プロジェクト概要

 

「戦争は誰しも嫌なものだよ。

戦争のせいで

家族が生きながらにして離れ離れになるのは、

あまりにも寂しすぎるね。」

 

目に泪を浮かべながら話すのは、

グエン・ティ・アンさん、73歳。

 

ベトナム人の母と、

日本人の父との間に生まれた彼女

 

しかし、

戦争によって父と生き別れになってしまいました。

 

「一度でいいからお父さんに会いたい。」

 

時代に翻弄されながら生きてきた

彼女の願いを叶えたい。

 

 

みなさまからのご支援のおかげで残り期間26日を残し、6月4日に目標の65万円に到達、

プロジェクト達成することができました。心より感謝いたします。

 

早速、現地の通訳兼ガイドに連絡をし、まりこさんのパスポート及びビザの申請をお願いいたしました。このプロジェクトはネクストゴールは設定はいたしませんが、募集期日の6月29日(金)まで見守っていただけますと幸いです

 

ご支援いただいたみなさまに、ひとつお願いがあります。

任意ではございますが、ご支援いただいたみなさまからまりこさんへメッセージをいただけないでしょうか?(支援金額は問いません)寄せ書きのようなものを作成し、まりこさんが来日した際にプレゼントをしようと考えています。

 

ご協力をいただけます方がいらっしゃいましたら、村山までご連絡ください。

引き続き応援をしていただけたら嬉しく思います。 (2018年6月5日追記)

 

ベトナムに住む女性を、父親が生まれた日本に招待したい。

 

ページをご覧いただきありがとうございます。フォトジャーナリストの村山康文と申します。ベトナムを追い続けて21年。これまで47回の渡越をし、主に社会問題をカメラとペンで追い、現状を伝え続けています。

 

私がベトナムに興味を持ったきっかけは、1998年に大学教授の紹介で、ベトナム戦争時代、従軍カメラマンとして米軍と共に戦争の惨劇を記録した報道写真家の石川文洋氏にお会いしたことでした。戦争で多くの不条理な殺し合いを見てきたであろうにも関わらず、文洋氏の悟りにも似た優しさに惹かれ、「文洋さんみたいになりたい」と思いました。その後、幾度となくベトナムを訪れるようになりました。

 

「雑貨が安い」「食べ物が美味しい」「女性が美しい」、そして「ベトナム戦争」。当時、日本に伝わっていたベトナムは、ほぼそれだけだと言っても過言ではありませんでした。

 

私は、その日本でのイメージと、現地で見てきたベトナムとのギャップに、疑問を抱くようになりました。そして、世界に報道されていないベトナムの「声にならない声」を伝えようと決意し、今に至ります。

 

そんな私が今回、このプロジェクトを立ち上げたきっかけについてお話させてください。
 

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2016年3月、筆者 (ベトナムの有力紙 グイ・ラオドン新聞のレ・フォン記者撮影)


私がグエン・ティ・アンさんと初めて出会ったのは、今からおよそ12年前の2006年のことでした。

 

ベトナム南部の大都市ホーチミン市にあるベンタイン市場で、私が取材情報を得ようと聞き込みをしていたとき、たまたま横を通りがかったのがまりこさんでした。私の問いかけに「私の父は日本人なんです」と、何気なく話してくれたのが全ての始まりでした。


彼女の日本名は、「くすはら」もしくは「くずはら」まりこさん。父親は、太平洋戦争中にベトナムのサイゴン(現ホーチミン市)に、軍人・軍属ではなく、日本兵に雑貨などを提供する商売人として来ていました。


そこで出会ったベトナム人の女性と結婚し、まりこさんが誕生。しかし、幸せな生活は長くは続きませんでした。

 

父親は終戦間際の「外国人強制退去命令」により、帰国を強いられたのです。

 

太平洋戦争時代のサイゴン港(防衛研究図書館で入手)

 

