お久しぶりです。
 
依然として山谷の帳場には週二回通って撮影しております。山谷はもはや肉体労働者の街ではなく、福祉の街であると繰り返し、言ってきました。しかしそれも今、疑問視せざるを得ない様に思われます。「交代の時代」が来たのです。つまり、高度成長期を支え、日本経済の立て直しの影の立役者である彼らも、年には勝てず、ここの所〜さんが亡くなったというような話を聞くことが増えました。そんな事をまたこの場を通じて書いて行こうかなと思っております。
 
■転換期を迎えた山谷
 
山谷地区の最寄り駅である常磐線、南千住駅も大きく変わりました。駅前のロータリーが工事される前なんて最近の話ではありますが、それでも駅を降りると、いい知れぬ空気が冷やりとしたものです。無論、南千住駅が高架化される前の様子はもっと凄かったとは話には聞きますが、おそらく想像以上のものだったのでしょう。ここのところ、線路をはさんで、山谷側とそうでない側にあった壁もいくぶん薄らいで来たように感じますし、山谷地区自体もドヤ街と呼ぶに抵抗がないとも、私自身言えなくはないです。
 
 
■山谷は消えるのか?
 
それでは山谷は無くなるのかと聞かれますが、そうは思いません。そんなことを話すと、まず山谷たる定義は何かという話になってしまいますが、それは曖昧であるが「〜らしさ」という言葉が適切だと思います。今の山谷地区に、一般的に抱かれる山谷らしさを見いだすのは、少し入り込まなければならず、困難であるのは明らかです。
 
山谷というものが無くならないのは、その「らしさ」という曖昧な言葉ゆえ、柔軟に「姨捨山」としての機能を背負っているからでありましょう。それは社会が成立するに必要不可欠な機能でありますし、山谷というものにある「らしさ」は人間社会の負の部分であるとすれば、形こそかえてもその本質は生き残るに相違ない、そう思うのです。
 
つづく
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