弘前を見守りつづけて368年。最勝院「仁王像」修復にご支援を。

弘前を見守りつづけて368年。最勝院「仁王像」修復にご支援を。

支援総額

8,441,000

目標金額 6,000,000円

支援者
282人
募集終了日
2021年4月30日

    https://readyfor.jp/projects/saisyouin?sns_share_token=&utm_source=pj_share_url&utm_medium=social
    専用URLを使うと、あなたのシェアによってこのプロジェクトに何人訪れているかを確認できます
  • Facebook
  • X
  • LINE
  • note

プロジェクト本文

第一目標達成の御礼とネクストゴールについて


陽春の候、皆々様におかれましては、ご清祥のことと拝察申し上げ、心よりお慶び申し上げます。3月24日より開始したクラウドファンディングは、皆々様からの厚いご支援を頂戴し、4月22日に第一目標の600万円を達成することができました。これもひとえに皆々様方の思いとご支援のお陰様でございます。重ねて御礼申し上げます。


このクラウドファンディングは「All or Nothing」という方式のため、万が一にも失敗がないように、と低めの目標額を設定しておりました。しかし以下のプロジェクト本文にも書いております通り、実際には仁王様の修復のためにはおよそ1700万円が不足している状況です。
 

そこで、第二の目標金額として1000万円を設定致しまして、更に積み重ね、必要な金額に近づくことができますように進めて参りたいと存じます。一歩一歩と牛歩のごとくに、しかし、しっかりと足元を踏みしめつつ進めて行きたいという思いは、初心に変わることはございません。

 

これからが、いよいよ本番と気持ちを一層引き締めて、万が一にも失敗がないように心を配りながら、第二・第三のより高い目標を目指し物事を進めて参りたいと念じております。皆々様には最勝院の仁王様に、より一層のご支援・ご協力・ご声援を切にお願い申し上げつつ、第一目標到達のお知らせ旁々、御礼ならびにご挨拶とさせて頂きたいと存じます。

 

2021年4月23日(金)追記

 

 

厳しくも優しい眼差しよ甦れ!

金剛山最勝院 仁王像の修復にご支援を

 

城下東南の丘で風雪にさらされながら立ち続け、五重塔とともに弘前を見守りつづけてきた、金剛山最勝院の仁王像。その御尊像は現在、東京の仏師工房で大規模な解体修理を受けています。

 

その過程において、これまでは来歴不詳とされていた仁王像に、368年という大変古い歴史があることが明らかとなりました。これにより、二体の仏像の大切さ、この仁王像を後世に引き継ぐことの使命感は、ひときわ高まっています。

 

しかしその経年変化は見た目以上に進行していることが判明し、修復費用は当初予想の倍近くの約3300万円にまで跳ね上がっています。修復費用はこれまでご寄進によって少しずつ集めて参りましたが、令和2年は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で参拝客も激減し、必要な金額に対して全く足りず、修復そのものが頓挫しかねない状況です。

 

現在ご尊像が不在ゆえに寂しい限りの仁王門です。一刻も早い仁王像の厳しくも優しい眼差しの復活を願うと共に、これからもご参拝の皆様と弘前を見守っていただくために、皆様からの心よりのご支援をお願い申し上げる次第です。

 

金剛山最勝院

 

 

 

弘前を見守りつづけて368年。金剛山最勝院 仁王像。

 

寺院の入口に立ち、参詣者と弘前を見守る、金剛山最勝院の仁王像(金剛力士立像)。

 

藩政期より、初詣や夏の例大祭・祇園会(通称ダイエンジのヨミヤ)などでは、多くの檀信徒・弘前町人がこの仁王尊像の眼差しを拝しつつその時々を過ごしてきました。それは世代が変わり現代に至っても変わらぬ風景として連綿と続いています。

 

 

 

左目が落ちたことから始まった、修復の道のり。

 

|仁王像の左目が落下

 

