プロジェクト概要

「まだまだ支援が必要です!」 

 

伝える者として、福島県の津波とそこにいるヒトの記録を残して行きたい!「福島の被災は、放射能だけじゃない。津波による被害も大きかったです。アナタはそれを覚えていますか?」

 

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皆さまのおかげで、第一目標金額の120万円を達成することができました。


これまで一人で活動を続けてきたため、「いつまでこの活動を続けられるのか」と不安に感じることもありましたが、皆様からいただいたご支援やたくさんのコメントは、大きな励みとなりました。心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

 

第一ゴールである支援金募集では、追加の取材費や交通費、また映像制作の編集費の一部として120万円に設定させて頂きました。しかし実際には4年間、約70回におよぶ取材に何倍もの費用が掛かっています。加えて、建物がなくなってしまった津波被災エリアの取材は海風を遮るものがなく、強風や砂ぼこりにさらされての取材を強いられます。すでに2度、カメラの故障を経験しましたが、機材の修理代もかさんでいるのが現状です。また、このプロジェクトの公開を機に、各地から今後の上映会の問い合わせもいただいています。

 

皆様からご支援いただいたこの映像を、少しでも多くの方にお届けするために、今後の上映会開催に向けて準備をしていきたいと考えています。
・機材メンテナンス費用として40万円
・上映会準備費用(交通費、会場代、パンフレット印刷代含む)40万円

 

これらを新たな目標として、引き続き募集をさせていただきます。
皆様にたくさんのお気持ちをいただけたからこそ、これからの展開がひらけてきたことに、改めて感謝の気持ちでいっぱいです。

 

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

 

======▼ページ本文もぜひ見ていただきたいです▼======

 

はじめまして。映像ディレクターの笠井千晶です。私は静岡と名古屋のテレビ局で報道記者として、今年3月まで計15年間勤務し、現在はフリーとして活動しています。2011年に福島第一原発事故が起きた直後、原発30km圏内の町には、マスコミの取材がほとんど入らない時期がありました。私自身もまた、現地のことが気になりつつも、足を運ぶことが出来ずに数ヶ月が過ぎました。そして震災の年の夏、居ても立ってもいられず休日を利用して一人訪れたのが福島県南相馬市でした。その結果、自身の震災体験を話してくれる方たちと出会うことになり、自分はどんな形で関われるだろうか?と考えた結果、マスメディアの肩書きとは離れた立場で、個人的に映像の記録を始めました。

 

4年間にわたって、自宅のある東海地方と福島県を休日ごとに往復して撮りためた映像を長編ドキュメンタリーとして残していくためには、あと120万円必要です。皆さま、この活動を応援していただけませんか?

 

(取材風景/福島第一原発から3km 大熊町の海岸にて(2015年5月))

 

 

報道記者としてなにを伝えることができるのか。そこで私が選んだのは、「福島の生の声を伝えること」でした。


実際に現地に足を運んで、「この現状を伝えなくては」と強く思いました。震災が起こった直後、自宅のある東海地方と福島県を、休日ごとに往復する生活は4年以上続いています。その間に撮りためた映像を使い、福島の生の声を伝えようと短編の映像作品を制作。各地で上映する活動「想い願うプロジェクト」を始めました。(https://www.facebook.com/omoi.negau.prj)上映会開催は、これまで30回以上と回を重ねています。たった一人、カメラひとつで撮り続けた映像ですが、なによりも当事者に寄り添う視点を大切に活動を続けています。

 

(祭壇に手を合わせる遺族/福島県南相馬市(2015年3月))

 

 

いままでに福島など被災地を80回以上訪問し、撮影した映像は350時間を超えました。「津波によって失われた命が、顧みられていない状況がある。」


これまでに何本かの短編映像を制作しましたが、その時々の状況を断片的に伝える内容で、小規模な上映会のためだけに作られたものです。そこで震災から5年を前に、全国各地でさらに多くの方に観ていただくため、一本の長編ドキュメンタリーの完成を目指すこととしました。作品のテーマは「福島の津波の記憶」です。福島県では2000人近い方が津波の犠牲になっているにも関わらず、原発事故の影に隠れ、津波のことは中々報道されてきませんでした。「津波によって失われた命が、顧みられていない状況がある。」改めてそのことを知って欲しいとスタートしたドキュメンタリー制作プロジェクトです。

 

(津波被災地に咲いた菜の花/福島県南相馬市(2013年5月))

 

 

2011年秋、私は南相馬市で、津波によって家族4人をなくした「上野敬幸さん」と出会いました。

 

