皆伝となり多くの子弟を持った。慶應3年には坂本龍馬暗殺後に犯人を紀州藩三浦久太郎との情報に基づき、陸奥宗光や大江卓ら伴に、新選組の精鋭の護衛する天満屋に切込みをかけ大乱闘を演じた。慶応4年には討幕軍東征に岩倉具定に従い江戸に向かった。その後は軍監となり信越奥羽を転戦し、長岡藩との間においては、家老河井継之助との間で有名な小千谷会談を行ったが決裂し激戦を制した。明治4年には有栖川親王家の家令、宇都宮県参事、明治7年には佐賀の乱の中で佐賀県令、さらに内務省に出仕し内務卿大久保利通に従い北京に外交問題の解決に尽力した。明治11年には愛媛県令、明治19年には石川県知事、明治23年には愛知県知事に就任し、貴族院議員となり、明治29年には長兄通俊とともに男爵を授った。その後は京都で暮らし、明治39年に62歳で逝去した。

 

菊一会について

1958年(昭和33年)に発足

岩村家の(明治維新までの)家紋「菊一文字」から命名

主旨

三兄弟の父・英俊翁の子孫の親睦会

祖先の遺徳に感謝し相互の親睦と切磋琢磨、子々孫々の繁栄を願う

例会

毎年一回開催

通俊・有造・高俊各家から一人代表幹事を定め、順次幹事を担当

参考

金属類回収令(きんぞくるいかいしゅうれい、昭和18812日勅令第667号)

 日中戦争から太平洋戦争にかけて戦局の激化と物資(武器生産に必要な金属資源)の不足を補うため、官民所有の金属類回収を行う目的で制定された日本の勅令。

 

 

【プロジェクト終了要項】


寄贈するもの    
胸像

 

寄贈個数    
3基

 

寄贈完了予定日    
2022年3月31日

 

寄贈先    
高知県宿毛市

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リターン

3,000


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作品完成写真付き感謝状

歴史公園に、胸像が無事設置されましたら、その写真を使ってご報告を兼ねた感謝状を郵送にてお送りします。発送予定日が一年以上先になってしまいますが、お待ちください。

支援者
32人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年6月

5,000


alt

作品完成写真付き感謝状_

歴史公園に、胸像が無事設置されましたら、その写真を使ってご報告を兼ねた感謝状を郵送にてお送りします。発送予定日が一年以上先になってしまいますが、お待ちください。

支援者
28人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年6月

10,000


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作品完成写真付き感謝状__

歴史公園に、胸像が無事設置されましたら、その写真を使ってご報告を兼ねた感謝状を郵送にてお送りします。発送予定日が一年以上先になってしまいますが、お待ちください。

支援者
62人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年6月

50,000


宿毛名産文旦、作品完成写真付き感謝状

宿毛名産文旦、作品完成写真付き感謝状

2021年3月頃までに宿毛の名産の文旦をお送りします。
歴史公園に、胸像が無事設置されましたら、その写真を使ってご報告を兼ねた感謝状を郵送にてお送りします。発送予定日が一年以上先になってしまいますが、お待ちください。

支援者
23人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年6月

100,000


宿毛名産文旦、作品完成写真付き感謝状_

宿毛名産文旦、作品完成写真付き感謝状_

2021年3月頃までに宿毛の名産の文旦をお送りします。
歴史公園に、胸像が無事設置されましたら、その写真を使ってご報告を兼ねた感謝状を郵送にてお送りします。発送予定日が一年以上先になってしまいますが、お待ちください。

支援者
17人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年6月

500,000


特製卓上レリーフと作品完成写真付き感謝状

特製卓上レリーフと作品完成写真付き感謝状

中野先生にお願いして、三兄弟それぞれの肖像を使った卓上レリーフを制作する予定です。(写真はイメージです)
歴史公園に、胸像が無事設置されましたら、その写真を使ってご報告を兼ねた感謝状を郵送にてお送りします。どちらも発送予定日が一年以上先になってしまいますが、お待ちください。

支援者
1人
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2022年6月

プロフィール

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