義経=成吉思汗、同一人物説のロマンと真相を追って
支援総額
目標金額 4,000,000円
- 支援者
- 8人
- 募集終了日
- 2020年11月30日
義経=成吉思汗、同一人物説について(その7)
『義経=成吉思汗、同一人物説のロマンと真相を追って』について
(その7)
==『空白の14年間(1189年~1203年)』における「元朝秘史」と
「蒙古ラマ教史」との疑問、矛盾について、==
義経(31才)が史実の上で死亡したとされる1189年以降は当然のことながら、義経は歴史上は消えています。
一方、成吉思汗が事実として歴史上に登場するのは、テムジン(45才)が1203年ケレイト族のトオリル汗(王汗)との戦いに勝利し、1204年ナイマン族を破り、1206年のモンゴル統一する頃である。それ以前のことは不明と云われています。 (杉山正明著「モンゴルが世界史を覆す」より)
1189年から1203年の間は、義経も成吉思汗も歴史上は消えている状況にあります。 『空白の14年間』と言ってよいと思われます。
モンゴル史の原書であり、成吉思汗一代記として書かれた「元朝秘史」(巻4)によると、成吉思汗は1190年頃、モンゴル部族における若き二人の領袖テムジンとジャムカの対立から「13翼の戦い」の最中であります。
一方、大蒙古帝国から清朝中期までの王統の歴史書と云われるチベット人が書いた「蒙古ラマ教史」によると、成吉思汗の年代が明記されている最初の戦いは1190年の満州女直ワンスンとの戦い(アムール川河口近く)であり、次に1192年の高麗チャガンとの戦い(ウラジオストク近く)であると記されているといわれます。
モンゴルから大興安嶺山脈を越えて、2000㎞以上離れたユーラシア大陸の東の端で成吉思汗が戦ったと云う記録であります。
(丘英夫著「義経は成吉思汗になった!」およびインテックジャパンのブログより)
なぜ、モンゴル高原の中央部で生まれた成吉思汗が大興安嶺山脈を越えて、遠い大陸の東端まで行って戦ったのか? 大きな疑問、矛盾であります。
◎ 義経一行が大陸・沿海州に上陸し、直面した満州女直や高麗の軍と交戦したとすれば、辻つまが合うのではないだろうか。
◎ この不自然なユーラシアの東端・極東での戦いが間接的証拠となり、義経から
成吉思汗(テムジン)への流れが一連の糸でつながるのではないだろうか。
大きな仮説(4);
義経一行(先遣隊として大陸に渡海した武蔵坊弁慶軍団の可能性を含め)は樺太から間宮海峡を渡り、アムール川河口付近に上陸した際に現地住民の女直ワンスンと遭遇した。これが1190年の交戦である。
そして、沿海州を南下し、ウラジオストク近くに到達する。そこで1192年、現地の高麗チャガンとの交戦、勝利する。
その後、約10年間、義経を中心に300人を超える若い東北騎馬軍団は大興安嶺山脈の東側(現在の満州地域)一帯で住民等との融和、共存を図りつつ、武術の鍛錬、軍事力の強化等に力を注ぎ、機をうかがっていたのである。
Q;「現時点で」、大きな仮説(4)について、
信じますか? 信じませんか? どう考えますか?
リターン
10,000円
ご支援に対する御礼
御礼の手紙、
マンガ読本の進呈、
尚、本プロジェクトはAll or Nothing方式となります。
ご支援総額が目標金額に1円でも満たない場合、全額支援者に返金される方式です。
- 支援者
- 7人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2021年7月
30,000円
ご支援に対する御礼
御礼の手紙、
マンガ読本の進呈、
尚、本プロジェクトはAll or Nothing方式となります。
ご支援総額が目標金額に1円でも満たない場合、全額支援者に返金される方式です。
- 支援者
- 1人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2021年7月
50,000円
ご支援に対する御礼
御礼の手紙、
マンガ読本の進呈、
更に、モンゴルのお土産を進呈します。
尚、本プロジェクトはAll or Nothing方式となります。
ご支援総額が目標金額に1円でも満たない場合、全額支援者に返金される方式です。
- 支援者
- 0人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2021年7月
100,000円
ご支援に対する御礼
御礼の手紙、
マンガ読本の進呈、
更に、モンゴルのお土産を進呈します。
尚、本プロジェクトはAll or Nothing方式となります。
ご支援総額が目標金額に1円でも満たない場合、全額支援者に返金される方式です。
- 支援者
- 0人
- 在庫数
- 制限なし
- 発送完了予定月
- 2021年7月