私たちNPO法人宇都宮まちづくり市民工房と三依(みより)地区との交流は、今から6年前の2007年11月に始まりました。

 

雪深い三依横川地区の雪下ろし・雪かきを宇都宮の若者がお手伝いしたことがきっかけです。

私自身(もう若者ではありませんが)は、翌年1月に雪下ろしに参加したのが最初となります。初めて訪れた感想は、「ずいぶん遠いところだなぁ」でした。何しろそれまで三依という地名を聞いたことがなく、読み方も知らなかったくらいですから。その日雪下ろしを終えての帰路は、スキー客渋滞に巻き込まれて、冬の雪道をトロトロ走るというあまりうれしくない状況で、ますます「遠いところ」という印象を持ったのだと思います。

 

 そんな三依に通うことになったのは、2008年に耕作放棄地活用への取り組みがスタートしたからです。地元自治会長さんから、「4月から担い手がいなくなる畑があるんだけど、使ってみるか?」という話をいただき、メンバーで話し合うことになりました。そもそも農業経験者がいなかったし、片道80kmかけて畑仕事をすることに意味があるのか、その時は誰にもわかりませんでした。さまざまな課題を抱える日本の農業、そして中山間地での暮らし・・・、最終的に「やろう!」と決断したとき、こうした問題をどうこうしよう、なんて大それたことを考えたわけではありませんでした。せっかくの機会だから、自分たちでその現状を経験してみよう、そんな気持ちからでした。まずは知ること、それが大切だと思ったので。

 

 実際に始めてみて、3,000㎡の畑を耕して農作物を育てることが、どれほど大変なことなのか、すぐにわかりました。せっかく育てたじゃがいもやキャベツを、サルや鹿に食べられてしまい、どんなに悔しい思いなのか、身に染みました。

 

 素人の農業がうまくいくはずがないのに、続けてこられたのは、地元の方々との交流があったからです。一緒に種をまき、苗を植え、収穫祭をしながら、少しずつ地域に受け入れていただきた、その過程の一つひとつが支えになりました。

 

 そして気が付いたこと、それは、今までの日本を支えてきたのは、こうした「集落での共助の暮らし」だった、ということです。

 

 経済大国と言われるまでに復興した日本では、人口が都会に流れていきましたが、それでも地域は集落を単位とした共同体を維持しながら、この国の国土を守ってきました。

 

 東北に生まれ育ち、自然に囲まれた少年時代を過ごしてきたにも関わらず、そのことを忘れていた自分に驚いてしまいました。

 

 日本全体で少子高齢化が進む中で、中山間地で生活する人が減っていく、その流れを止めることはできないでしょう。でもそこは今の日本を作ってきた暮らしがあることを知り、それを伝え、ではこれからどうすればいいのかを考える、それが重要だと思います。まずは知ること、確かにその通りでした。

三依杯雪合戦は、冬の三依に足を運んでもらう良いきっかけです。そこで雪合戦を家族で楽しみ、地域の方々と交流する。それが、今まで遠い存在だったかもしれない「日本の原風景」に関心を持つ一歩になるはずです。

 

 今、日本のあちこちで起こっている集落存続の危機は、都会に住む住民にとっても大事な問題です。この国のこれからに直結すること、私たち日本人がどう生きていくかを問いかけているからです。

 ちょっと大げさかもしれませんが、そんなことを考えながら、今年も三依杯雪合戦を楽しもうと思っています。

 

 

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