戦没学生の音楽作品よ、甦れ!いま戦争の記憶を語り継ぐ

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2020年6月12日

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2020年05月26日 18:00

中田喜直《六つの子供の歌》より

学友たちの作品➀

 今回の演奏会「戦後75年・里帰りコンサートin旧奏楽堂」の特徴の一つが、戦没学生の作品だけでなく、当時彼らと机を並べていた学友たちの作品も取り上げることです。

 4人の戦没学生のうち鬼頭恭一さんと村野弘二さんは、昭和17年入学の同期です。この年の作曲の同期生は全部で7名で、その中に大中恩さん、團伊玖磨さんがいました。また草川宏さんは、昭和15年、作曲としては唯一の入学者でしたが、同じ年ピアノ科に葛原守さんと中田喜直さんが、そして声楽科に畑中良輔さんが入学しています。

 これからの「新着情報」では、4名の学友たちのプロフィールとその演奏曲を順番にご紹介します。彼らも戦没学生と同じように戦争を体験していますが、幸運にも戦争で命を落とすことはありませんでした。そして後年、それぞれが音楽家としての確かな地位を築きました。翻って見れば、戦没学生の皆さんがもし生還していたら、どんな音楽家になっていたか……それを考えると残念でなりません。そういう意味では、今回ご紹介する学友たちは、戦争で命を落としてしまった彼らの分まで生きた、と言えるのかもしれません。

 最初にご紹介するのは《夏の思い出》《雪の降るまちを》などの多くの愛唱歌、そして《ちいさい秋みつけた》など今も歌い継がれている童謡を作曲した中田喜直さんです。

 

入学当時の中田喜直さん

 

◆中田喜直(1923~2000)プロフィール

 中田喜直さんは、大正12(1923)年8月1日、《早春賦》の作曲家・中田章さんの三男として東京に生まれました。青山学院中等部を経て、昭和15年、東京音楽学校予科に入学、翌年本科ピアノ専攻に進みます。そしてピアノを田中規矩士、豊増昇両先生に師事します。また、作曲を橋本國彦先生に習いました。

 昭和15年入学組は全科合わせて50名ほどでしたが、中田さんと同じピアノ専攻の葛原守さん、そして声楽専攻の畑中良輔さん、山田正次さん、朴殷用さんの5人が大変仲良くなり、自ら「五人組」と称していつも一緒に過ごしていたようです。特に歌の畑中さんとは、中田さんが彼のピアノ伴奏を引き受けたこともあって、無二の親友となります。中田さんはピアノ専攻でありながら手が小さかったため、ピアニストから作曲家に転向することを決意しますが、畑中さんのピアノ伴奏者としての経験が、後に歌曲の作曲でおおいに役に立ったと、おっしゃっています。

 昭和18年9月、本科器楽部(ピアノ)を繰上げ卒業。同年10月、陸軍に志願し宇都宮陸軍飛行学校に「特別操縦見習士官」として入隊します。その後、浜松での重爆撃機への搭乗訓練なども経て、翌昭和19年、飛行学校を卒業し、帝国陸軍航空部隊の陸軍少尉に任官されます。そしてフィリピン第四航空軍司令部付きとなりフィリピンのマニラへ向かいました。

 中田さんはマニラに着いた際、現地の司令官から「君たちは特攻隊だ」と宣告され、強いショックを受けた体験を持っています。これはすぐ間違いであったことが判明するのですが、後に中田さんは「この時命の大切さを自覚した」と語っています。マニラでは司令部勤務が続いたため、実際の戦闘に巻き込まれることはありませんでした。

 その後、セレベス島を本拠とする飛行第一四戦隊へ配属されますが、たまたま部隊が休養する時期に重なり、そこでも戦闘に会いませんでした。こうした幸運が重なったあげく、中田さんは昭和20年2月、サイパン島の米軍基地を攻撃する長距離爆撃隊を編成するため、日本へ呼び戻されます。そして群馬の新田飛行場で待機しているうちに、終戦を迎えました。

