戦没学生の音楽作品よ、甦れ!いま戦争の記憶を語り継ぐ

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2,112,000

目標金額 1,500,000円

寄付者
127人
募集終了日
2020年6月12日

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2020年05月19日 18:00

鬼頭恭一編曲《惜別の譜》~師弟の合作

今回初めて演奏する曲④

 鬼頭恭一さんは、終戦を目前に控えた昭和20年7月29日、霞ケ浦の航空隊基地で新型戦闘機のテスト飛行中に、不慮の事故で亡くなりました。昭和18年11月、仮卒業となって呉鎮守府大竹海兵団に入団した鬼頭さんは、霞ケ浦に配属される以前にさまざまな基地を転々としました。そのひとつが、昭和19年6月から翌年5月まで配属されていた福岡県の海軍築城(ついき)航空隊です。

 鬼頭さんの譜面は、名古屋の実家が空襲で焼けてしまったため、あまり多くはありません。しかし彼が築城海軍航空隊にいた時期に使っていた作曲ノートが遺されています。その中には、鬼頭さんが厳しい訓練の合間をぬって書き溜めた、歌曲《雨》をはじめとする何曲かの草稿が見られます。今回取り上げる《惜別の譜》は、そのノートにはありませんが、やはり築城にいた当時の作品です。

 

入学当時の鬼頭恭一さん(鬼頭正明氏提供)

 

◆讃井智恵子作曲・鬼頭恭一編曲《惜別の譜》

 今回取り上げる《惜別の譜》は、鬼頭さんが作曲した曲ではなく編曲作品です。「編曲」というのは、一般的にはある曲をその曲の同一性を失わない範囲で、オリジナルとは別の形にすることです。たとえば、ピアノのソロの曲をオーケストラに「編曲」するといったようなケースです。

 《惜別の譜》の場合は、讃井智恵子さんが作曲した単旋律の歌曲を、鬼頭さんが4声部のコーラスに「編曲」したのです。この曲について語るには、どうしても作曲者の讃井智恵子さんのことに触れなければなりません。以下、讃井さんの義理の娘さんである讃井優子さんが、お義母さまの智恵子さんの文章をまとめた『ある理事生の記憶 築城海軍航空隊』(一粒書房)を参考に、《惜別の譜》が生まれた背景をご紹介しましょう。

 

17~8歳ころの讃井智恵子さん(讃井優子さん提供)

 

 福岡県門司市に生まれた讃井智恵子さんは、昭和20年1月から疎開先の築上郡松江の近くにあった築城海軍航空隊で理事生(事務員)として働き始めました。築城海軍航空隊といえば、訓練中の鬼頭さんが昭和19年6月から翌年5月まで、一番長く滞在していた基地です。そしてここで讃井さんは鬼頭恭一さんと運命的な再会を果たしたのです。

 『ある理事生の記憶』はひとりの多感な女性が、築城で出会った兵士たちとの束の間の交流を書き留めた貴重な記録で、鬼頭恭一さんとの想い出も綴られています。先ほど二人が再会したと書きましたが、それでは最初の出会いはいつだったのでしょうか。

 昭和16年3月、地元の高等女学校を卒業した讃井さんは、東京に出て東京音楽学校の選科でピアノを学びます。鬼頭さんはその前年、作曲の選科に入学していましたから、校内で顔を合わせたことがあったのでしょう。選科は子どもから社会人まで、誰もが手軽に音楽の専門教育を受けられる場でした。

 その後、鬼頭さんは2年間の浪人生活を経て、昭和17年、晴れて東京音楽学校予科に入学します。一方、讃井さんは東京での1年間の遊学を終えて、故郷へ戻りました。その二人が昭和20年4月、偶然、築城で顔を合わせることになったわけです。駅のホームで列車を待っている時に、鬼頭さんから声をかけられた讃井さんは、すぐには分からず、そういえばこんな人がいたような、という程度の記憶だったそうです。

 しかし再会をきっかけに、鬼頭さんは休みの日には、ピアノまで持って疎開していた讃井さんの家を訪れ、思う存分ピアノを弾かせてもらうようになりました。そして讃井さんは、鬼頭さんの「ただ一人の作曲の弟子」となり、ある日、「曲をつけるように」と一編の詩を与えられます。讃井さんがこれに作曲し、鬼頭さんがコーラスのアレンジを施したのがこの《惜別の譜》です。

 昭和19年5月、鬼頭さんの築城から霞ケ浦への転勤が決まります。二人の別れは、ひなびた駅の待合室でした。楽典の本を読みながら、鬼頭さんとお別れしたときのことを、讃井さんは次のように綴っています。

「……もう帰らねばと思い、立つと、鬼頭さんも立って、いきなり、プッチーニのオペラ《蝶々夫人》の中の〈ある晴れた日に〉を原語で歌い出した。すき通るようなテナーであった。遠い一点を見つめて直立不動で歌っている。……私もきまりわるかったが、帰るに帰られず黙ってうつむいて聞いていた。……」(讃井智恵子『ある理事生の記憶』より「ただ一人の弟子」P50~51)

 これが、讃井さんと鬼頭さんの最後の別れとなり、二か月後、彼女のもとにもたらされたのは、鬼頭さんがテスト飛行中の事故で亡くなられたという知らせでした。

 

讃井智恵子作曲/鬼頭恭一編曲《惜別の譜》手稿譜
讃井智恵子著『ある理事生の記憶』より

 

 《惜別の譜》はト短調、全16小節の短い歌曲です。歌詩は「人の命の定めなら、つぼみのうちに散ろうとも、我が身のなどて惜しむらん、祖国に春の来るものを」という、まさに特攻兵の心情を物語るような内容です。誰の詩かはっきりしませんが、讃井優子さんは、鬼頭さんが女性向けの雑誌に掲載されていた詩を智恵子さんに渡したのでは、とおっしゃっています。

 讃井智恵子さんが大切に保存されていた鬼頭さんの手書きの譜面(上の写真)には、編曲を終えたと推測される昭和20年5月17日の日付と、鬼頭恭一さんのイニシャルKKが記入されています。時を経てボロボロにはなっていますが、ご覧のように詩は書かれていません。また譜面は無伴奏ですが、今回は作曲家の松岡あさひさんに編曲を依頼し、ピアノ伴奏をつけて演奏いたします。(大石泰)

※参考文献:讃井智恵子『忘れえぬこと一九四五年 ある理事生の記憶 築城海軍航空隊』(一粒書房)

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