父親と生き別れたまりこさんの人生は壮絶でした。当時、幼かったまりこさんは、父親の顔も覚えていません。再々婚した母親は、ベトナム戦争後にアメリカに渡り、消息こそわかるものの、会えずにいます。


取材のとき、小さな声で「一度でいいからお父さんに会いたいな」と呟いたまりこさん。その想いを叶えたいと思った私は、父親の居場所を探しはじめました。

厚生労働省、外務省、法務省、入国管理局、日本郵船、在ベトナム日本領事館、国会図書館や防衛研究図書館、手がかりのありそうな場所には、すべて問い合わせをしました。

 

さらに、太平洋戦争中にサイゴン(現ホーチミン市)に駐留していた元日本兵に接見したり、大手写真会社に古い写真の復元ができないかの確認をするなど、手あたり次第、10年以上探し続けています。

 

しかし、半世紀以上も昔の話のため、資料や手がかりとなるものはほとんどありませんでした。

 

父の写真。塩化銀が剥がれ落ち、うっすらと男性のシルエットが浮かび上がっている
(1940年代半ばのものとみられる)(2010年4月)

 

まりこさんは今年74歳になります。

 

「すでに100歳を超えたお父さんは、おそらく生きている可能性は低いと思います。お父さんのお墓参りをしたくても場所もわかりません。でも、一度、お父さんが生まれた日本という国を見てみたいです」


と涙を溜めて話します。私は、自分の無力さを感じながらも、彼女のこの願いをなんとか叶えたい、そう思いこのプロジェクトを立ち上げました。

 



物語の詳細は下記のリンクをご参照ください。(PDF)
「生き別れた父と娘 ~戦争に翻弄された彼女の人生~」(写真・文)村山康文
http://www.murasan33.org/marikosstory.pdf
 

まりこさんは気立てが良く、優しさに満ち溢れています。そして、何よりも日本を愛しています。

 

2011年3月11日に起きた東日本大震災の後には、日本のみなさんや私のことを心配し、日本語訳された国際郵便が届いたこともありました。

 

東日本大震災後にまりこさんから届いた国際郵便

 

 

戦争に翻弄された人生。

 

母親は日本人の父親と別れた後、二度の結婚をし、まりこさんは祖母に育てられました。「祖母から受けた愛情を、今度は子どもたちに注いであげたい」と必死に勉学に励み、大学を卒業して小学校の教師になりました。

 

教師時代のまりこさん。同僚と(上段中)(2008年3月)

 

まりこさんも若いころは人並みに恋をし、恋人と結婚しようと誓い合ったこともありました。しかし、父親がいない上にハーフだという理由で、相手の両親に断られました。一度だけお見合いもしましたが、やはり同じ理由で認めてもらえなかったそうです。

 

そのときに、「誰もわたしの境遇を許してくれないのなら、弟と子どもたちのために人生を捧げよう」 と誓い、生涯独身でいます。

 

弟のサンさん(右)とサンさんの長男(中)(2007年6月)

 

まりこさんの壮絶な人生。もし私が同じような境遇に置かれたのなら、果たしてどのように生きていくのだろうか、と考えます。

 

73歳を迎え、父親は生きていても100歳を超えています。せめて父の生まれ故郷を見たい。

 

まりこさんの家は、サイゴンでも有名な治安の悪い場所にあり、お世辞にも立派な家だとは言えません。その場所で、小学校教師を定年後に学習塾を始めました。今も近所のたくさんの子どもたちがまりこさんの家に集い、学んでいます。

 

学習塾と言ってもエリートを輩出する進学塾のようなものではありません。学校に行けない子や片親で生活が苦しい子、また、麻薬におぼれた親の子や母親が売春を生業としている子らに、薄謝で読み書きを教えています。

 

その場所は雨期には床下浸水するため、子どもたちは椅子の上に足をあげて勉強しています。

 

まりこさんは自宅を学習塾として開放している(2007年6月)

 

「とても優しく熱心な先生です。わからないところがあると、理解できるようになるまで丁寧に教えてくださいます。ここに来ると友だちができるから楽しいです」と、勉強に来ていた11歳(2011年の取材時)の少女は話しました。