 敗戦とともに「兵隊は家に帰れるが、将校は銃殺されるらしい」という噂が広まります。死を覚悟した中田さんは、終戦の翌日、母と兄、恩師の豊増昇先生、「五人組」の一人、山田正次さんに宛てて4通の遺書を認めました。その山田さん宛ての遺書には、次のように書かれています。

 「戦って死にたかった。コン吉の所へ行くよ。~(略)~。畑中は生きていても随分苦しむだろう。重慶の下になってはね。~(以下略)」

 中田さんは畑中さんが中国の重慶にいると思い込んでいますが、実際には、畑中さんは陸軍一等兵として上海に駐屯していました。そしてここに「コン吉」の愛称で書かれている人物こそ、その年の4月、台湾の病院で戦病死した葛原守さんに他なりません。

 

演奏旅行の途次、旅館でくつろぐ学生たち
左から4番目が葛原さん、その隣が中田さん、一人おいて草川さん、その隣が畑中さん

 

 その後の中田さんの活躍については、多言を要することはないでしょう。作曲家として、主に歌曲、合唱曲、童謡の世界で、現在も広く歌われている多くの曲を作曲しました。東京音楽学校の仲間たちとの交流は卒業後も続き、戦後すぐに結成された作曲家グループ「新声会」では畑中良輔さんと、昭和30年に結成された「ろばの会」では大中恩さんと一緒でした。

 昭和54年には、初代会長サトウハチロー氏の死後、しばらく空席になっていた社団法人「日本童謡協会」の二代目会長に就任し、以後平成12年に亡くなるまでその要職を務めあげました。また昭和28年にフェリス女学院短期大学専任講師に就任すると、その後平成5年、定年で退職するまで40年の長きにわたって後進の指導にあたりました(昭和39年からフェリス女学院短期大学教授、平成2年よりフェリス女学院大学教授)。また私生活では、大の嫌煙家としても有名でした。平成12(2000)年5月3日逝去。

 

◆歌曲集《六つの子供の歌》について

 中田さんの作曲家としてのスタートを、作曲家グループ「新声会」での作品発表とすれば、そのデビュー曲は昭和21年、同会の第3回試演会で演奏されたピアノ曲《バラード》ということになります。しかし真の意味で世間の注目を集めたのは、翌昭和22年、当時24歳の中田さんが「新声会」第5回試演会で発表した《六つの子供の歌》でした。

 今回の演奏会では学生時代の作品を紹介するのが趣旨なので、その意味では条件に当てはまりません。中田さんは学生時代に、《夕逍遥》《湖》(いずれも堀口大学詩)他、いくつか歌曲を作曲していますが、作曲者本人は気に入らなかったのか、自身の作品リストには加えていません。

 しかし《六つの子供の歌》の中の《風の子供》は、学生時代にすでにその原型が生まれていました。予科時代の橋本國彦クラスの「和声学」では、自由作曲発表演奏というのがあり、中田さんは小学校6年の時に作曲した《怪我》と、この《風の子供》の2曲を提出したのでした。歌ったのは親友の畑中良輔さんでした。

 歌曲集《六つの子供の歌》は、いずれも西條八十編『日本童謡集・上級用』から選ばれた6つの詩に作曲されました。前述の《怪我》(西條八十詩)もこの童謡集に収められていた詩で、中田さんは小さいころからこの本を愛読していたのでした。曲は次の6曲からなります。

 1 うばぐるま(西條八十詩)

 2 烏(小川未明詩)

 3 風の子供(竹久夢二詩)

 4 たあんき ぽーんき(山村暮鳥詩)

 5 ねむの木(野口雨情詩)

 6 おやすみ(三木露風詩) 

 初演は昭和22年7月、文部省試写室で畑中良輔さんの奥様の畑中更予さんの歌と本人自身のピアノで行われました。そしてその後も度々歌われ、中田さんの代表曲のひとつになったのでした。今回は時間の都合で、〈風の子供〉〈たあんき ぽーんき〉〈おやすみ〉の3曲のみ演奏いたします。(大石泰)

 

旧奏楽堂前で同級生たちと(手前畑中良輔・左端中田喜直 中田幸子氏提供)

 

参考文献:牛山剛著「夏がくれば思い出す-評伝 中田喜直」(新潮社)

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