![地方の殖産産業を通じて日本の少子化対策慈業](https://readyfor.jp/rails/active_storage/representations/proxy/eyJfcmFpbHMiOnsibWVzc2FnZSI6IkJBaHBBMWVHRFE9PSIsImV4cCI6bnVsbCwicHVyIjoiYmxvYl9pZCJ9fQ==--0cc700ff83f66f5858912d7dcca4fc16de5bc541/eyJfcmFpbHMiOnsibWVzc2FnZSI6IkJBaDdDRG9MWm05eWJXRjBPZ2wzWldKd09oTnlaWE5wZW1WZmRHOWZabWxzYkZzSGFRTGdBbWtDbmdFNkNuTmhkbVZ5ZXdZNkRIRjFZV3hwZEhscGFRPT0iLCJleHAiOm51bGwsInB1ciI6InZhcmlhdGlvbiJ9fQ==--1853a891dd6bcfcfbe4fac5bdcd8ca724ef814f9/p143137-key-visual.jpeg)
支援総額
目標金額 500,000円
- 支援者
- 0人
- 残り
- 20日
最初の支援者になりませんか?
バブル崩壊により失われた30年 本当に失われたのは第3次ベビーブーム
第1次ベビーブーム、それは、昭和22年(1947年)~昭和24年(1949年)までに生まれた世代、いわゆる「団塊の世代」です。昭和24年は日本史上最多(269万6638人)の出生数で、当時の世界では中国(1900万人)、インド(約1500万人)、アメリカ(364万人)、ロシア(308万人)に次ぐ世界第五位の出生数でした。
この子どもに当たるのが第2次ベビーブーム世代であり、第1次ベビーブームの22年後に当たる、昭和46年(1971年)から昭和49年(1974年)にかけての時期を指し、総務庁統計局の統計などによると、この期間の出生数が多く、毎年200万人を超える出生数がみられました。
では、第3次ベビーブームはというと、1次と2次との差が22年あるので、単純に昭和49年の22年後は1996年、つまり平成8年なので、平成8年から平成10年の間にベビーブームは起きるはずでした。
しかし、おきませんでした。
起きなかった最大の理由、それはバブルの崩壊によるものと、第2次ベビーブーマーにかかった教育費であると考えております。
少々、私的な話となってしまいますが、私の父は佐賀県の県立高校卒業後、防衛大学校を卒業し、自衛官となりました。
貧しい生まれの父は、防衛大学校であれば無償で教育を受けられるということで、防衛大学校に進学したということです。
私の父は第1次ベビーブーマーの1年前、昭和21年の生まれなのですが、昭和21年も第1次ベビーブームとそこまで大きく開きがあるほどの数値ではないくらいの出生数となっております。
貧しく生まれた父ですが、公務員ということもあり、私と妹は貧しさを感じることなく育つことができました。
私は小学校6年生から中学校2年生の途中まで、北海道千歳市立の小学校と中学校に通っておりました。
千歳はご存じの通り北海道の空の玄関口であると同時に、航空自衛隊千歳基地が駐屯する基地の街でもありました。私は飛行機を見ていて将来自分もパイロットになりたいという夢を描くようになりました。民間のパイロットも、戦闘機のパイロットもどちらにもあこがれをもった私は、一番身近な自衛官が父だったため、私も将来防衛大学校に進学したいと志すようになりました。
中学2年生の夏、私は父の仕事の関係で北海道から静岡県へ転校しました。
転校した際、北海道と静岡では、授業の進度が違ったため、私は中学の課程で学校で習っているものと習っていないものがあります。そういう意味では私は中学校の全課程を終了いたしておりません。
もしかすると、その時のために塾があるのかもしれませんが、静岡県で私の住んでいたエリアには塾がなく、結局独学で勉強しました。
高校で転校があると、もしかしたらついていけないかもしれない、そう焦った私は、防衛大学校に多く合格している料のある学校がないかと調べ、結果、当時防衛大学校に2番目に多くの合格者を輩出していたのが、私の母校となる「私立」福岡大学附属大濠高校でした。
縁もゆかりもない福岡での人生を、単身スタートさせた私ですが、高校の授業にはほとんどついていくことができず、結果防衛大学校に合格できないばかりか、付属の「私立」福岡大学にも浪人しないと入れないぐらいの低学力となっておりました。
私も私立の高校⇒浪人⇒私立の大学
と親にさんざんお金をかけさせました。また、浪人は別として、私の高校は付属の大学があるため、福岡大学への進学率が高いのですが、私の母校の高校は、私のみならず私立の大学に進学しているケースが高いです。
何が言いたいのかというと以下の表です。
第2次ベビーブーマーが高校に進学するころに、一気に一人当たりの年間教育費が上がっているのです。