2017年秋、「仁王様の目が落ちている!」と信者さんが息をせききって、お寺に駆け込んできました。急いで仁王門へ行ってみると、大きく口を開いている仁王像(阿形金剛力士)の左目がぽっかりと穴が空き、床にはコロリと目玉が転がっていました。目が無い仁王像はとても痛々しく、口を大きく開けて「痛い、痛い」と大声で叫んでいるようにさえ見えました。

 

専門家に調査していただいた結果、阿形像・吽形像それぞれの残り全ての目が今にも落ちそうだ、ということがわかりました。早速、総代の方々にも相談の上、修復を行うことになりました。

 

 

 

|豪徳寺の「明古堂」に修復を依頼することに

 

大切な仁王像の修復を誰に依頼するのか、当初は皆目見当がつきませんでした。そこで弘前大学名誉教授の須藤弘敏先生のご提案で、東京都世田谷区豪徳寺の「明古堂」(明珍素也工房代表)に修復をお願いすることとなりました。全国の文化財級仏像修理を数多く手がけており、その技術が卓越したものであることには定評があり、そして何よりも、そのお人柄としてご仏像に向き合う真摯な姿勢には心に響くものがある、とのご紹介でした。

 

二体の像の目の修復にかかる費用は約1700万。2019年から檀徒の皆様への勧募を開始しました。

 

 

 

|経年変化は更に深刻であることが、運搬の際に発覚

 

2019年秋、ついに仁王像の搬出作業が開始しました。重く大きい仁王像を仁王門の外に引き出す作業は容易ではなく、壁板を打ち抜いてチェーンブロックでつり上げて引き出すという大掛かりなものでした。

 

慎重に作業を進めましたが、その際、吽形像の左足が外れるという事件が起こりました。膝あたりから外れており、内部がはっきりと見える状態でした。もしかすると立っている状態で既にそのようになっていたのかも知れません。

 

更に、東京へ到着し工房へ運び入れる時に、今度は阿形像の右肩が外れたのです。

 

 

 

|目だけの修復から全身の解体修復へ、方針の転換


改めて入念に仁王像の全身チェックを行ったところ、寄せ木造りの二体の仁王像は、いずれもバラバラになる寸前で、目だけを修復しても全体が崩れていく可能性が高い、ということでした。

 

木材を接合している膠(にかわ)の成分がほぼ効いていない状態で、頼みの綱ともいえる鎹(かすがい=木材同士をつなぎ留める役割の鉄製の大釘)も全体的に緩んでいるのだそうです。

 

そこで明珍氏からのご提案により、文化財と同等に解体修理をするという方針転換をしました。つまり、つなぎ止めている部材を全て取り除き、全てのパーツを入念にチェック・修復しながら元に戻す、という方法です。

 

 

 

解体によって明らかとなった、仁王像の由緒

 

解体の過程の中で、2020年7月、吽形像の体内に「承應2年」(1653)の墨書が発見されるという大きな出来事が起こりました。

 

これまでその来歴は不詳とされていた仁王像に、368年という大変古い歴史があることが明らかとなったのです。仁王像としては青森県で一番古い尊像であることもわかりました。

 

最勝院仁王像は運慶を源流とする仏師により、承應2年(1653)に造立された名誉ある御尊像という辺境の地、津軽においては、とてつもなく大きな発見がなされたといえるでしょう。 右近(うこん)はこの仁王像が遠い将来において解体の上、修復が行われるであろう事を想定して、目に触れることが難しい体内にのみ墨書を残したのかも知れません。

 

「承應貳年六月吉日 七条大仏師流 右近作」

 

記者会見の様子

 

 

費用は倍額に、それでも「最勝院の」仁王像を修復したい

 

最も問題となったのは、金銭面でした。解体修理のためには、工期も大きく延び、予算はおおよそ3300万円に跳ね上がります。

 

