山谷は東京の北部に位置する安宿街の俗称であり、その面積は約1.65k㎡程度の小さな区域で ある。 大阪の釜ヶ崎、 横浜の寿町に並ぶ日本三大ドヤ街の一つである。(ドヤ というのはヤ ドとも呼 べないくらいみすぼらしいという差別的な言葉)

山谷の歴史は江戸時代までさかのぼり、日光街道の木賃宿が集まった宿場町を起とする。日本屈 指の遊郭であった吉原、 江戸時代を代表する処刑場であった小塚原刑場に隣接し ていた為、刑 史、遊女、革職人等の最下層民が多く 集まっており、 漂流民の集う場所とも言えた。

明治時代以降上京し てきた人々の玄関である上野から溢れた人々や、 1923年の関東大震災の被 災者救援の為に仮の宿泊所であるテン ト村が形成される ようになり、それが今の山谷の原型を築 いた と もいえ る。 戦後比較的戦火を逃れた山谷は貧困者の逃げ場として、また職を探す者が集まる街へと変化し ていった。昭和30年代の高度成長期を迎える と、肉体労働者の需要が急増し、労 働者の街としての山谷が確立された。 この頃は戦前の二倍強の約300軒の宿が軒を連ねていた。

しかし日雇い労働者の暮らしは劣悪で、実質的に彼らを支配していた暴力団との闘争も度々であった。そうした環境から薬物依 存、アルコール中毒になる者も少なくは無かった。 山谷は肉体労働者という社会的に低い地位の人々が集まる場所で、時に精神異常者などを遺棄する場所と し ても存在していた。こうした経緯から山谷がスラム的に見られる事も少な く ない。

近年オートメーション化によって肉体労働者の需要も減り、労働者の高齢化も相まって山谷は生 活保護 で暮らす人がその大半を占めるよ うになった。 2002年のワールドカッ プを期に、海外旅行者が山谷の安宿を利用する事も増え、それに特化した宿もでき、現在では国内外を問わず、バックパッカー、就活生等多くの人が安宿を利用する。

現在、労働者の街と言われた山谷の姿はほんのわずかに しか残っていない。

 

参考リンク:城北労働・福祉センター   きぼうのいえ

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