プロジェクト概要

 

名所・清見潟の中心に位置し、
かつては大名行列や多くの旅人で賑わい、
数々の歴史が刻まれた興津宿。

人々は、難所を越え、
和歌にも詠まれたこの地で心身を癒しました

そんな興津宿にかつての名残をとどめ、
現在に残っているのは、たった1軒の宿のみ。
もう一度この興津宿に賑わいを。

 

 

 

 東海道五十三次の歴史をつなぐ宿・岡屋旅館
かつて賑わった興津宿を再び

 

 

東海道五十三次の江戸時代から続く旅館として、興津・清見潟で、旅館を営む岡屋の次期八代目当主・岡屋弥左衛門の小田裕也と申します。

 

興津宿は、江戸時代の大名行列により栄えた宿場町です。かつて38軒の宿があり、栄えたまちも現在は私たちの宿一つとなってしまいました。

 

この宿を存続させていくこと、そして再び多くの人々で賑わう興津宿を取り戻すために、また訪れたいと思っていただける宿へと進む一歩を、ぜひ後押しいただければと思います。応援、よろしくお願いいたします。

 

<​提供:山田写真館>

 

 

江戸から続く宿・興津宿、最後の一軒としてあゆみ

 

興津宿は、箱根に続き親不知子知らずの難所・さった峠を越え、一息つくための宿場町でした。本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠34軒ほどもあった大きな宿場町でした。近くには久能山東照宮や、三保の松原、名刹 清見寺があったことや、【清見潟 富士の煙や消えぬらむ 月影磨く 三保の浦波】と月の名所として、和歌で詠われていたこともあり、江戸時代は東海道を行き来する多くの旅人で栄えました。その後、明治期に入ってからは、別荘地として親しまれました。

 

岡屋旅館は、白砂青松の清見潟に茶屋(小料理屋)・岡屋を出したのが始まりで、その後、東海道五十三次の旅籠として江戸時代末期に、岡屋弥左衛門が旅館を創業しました。

 

昭和期、割烹旅館 岡屋として客室を絞り、料亭旅館、接待・結納・懐石・法事・宴会のお客様を中心に、料理旅館として営業を続けてきました。

 

江戸時代には大名行列によって栄え、その後は別荘地として栄えたまちも次第に人が減り、38軒もあった旅館も、今では我々の1軒だけになってしまいました。その1軒として存続と誇りをかけて、食事中心の営業から改めて宿場としての歴史を回顧し、宿として新たな一歩を踏み出したいと考えています。

 

 

 

8代目からのメッセージー我々がここでお客様を待ち続けるー

 

 

 

『清見寺(十刹 巨鼇山 清見興国禅寺)』と『清見潟』は、古来より和歌に詠まれ、清見寺を中心とした『東海名區 清見潟』には、明治期以降は、井上馨氏、伊藤博文氏等の別荘が建ち、元老 西園寺公望公が建てた『坐漁荘』には多くの要人が訪れました。

 

西園寺公の『坐漁荘』建設は、この地に400年続いた名旅館『一碧楼 水口屋』が存在したことがきっかけだとされています。『一碧楼 水口屋』は、江戸時代は、脇本陣を務め参勤交代の消滅時に、優良旅館組合『一新講社』をつくり各地の旅館の窮地を救いました。

 

岡屋旅館は、この地に幕末、岡屋弥左衛門が、茶屋から旅籠 岡屋として旅館を創業し現在に至ります。岡屋5代目当主と水口屋20代目当主水口屋半十郎氏は、友人でありました。水口屋が最期を迎える時に、最後のお客様を水口屋20代目当主水口屋半十郎氏は、こう伝えました。

 

「この方たちは、学生なのです。いずれ大きくなって、また、きっと来てくれる。」

 

岡屋旅館は、そんな一碧楼水口屋に代わり、また再び風光明美な町『東海名區 清見潟』を再生するため、この地で旅館を営み、その日のお客様を待ち続けます。 

 

私は、いづれは約束の一碧楼水口屋に代わって旅館経営を通してこの町『東海名區 清見潟』を再生したいと考えています。このプロジェクトは、そんなはじめの一歩です。皆様からの温かい応援をよろしくお願い致します!

 

 

 

 平和の印となる桜の木を配した美しい庭園へ

 

今回のプロジェクトでは、皆様からいただきましたご支援で、かつての清見潟に面した裏庭の改修を行います。その場所には、桜の苗木を植えます。実は、この地、『興津』は、平和外交の桜のゆかりの地でもありまして、当館の敷地外のすぐ近くの清見潟公園にもいくつかの桜が植えられています。

 

桜の苗が大きくなった頃、当館を利用してくださるお客様からはお部屋から、春の花と秋の紅葉をお楽しみいただき、当館と清見潟公園の桜との間の道は、徐々に共鳴し少しずつ名所になっていくのだろうと思っております。町の再生のために始めの一歩を、まずは私どもの手の届く当館の敷地内から地道に始めたいと思っております。その一歩への皆様のご支援をお願いいたします。

 

ー資金の使い道ー

かつて名所であった清見潟に面した裏庭を改修し、その高台から地域の歴史のモニュメントとなる桜を配し、お客様をお迎えしたいと思います。改修後に配する桜は、岡屋旅館のお客様だけではなく、周辺の地域を町歩きをする方にも楽しんでいただけるような形として、この地の桜との歴史を伝え、地域の名所を築く桜として育てていきたいと考えています。

 

具体的には、西側の芝庭の高台を拡張するために、東側の建物と駐車場をなくし、水路を変更、造園を行います。こちらの費用の一部として今回いただきました費用を充てさせていただく予定です。

 

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 歴史と物語の地をもっと多くの方々に
そのためにこの場所にあり続ける必要があります

 

興津宿は38軒ほどあった旅籠が、今では、岡屋のみとなりましたが、時代や環境のせいにしてはいけないと思っています。微力ではございますが、まずは、岡屋の敷地内から景観保全と桜を植えることで、歴史と和のオアシスとして、この岡屋旅館を続けていきたいと考えております。

 

清見潟には、かつてワシントンDCのポトッマック湖畔へ友好の桜として送るために、荒川堤の12種類の桜を育成した歴史があります。現在でも日米友好の印として、ワシントンでは毎年この桜が楽しまれています。

 

そんな由縁の桜を、当館が植え育てることで、さまざまな歴史を担う宿として、存在し続けることで、歴史を残していきたいと思います。

 

大きな森も、1本、また1本の種の発芽から。

 

この桜がシンボルとなり、活動が大きくなっていくことで地域が活気づき、約束の『東海名區 清見潟』の再生が実現できると信じております。今回のプロジェクトは、『現存する東海道五十三次の宿、東海名區 清見潟 唯一の老舗旅館』の岡屋旅館がその使命として、地域ブランド『東海名區 清見潟』の再生に向けて動き出す、第一歩です。ご支援、応援、よろしくお願いいたします。

 

かつては海沿いにたくさんの建物が並んでいました。そのころの賑わいを再び取り戻したいと思います。
提供:山田写真館

 

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