当初の1700万円という予算で檀家さんの寄進がほぼ終了してるため、更なる檀徒寄進は難しいと考えられます。また、この仁王像は文化財の指定を一切受けていないため、費用の全額をお寺で負担しなければなりません。

 

一時は「3300万円あれば、新たな仁王様を制作できてしまうのではないか。」という考えも脳裏に浮かびました。しかし、300年を遙かに超える星霜はお金に換算することの出来ない貴重なものであり、あくまでも「最勝院の仁王像の修復」であるということを、貫くこととしました。

 

 

 

予算不足に追い打ちをかけた、コロナ禍

 

このような計画の最中、新型コロナウイルス感染症が世界的な猛威をふるいました。

 

2020年春、「弘前さくら祭り」の中止にあわせ、最勝院の有料拝観も中止に。桜の花が満開を迎えるゴールデンウィークも、密を避けるために閉門を余儀なくされました。拝観料収入は無くなり、それに伴いお賽銭も無くなり、同じく御朱印・御守などの授与品収入も無くなりました。

 

最勝院としては、例年4~5千人ほどの観光客・地元の方々が訪れるこの時期の収入を仁王像の修復資金に充てる予定であっただけに、これは大打撃となりました。仁王像の修復そのものの頓挫も危惧される状態となりつつあるのが現状です。
 

2020年4月の様子。人は居なくとも、桜の花々は何事もないかのように綺麗に咲いていました。

 

そこで今回、最勝院にとっては未開の領域ではありますが、このクラウドファンディングという方法で、より多くの方々へ現状をお知らせし、ご協力を募ることに致しました。

 

初詣、宵宮といった年中行事など、最勝院は全国から多くの信者さん方の信仰と支持を頂きながら存続してきた歴史があります。一度は訪れたことがある、といったご仏縁のある方々に、この仁王像修復のお手伝いをして頂くことができればという思いは常々あったのです。

 

造立以来、360年を超える歴史ある仁王像の厳しくも優しい眼差しの復活を願い、次の世代に健康な状態で引き継ぐために、皆様の温かいご支援を何卒お願い致します。

 

◆目標金額:600万円

◆プロジェクト内容:2023年5月10日までに仁王像の修復・法要を終了すること

 

 

ご挨拶

「最勝院仁王像へのおもい」

金剛山最勝院 第三十八世住職 布施公彰

 

現在の最勝院の仁王様は、これまで最勝院へお参りされる、実に多くの方々を永い間、厳しい眼差しで静かに見守り続けてまいりました。時には、近隣に住まいする方々の我が子・孫を諭し、叱りつける場面にも度々登場してきたとする仁王様です。当時の子ども達が大人になってでさえも、思い出の一齣として仁王様のことが脳裏に刻み込まれているという現実があります。それは最勝院が、檀徒(檀家)さんだけではない、実に多くの檀家さん以外の信者さんにも支えられてきた、ということの何よりの証左ではないでしょうか。


最勝院の仁王様の存続は、このプロジェクトが成功するかどうかにかかっているといえるでしょう。仁王様がおよそ400年間にせまる長い歳月の中で、どのような修理修復を経てきたかは現段階では定かではありません。しかし、このプロジェクトが成功すれば、最勝院の仁王門をくぐる多くの弘前市民・参拝者の方々が世代を変えようとも、これまでと同じようにお二人の仁王様に見守られ続けてゆくことでしょう。仁王様はひたすらに星霜を経、歴史を重ねて行く中で厳しくも優しい、慈悲の眼差しで仁王門を通り行く全ての人と弘前を見つめて行くこととなるでしょう。

 

上記のことをひたすらにおもい、願いつつ、この文章は書かせて頂きました。改めまして最勝院の仁王様(仁王像・金剛力士立像)修復にご協力を賜りますよう、伏してお願いを申し上げます。

 

金剛合掌

 

 