さて、本日最大の話題となるバブルの崩壊ですが、第2次ベビーブーマーが社会に進出するのは、1990年代です。
高校なり、大学なりを卒業するにあたり、多くの方が就職されることかと思われますが、当時の有効求人倍率は以下の通りです。
簡単に言うと、教育費をかけさせてまでも、就職することでのリターンがなかったのです。
また、日本型の雇用慣行 ・終身雇用 ・年功序列 という考え方が変わったばかりか、平成9年には都市銀行の一角である北海道拓殖銀行の破綻、山一証券の自主廃業、この後にはなりますが、ダイエー、ヤオハン、カネボウ、日本航空など、日本の名だたる会社が経営破綻をしていくなど、そもそも雇用すらできないという状態になっていきました。
こうした、正規では採用が難しい社会情勢下において、政府は構造改革の一環として、2003年非正規雇用の規制緩和を行うことで、できるだけ多くの企業が安価に人員を調達する仕組みを作りました。その結果、有効求人倍率は上昇に転じ、失業率は下がりました。
しかし、非正規雇用は雇用が不安定かつ賃金も正規雇用に比べて安くなっていたため、経済的弱者となっていきました。
一言でいうと、こんな情勢で子どもを産み育てられるでしょうか。
よく女性の社会進出により、未婚化・晩婚化が進んだ、という論調がみられますが、その通りだと思います。じゃあ、なんで女性の社会進出が進んだのか、というよりも進まざるを得なかったのが、このバブルの崩壊による経済不安がもたらした集団心理です。その経済不安がもたらした集団心理こそ、女性を社会に進出させたと考えております。
一方で、女性の社会的地位の向上も重要であるととらえております。しかし、出発点が違います。経済的に安定していて、その個々の女性の自己実現としてその先に女性の社会的地位の向上は必要であるととらえておりますが、働かざるを得なかった、というマイナスの社会進出により、未婚化・晩婚化が進展したと思われます。
また、政府の少子化対策の遅れもあったと思われます。これだけ女性が社会進出しなければ成り立たない経済状態にあったのにもかかわらず、働く女性へのサポートを怠ってきました。
平成28年の流行語大賞に、「保育園落ちた日本死ね!!!」というものがあり、これが世相をかなり反映していると思われます。
内容は、
何なんだよ日本。
一億総活躍社会じゃねーのかよ。
昨日見事に保育園落ちたわ。
どうすんだよ私活躍出来ねーじゃねーか。
子供を産んで子育てして社会に出て働いて税金納めてやるって言ってるのに日本は何が不満なんだ?
何が少子化だよクソ。
というものです。
いまでこそ待機児童の問題はだいぶ解消されていますが、母数そのものも減っているので、当然といえば当然です。
いずれにせよ、バブルの崩壊により、第3次ベビーブームは起きず、その後の政府の対応により経済不安となり、さらには女性の社会進出への支援を怠ってきた政府による責任は極めて重たいものであると承知をいたしております。
経済は好況不況を繰り返すものなので、不況期に第2次ベビーブーマーが社会進出した時期と重なったことは不幸ではありますが、母となる女性に対する政策を全くとってこなかった責任はかなり大きいと思われます。
リターン
10,000円+システム利用料
お礼のメール
感謝の気持ちを心を込めてお礼のメールを送ります。
- 支援者
- 0人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年8月
30,000円+システム利用料
ワープロ書きのお礼のお手紙
感謝の気持ちを心に込めて、お礼のワープロ書きのお手紙を送ります。
- 支援者
- 0人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年8月
50,000円+システム利用料
直筆のお礼のお手紙
感謝の気持ちをより一層込めて、心ばかりの直筆のお礼のお手紙を送ります。
- 支援者
- 0人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年8月
100,000円+システム利用料
直筆のお礼のお手紙+みゆ幸業株式会社ロゴ入りメモ帳
感謝のお手紙と一緒に、みゆ幸業株式会社のロゴの入ったメモ帳を送ります。
- 支援者
- 0人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年8月
250,000円+システム利用料
直筆のお礼のお手紙+みゆ幸業株式会社ロゴ入りメモ帳・付箋+みゆ幸業株式会社マスコットうさぎ「もっちー」の写真
最大限の心からのお礼を直筆の手紙に込めて、みゆ幸業株式会社のロゴの入ったメモ帳、付箋、マスコットうさぎ「もっちー」の写真を送ります。
- 支援者
- 0人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2024年8月