これは、私の推測である。長くなるが記述してみよう。

 

ここで登場する南部のファースト・レディ、通称マダム・ヌー(ゴ・ディン・ヌー)は夫が暗殺されて以来、何故か生涯国外追放の身となり、2011年4月、87歳でローマにて死去した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女は暗殺された夫と義兄の仇を討ったというより、妻としてのメンツを保ったと言えるのだ。米マスメディア、CIAもベトナム女性の深層心理を知らないから、終始オズワルド犯人説に固執したのである。ベトナム戦争でベトナム人の精神性を知らず敗退した事由と同じだ。

 

さて、経緯はこうである。1955年10月に南部(ベトナム共和国)の初代大統領になったゴ・ディン・ジェムは徹底した反共主義者であり、また敬虔なカソリックで生涯独身であった。実弟のゴ・ディン‣ヌーを秘密警察の長官にして、共産主義者や仏教徒など反政府分子を弾圧した。

 

1961年1月に大統領になったカソリックであるケネディはジェムと政治的利害が一致し、ナパーム弾、クラスター爆弾、枯葉剤散布の許可を次々に下した。

しかし、こうして軍事増強と共に内政介入を強めてくるケネディに対しジェム大統領との溝が徐々に深まった。数年後にCIAの工作が始まり、南ベトナム軍内の反ジェム派で親米派のズオン・バン・ミン将軍を動かし、1963年11月2日にこのクーデターが発生し、ジェム大統領と実弟のヌー秘密警察長官が教会(サイゴン、チョロン地区)前の車中で殺害された。

 

顔が判別できない程の酷い殺され方であった。CIAの作戦指揮による反乱部隊の仕業である。マダム・ヌーはたまたま米国にいたので難を逃れた。彼女の父親は当時、在米南ベトナム大使であった。

ジェム兄弟はフエの貴族出で、マダム・ヌーは母方が阮朝の縁戚で、フランスの名門国立大学Ecole Nationale des Chartesをベトナム人で初めて卒業している血統書付きのお姫様であった。。

 

マダム・ヌーは1963年6月フエの僧侶ティック・クアン・ドックのガソリン焼身自殺に対しマダム・ヌーは、 ‘単なる坊主のバーベキューよ‘ と米TVで連続放言し、ケネディを激怒させた。

欧米メディアから‘ドラゴン・レディ‘と酷評されたが、LIFEやNews Week誌の表紙を飾った直情径行の女性である。

 

 

ここで、ケネディが暗殺されたのがマダム‣ヌーの夫が暗殺された3週間後の11月22日である。彼女の性格なら、妻としてのメンツを保つため、暗殺することをベトナム・マフィアに依頼したと私は臆測するのだ。私は自他とも認めるベトナム女性通だ。ベトナム女性特有の怨嗟と悋気さを有す稟性を他国の一般の人々は知らない。現在でも阿部定事件が日常的に発生していることがその例証である。

 

マダム・ヌーはこうした民族の頂点にいたファースト・レディである。夫が惨殺されて、彼女のメンツが潰れたのである。黙って、この殺人ゲームから離れるはずがないのだ。

 

なお、ベトナム・マフィアの世界ネットワークについて簡単に述べておこう。

黄金の三角地帯(Golden Triangle)をご存じの人も多いと思う。この地域の戦争の度に、軍資金稼ぎのため各国がアヘン取引に手を染めてきた。当然、ベトナム・マフィアが暗躍する。ベトナム・マフィアはこうして全米に組織を有する。現在も名のあるベトナム・マフィアにはBorn to kill、Asian boyz、Vietnamese boyz、Tiny reacalsなどが米にある。

 

私は、「日僑塾」で日本の若者を農耕型から狩猟型に変えねばならないのだ。

 

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