被災前以上の石巻に・・・

 

今回は、NPO法人 石巻・田代島しまおこし隊の理事の一人、菅原恵子さんをご紹介します。 石巻在住の菅原さんは、2012年3月11日、午前中の飛行機で韓国に飛んでいて被災をまぬがれました。震災のことを知ったのは、韓国の空港での事だったそうです。

 
自宅があった門脇の整備地に立つ菅原さん

 

しかし、情報が錯綜しており、福島や岩手の惨状は入ってくるのですが、宮城・石巻のことは何もわかりませんでした。ニュースが入らないということは、石巻はたいした被害がないんだよ・・・そんな風になぐさめてくれる人もいましたが実情はその逆でした。
数日後、菅原さんは帰国しましたが、石巻には入れず。やむなく何週間か福岡の親戚の家で過ごしました。 その後、仙台の知人宅にも泊めていただきながら、石巻に入れたのはもう4月だったそうです。

 

 

しばらくは、毎日、午前3時に目が覚めてしまい、眠れなかったそうです。 どうしてこんな事になったのだろう。 親戚も友人も大勢亡くなり、家族との思い出の家もなくなり・・・。 これは神様の意思なのですか?! と、毎晩、嘆きとも祈りともつかない内容を口にしながら泣いておられたと、静かに語ってくださいました。

 

しばらくすると、その菅原さんの中に、 「この石巻をなんとか復興させたい、被災前の石巻、それ以上の石巻にしたい!」 という思いが湧いてきて、そう思いながら生活するうちに、今回のしまおこし隊のメンバーに出会う機会がやってきたのだそうです。

 

メンバーみなさんのお話を聞くうちに、 「ああ、こうして海からの復興で、石巻を素晴らしい街に復活させられる!」と、確信するようになったそうです。

調べて行くと、菅原さんが住んでいた街、門脇は、昔から漁師の町そして船大工の町として栄えていた場所だという事もわかってきました。石巻は歴史的に見ても、漁業と船作りの運命の地、海洋文化の中心地である様でした。

 

残念ながら、石巻の海岸線は堤防が作られるので、メンバーの思うような海洋復興のまちづくりが難しい事がわかったのですが、その中で唯一可能性を秘めていたのが、田代島でした。

 

菅原さんは、「お嬢さん」で育ってきていて、自動車免許書を取るのも周りから止められた程だったそうですが、この度は決心してNPO法人の重責の一部を担い、この田代島プロジェクトに従事しておられます。

石巻復興、まずはこの田代島の古民家カフェから。 小さなプロジェクトですが、メンバーの熱い想いが込められた種のプロジェクトなのです。

 

 

 

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