最勝院住職 プロフィール

昭和36年生まれ、年齢60歳。小学校4年生で仏門に入る(得度)。弘前大学附属幼稚園卒業、弘前大学附属小学校卒業、弘前大学附属中学校卒業、青森県立弘前南高等学校卒業、大正大学卒業、総本山智積院へ奉職。平成12年先代住職遷化(死去)により第38世住職となる。現在、真言宗智山派奥羽教区(秋田県・青森県)教区長。真言宗智山派教区代表会副議長。弘前市重要文化財所有者連絡協議会会長などを歴任(『最勝院史 図版編 壹』近現代の最勝院住職に詳細あり)。

 

プロジェクトに寄せて

「最勝院仁王像修復の意義 」

弘前大学名誉教授 須藤 弘敏

 

仁王像は寺院の入口に立ち、その空間と参詣者を守る大切なものですが、大きさや構造の問題で多額の費用を要するため限られた寺院にしかありません。また木で造られた仏像には、材質や構造の性質から百年ないし二百年ごとに修理をくり返さないと維持できない宿命があります。中でも門に立つ仁王像は、つねに外気にさらされて気温や湿度の変化を長年こうむっているためことに傷みやすく、大きな像ゆえに自らの重さも負担になります。そうした事情から今も古い仁王像を伝えるのは、青森県内でも深浦円覚寺や茂森長勝寺など歴史と由緒がある名刹に限られています。最勝院仁王像はそれらよりさらに古く360年以上にわたり弘前城南の台地にあって、檀徒だけでなく城下の人々を守り、守られてきたお像です。

 

この仁王像が過去に大きな修理や二度以上の塗り直しを経ていることはわかっていましたが、今回の修理着手によって、予想以上に大幅な修復が必要なこととともに県内最古の仁王像であることも明らかになりました。片方の像の目が落ちかかったことから始まった今回の修理では、早々に部材がばらばらになるなどしたため、造りが荒いのだとか粗末にされてきたのだと誤解されがちです。しかし、きちんとした仏師は、その仏像が将来解体修理されることを前提とした造り方をしているのです。仁王像のような大きな像の場合は複数の部材を寄せて組み上げてあり、はぎ目という部材の接続部分には糊や膠のような離しやすい素材を多く用いています。中世以来の仏像修理を多く手がけていたすぐれた仏師だからこそ、仏像を新造する際に遠い将来の修理者への配慮をこめていたのです。

 

今回の最勝院仁王像は4世紀近い年数を経てそうした修理のサイクルが巡ってきたことになります。五重塔は台風19号という天災によって解体修理を余儀なくされたわけですが、仁王像は自ら目を落として修復してほしいと私たちに伝えたのかもしれません。幸い最勝院檀徒の方々のご理解があって本格的な修復に着手したわけですが、想定以上の工程と期間が必要なことが判明しました。しかし一方で、承応2年(1653)に運慶以来の流れを汲む仏師が造立したという輝かしいお像の由緒が吽形像のお顔の裏から見つかりました。銘文のある仏像としては弘前市内では二番目に古いお像です。仏師右近はこの日のあることを期して、一切人目に触れない体内に墨書を残していたわけです。

 

弘前の町ができてまだ間もないころ、津軽一円を見渡す台地に本堂と仁王門そして五重塔が次々と建ったとき、文字通りそれらを見上げる人々はどれほど心丈夫なことだったでしょう。私たちはさらに数世紀後の人々に伝えることを今託されています。国指定文化財の五重塔修理には多くの公費助成を得ましたが、現時点では市の指定も受けていない仁王像の修復には多くの方々のご支援を仰ぐほかありません。弘前の歴史を文字通り体現してきた最勝院仁王像がこれから少なくとも百年以上堂々と立ち続けられるよう、今可能な最良の修復作業が始まりました。皆さまのご理解ご協力を強くお願いいたします。

あなたのシェアでプロジェクトをさらに応援しよう!

    https://readyfor.jp/projects/saisyouin?sns_share_token=&utm_source=pj_share_url&utm_medium=social
    専用URLを使うと、あなたのシェアによってこのプロジェクトに何人訪れているかを確認できます
  • Facebook
  • X
  • LINE
  • note