映像を撮影する中で、福島第一原発から北へ22kmの福島県南相馬市に暮らす上野敬幸さん(42歳)との出会いました。津波で両親と幼い子ども2人の家族4人を亡くした上野さんは、福島県沿岸部で津波による行方不明者の捜索を続ける「福興浜団」の代表をしています。

 

南相馬市では、福島県最大の津波犠牲者を出し、上野さんの自宅があった集落も約7割が流出しました。津波が去った後、捜索を始めた矢先に福島第一原発が水素爆発します。避難を拒んだ上野さんは仲間と共に捜索を続け、警察も自衛隊も来ない中、40人以上の遺体を見つけました。この時、母と当時8歳だった長女・永吏可ちゃんの遺体も発見し、上野さん自ら安置所に運びました。しかし、父と当時3歳だった長男・倖太郎くんは行方不明のままです。

 

(「福興浜団」代表・上野敬幸さん/南相馬市にて(2012年10月))

 

 

「福島の被災は、放射能だけじゃない。」そう彼は語ります。
 

彼のように福島沿岸部で、津波の被災当事者となった方たちの想いを伝えるために、今回のドキュメンタリー制作プロジェクトはスタートしました。「福島の津波」は、放射能の問題が注目される一方で中々目を向けられず、特に津波で家族を失った方々は、もどかしさと共に、置き去りにされたという想いを抱えてきました。「福島の被災は、放射能だけじゃない。」そのことを伝えるドキュメンタリーは、今後の災害に備える教訓として、他の地域の方々にとっても貴重な資料になり得ると考えています。

 

(津波で犠牲になった子供たちの写真/福島県南相馬市(2014年9月))

 

(津波で流出した集落/福島県南相馬市(2015年3月))

 

 

地震・津波と原発事故が同時に起こる「複合災害」は、原発が立地する全国各地で発生する可能性があります。しかし「福島の津波」は、教訓として十分に語り伝えられているでしょうか?

 

津波の後、原発事故が起きれば、救助や捜索は中断します。遺体の回収も数ヶ月は出来ません。現に福島では、津波で大切な人が流されたまま、放射能のために、その場から避難せざるを得なかった多くの人達がいました。震災から4年半が経った今でも、原発周辺の町には、行方不明者の手がかりが見つかる可能性の高い瓦礫の山が、手つかずのまま残されています。

 

「福島の津波」は、決して「過去のもの」ではありません。放射能の問題と共に、いまも終わってはいないのです。完成を目指すドキュメンタリーでは、原発事故に翻弄される福島を舞台に、津波が奪った幼い子ども達の命と、遺された家族の癒えない心、その日常を描きます。

 

(行方不明者の捜索/福島県南相馬市の原発20km圏内(2014年1月))
 

 

今までの取材は自己負担で行ってきましたが、長編ドキュメンタリーを制作するにあたっての追加取材には資金が不足しています。皆さま、どうか支援していただけませんか。

 

取材は現在も進行中ですが、今年秋頃からの編集作業を経て、来年3月20日に完成披露試写会を名古屋で開催予定です。名古屋の試写会後の上映会は未定ですが、決定次第、想い願うプロジェクトのFaccebookページなどでお知らせします。これまで福島で取材してきた4年分の活動資金は、全て個人で賄ってきましたが、長編ドキュメンタリーの制作にあたり追加の取材や編集作業にかかる費用として120万円が足りません。

 

【内訳】

●追加撮影・取材費 

(福島への交通費、カメラマン依頼費用など含む)
●編集・MA・音効作業費 

●ドキュメンタリー紹介パンフレット作成費 

●完成披露試写会 開催費用(チラシ印刷代など含む)

 

(取材風景/福島県南相馬市(2015年3月))

 

★ 引換券について ★

支援していただいた方には以下のものをお送りいたします。

 

・お礼メール


・最新の福島取材と制作状況の情報提供

 

・上映会へのペア招待状

 

 

・「福島の津波」を伝えるメッセージカード

 

・エンドロールへの名前掲載

 

 

・完成したドキュメンタリーDVD

 

・福島の復興支援団体「福興浜団」タオル

 

・完成したドキュメンタリーの上映会開催権

 

・福島の復興支援団体「福興浜団」Tシャツ

 

 

・福島県南相馬の菜の花畑生まれ、菜種油『油菜ちゃん』270g

 放射能測定は分析済みです

 

 

・マヨネーズ『油菜ちゃんマヨ』170g入り

 


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