 

「アン(まりこ)先生はとても優しく熱心な先生です」と話す11歳の少女(2011年9月)

 

まりこさんは「毎日、子どもたちが来てくれて嬉しい」と話しますが、体調はあまりよくありません。

 

「歳をとると、だんだんと体が悪くなってきて。病院に行きたいんだけど、それほどお金の余裕がないんだよ」と、日増しに悪くなっていく体を労わりながら生活を送っています。

 

いつも遠くにいる母親を思い出し、顔も覚えていない父親を「探し出して会いたい」と願うまりこさん。

 

幼少期のまりこさん。母の温もりを感じる(2010年4月)

 

何らかの手がかりが得られないかと、過去にいくつかの大手メディアに「番組にできないですか?」と依頼したことがありました。しかし、どのテレビ局も製作会社も「結果の見えないものは番組にはできない」との回答でした。

 

金銭的に厳しい生活をしているため、自費で日本にくることもできません。

 

そこで、みなさまからご支援いただき、まりこさんを父親の故郷である日本へ招待して「記録の残る場所」へ案内したいと考えています。

 

【記録の残る場所】
・大竹漁港(広島県)

太平洋戦争後、南方からの引き揚げ船が多く入港した漁港。サイゴンからの船が一番多く入港した。現在は埋め立てられ、元の漁港を確認できないが、その場所付近に訪問予定。

・大竹市役所(広島県)

戦後の引揚に関する展示資料がある。
・戦没した船と海員の資料館(兵庫県)

引揚船に関する資料や展示などがある。
・舞鶴引揚記念館(京都府)

引揚船に関する資料や展示などがある。

 

【おおまかな旅程】
1日目 ホーチミン(ベトナム)→関西空港
2日目 大阪→広島
3日目 広島→神戸
4日目 神戸→舞鶴(京都府)
5日目 舞鶴→京都市内
6日目 京都→大阪
7日目 関西空港→ホーチミン(ベトナム)

 

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まりこさんの掌中の珠(2009年3月)

 

一人でも多くの人に、まりこさんのような境遇の人がいることを伝えたい。

 

2017年10月、太平洋戦争後にベトナムに残留した日本兵のご家族の十数名が、「ベトナムの風に吹かれて」の著者、小松みゆきさんと日本財団のご尽力で訪日されました。そのことを大手メディアが報道し、ニュースを見たご親族の方が名乗り出て、亡き父親のお墓参りをすることが出来た方もいました。

 

しかし、まりこさんのケースは父親が軍人・軍属でなく商売人だったため、情報や手がかりがなく、非常に困難を極めています。

 

このプロジェクトを通じて、一人でも多くの人にこの事実を知っていただくことで、父親に繋がる手がかりが見つかればと考えています。

 

そして、戦争が、一人の人生を大きく変えてしまうのだということを伝えられればと思います。

 

心の中でずっと生きてきた父親と、その故郷、日本。

 

70年以上ずっと思い続けてきた、まりこさんの願いを叶えるために、皆さまのお力を貸してください。応援・ご支援をお願いいたします。

 

 

【いただいたご支援の使い道について】

皆さまからいただいたご支援は、まりこさんを日本に招待するための費用として大切に活用させていただきます。

 

(内訳の見積もり)

渡航費     166,000円 (通訳・ガイド分を含む、2名分)

滞在費     320,000円 (通訳・ガイド分と引率者の分含む、3名分)

通訳・ガイド代   50,000円

手数料(税込み)119,340円

※フライトの時期等によって、金額が変動する場合がございます。

 

 

まりこさんの体調やスケジュールを考慮し、ご支援いただいてもまりこさんにお会いすること、また、まりこさんの滞在中同行するとこはできかねます。あらかじめご了承ください。

 

 

【リターンのポストカードサンプル】

※お写真はイメージです。お届け内容はお任せとなります。

 


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