私がここサイゴンに在し、毎日のように危機感を募らせている呪縛を伝えよう。日本政府の危機意識が如何に杜撰で粗雑なものかを示す一例である。

少し長くなるが呻吟して知っておいてほしい。

 

歴史的事実として述べるが、ベトナム戦争中の1965年12月5日、横須賀へ帰還する途中の ‘空母タイコンデロガ’ が、奄美群島の喜界島沖南東約150キロを航行していた。

その時、B43水素爆弾(核出力1メガトン)を搭載したA-4Eスカイホーク艦載攻撃機を誤って海中へ転落させてしまったのだ。いわゆるBroken Arrow(核兵器の紛失)である。

 

 

なお、この核出力1メガトン(1,000キロトン)という数字は、広島に落とされた原爆が15キロトン、長崎が20キロトンである。

この海中に沈んだ水素爆弾は広島型の約70倍の爆発力だ!

水没した正確な場所は、北緯27度35分2秒・東経131度19分3秒である。

この時、米空軍は、核搭載機パイロットのウェブスター中尉の引き上げ作業すらせず、隠匿した。

 

この中尉の正式名はダグラス・M・ウェブスターであるが、米国のベトナム戦争関連戦死者のリストにも載せていない。ワシントンのベトナム戦争戦没者慰霊碑の58,132人の中にも彼の名がない、全くの隠滅主義である。軍事機密ではよくあることだ。

 

この事故はベトナム戦争の最中で、日本のEEZ(排他的経済水域)内にあるが、当時、日本政府には何も連絡していない。

なお、この空母タイコンデロガはベトナム戦争の発端となったトンキン湾事件に際し,湾内に対峙していた名を残す重要な艦船である。

16年後の1981年にペンタゴン(米国防省)がこの事故を初めて公表。但し、事故現場は、単に太平洋上にとどまっている。

このペンタゴンの公表から8年後の1989年5月7日に至って、米誌ニューズ・ウィークが「1965年に空母タイコンデロガから水爆搭載機が沖縄近海に水没し、海軍は事故を揉み消し」と報道。

 

1989年5月24日、 第114回国会、外務委員会の衆議院会議に於いて、社会党(河上民雄)、外務大臣(宇野宗佑)、外務省北米局長(有馬龍夫)による国会質疑があったが、曖昧な応答を繰り返すのみで、例の通り立ち消えてしまった。メディアも無関心であった。

私は憶えている、2015年5月30日小笠原諸島で発生したM8.1の連動型地震だ。黒潮に流され、どこに、どう浮遊しているかも不明だからだ。

 

ここサイゴンは地震もない。日本人にとっては、今様竜宮城だ。

 

この意味で、「日僑塾」は最適の拠点である。

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