プロフィール

昭和36年生まれ、年齢60歳。小学校4年生で仏門に入りました(得度)。弘前大学附属幼稚園卒業、弘前大学附属小学校卒業、弘前大学附属中学校卒業、青森県立弘前南高等学校卒業、大正大学卒業後に、総本山智積院へ奉職させて頂きました。平成12年先代住職遷化(死去)により第38世住職を拝命致しました。現在、真言宗智山派奥羽教区(秋田県・青森県)教区長、真言宗智山派教区代表会副議長、弘前市重要文化財所有者連絡協議会会長などを勤めさせて頂いております(『最勝院史 図版編 壹』近現代の最勝院住職に詳細あり)。こども、5人。

あなたのシェアでプロジェクトをさらに応援しよう!

    https://readyfor.jp/projects/saisyouin?sns_share_token=&utm_source=pj_share_url&utm_medium=social
    専用URLを使うと、あなたのシェアによってこのプロジェクトに何人訪れているかを確認できます
  • Facebook
  • X
  • LINE
  • note

リターン

10,000


仁王像体内への御芳名簿奉納

仁王像体内への御芳名簿奉納

★仁王像体内への御芳名簿奉納(希望制)
●御礼のメール
●御礼の絵はがき・最勝院パンフレット
○修復プロジェクト顛末書(PDF)
○落慶法要の録画動画ご視聴権

ーーーーーーーーーーーー
●:2021年7月中にお届け
○:2023年7月中にご案内

申込数
72
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2023年7月

30,000


仁王像解体修復記念御朱印

仁王像解体修復記念御朱印

★仁王像体内への御芳名簿奉納(希望制)
●御礼のメール
●御礼の絵はがき・最勝院パンフレット
●仁王像解体修復記念御朱印
○修復プロジェクト顛末書(PDF)
○落慶法要の録画動画ご視聴権

ーーーーーーーーーーーー
●:2021年7月中にお届け
○:2023年7月中にご案内

申込数
22
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2023年7月

10,000


仁王像体内への御芳名簿奉納

仁王像体内への御芳名簿奉納

★仁王像体内への御芳名簿奉納(希望制)
●御礼のメール
●御礼の絵はがき・最勝院パンフレット
○修復プロジェクト顛末書(PDF)
○落慶法要の録画動画ご視聴権

ーーーーーーーーーーーー
●:2021年7月中にお届け
○:2023年7月中にご案内

申込数
72
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2023年7月

30,000


仁王像解体修復記念御朱印

仁王像解体修復記念御朱印

★仁王像体内への御芳名簿奉納(希望制)
●御礼のメール
●御礼の絵はがき・最勝院パンフレット
●仁王像解体修復記念御朱印
○修復プロジェクト顛末書(PDF)
○落慶法要の録画動画ご視聴権

ーーーーーーーーーーーー
●:2021年7月中にお届け
○:2023年7月中にご案内

申込数
22
在庫数
制限なし
発送完了予定月
2023年7月
1 ~ 1/ 15

プロフィール

昭和36年生まれ、年齢60歳。小学校4年生で仏門に入りました(得度)。弘前大学附属幼稚園卒業、弘前大学附属小学校卒業、弘前大学附属中学校卒業、青森県立弘前南高等学校卒業、大正大学卒業後に、総本山智積院へ奉職させて頂きました。平成12年先代住職遷化(死去)により第38世住職を拝命致しました。現在、真言宗智山派奥羽教区(秋田県・青森県)教区長、真言宗智山派教区代表会副議長、弘前市重要文化財所有者連絡協議会会長などを勤めさせて頂いております(『最勝院史 図版編 壹』近現代の最勝院住職に詳細あり)。こども、5人。

あなたにおすすめのプロジェクト

注目のプロジェクト

もっと見る

新着のプロジェクト

もっと見る