プロジェクト概要


皆さまご支援いただきありがとうございます!

NEXT GOAL 設定しました。


皆さまからのご支援をいただき、当プロジェクトは目標金額を達成することができました。皆様からいただいたご支援と応援コメントは、大きな励みとなりました。心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

目標である支援金募集では、写真集製作費用のおそよ6割に当たる120万円に設定させて頂きました。製作に必要な最低限の費用とし、プロジェクトは実現可能となりました。しかし残りの製作費用に加え、これまでの取材における経費、追加取材の経費や機材にかかる費用があります。取材と写真集製作には多くの時間を割くことが必要です。よりよいものを作る環境づくりのため、NEXT GOALを設定させていただきました。
皆様からご支援いただいたこの写真集製作を進め、少しでも多くの方にお届けするために準備をしていきたいと考えています。これらを新たな目標として、引き続き募集をさせていただきます。改めて皆様の支援に感謝いたします。残り16日となりますが、引き続き応援をどうぞよろしくお願いいたします。

(2016年4月25日追記)

 


 

写真集「One last hug もう一度だけ」(仮題)を出版し、震災後から撮りためてきた我が子を捜索し続ける親たちの写真をたくさんの人に見てもらいたい!

 

はじめまして。フォトジャーナリストの岩波友紀です。私は東京の全国紙のスタッフフォトグラファーとして11年間報道写真に携わり、現在はフリーとして活動しています。震災前に3年間住んだ東北で2011年、津波と原発事故が起き、その日から仕事のない日も東北に通い続けました。「取材」という仕事としての関わり方ではなく、自分で感じ問題と思うことを徹底的に撮影したいと思ったからです。2014年には福島に移住し、現在も活動を継続しています。

 

津波ではいまだ2500人以上の方が行方不明となっています。そして見つからないわが子を捜し続ける父親たちがいます。この事実は、私が震災を取材してきた中でいちばんみなさんに伝えたいことです。今回行うプロジェクトでは、これを記録し伝えるために写真集を作ります。
 

今までの取材は自己負担で行ってきましたが、写真集を制作するにあたり制作費と今後の取材資金120万円不足しています。皆様、どうか支援していただけませんか?
 

2015年、福島県大熊町の帰還困難区域での取材風景

 

震災から5年経った今でも、お子さんを探し続ける親御さんがいます

その姿を見て、これからどのように生きていくべきか考えるきっかけにして欲しい

 

間もなく東日本大震災から5年が経ちます。震災の年、宮城県石巻市立大川小の惨劇にみまわれたお子さんを毎日捜している父親に出会いました。その後も、福島県南相馬市、大熊町で、お子さんを捜し続けている父親に会う機会がありました。彼らの中で復興は全く進んでいません。福島第一原発の周りでは、未だに家族を捜しにいくのが難しい人もいます。この現実の記録を残し伝えるもの、そしてそこから命のことを考え、これからどのように生きていけばよいかを考えるきっかけになるものとして、写真集の作成プロジェクトを立ち上げました。

 

福島第一原発から4キロの大熊町の海岸で、行方不明者の捜索をするボランティアたち

 

 

「こわかったろうなあ・・ごめんな・・」とうとう完全に打ち切りになった捜索、それでも永沼さんは毎日琴君を捜すためパワーショベルで掘り続けています

 

石巻市で出会った永沼勝さんは長男で大川小2年生だった琴君を失いました。同小で行方不明になっている4人の児童のひとりです。永沼さんは仕事を辞め、人力ではとうていやりきれない400haに及ぶ被災地域を、琴君を捜すためパワーショベルで掘り続けています。5年間、ほぼ毎日、ひとりで黙々と捜し続けていますが、まだ琴君は見つかっていません。

 

大川小は、児童が地震後に教師の指示で校庭にとどまり続けたことで避難が遅れ、児童の7割が犠牲になる大惨事となった場所です。大人が適切に逃がしていれば助かった多くの貴重な命でした。それにも関わらず捜索は復興事業の陰に隠れ、市の予算による捜索も昨年をもって完全に打ち切りとなりました。「こわかったろうなあ・・ごめんな・・」。自分ができるのは、もう一度だけ琴くんを抱きしめてあげることだけだと話します。

 

宮城県石巻市で息子の捜索をする永沼さん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大川小学校の校舎にクリスマスツリーの光が輝く

 

 

福島県南相馬市で出会った上野敬幸さん。幼い子供と両親の家族4人を津波で失いました。原発事故による帰還困難区域も含め捜索を続けています。

 

上野さん宅のある同市萱浜地区は福島第一原発から22キロ。津波後に原発建屋の爆発がたて続けに起こると、捜索隊が撤退し誰もいなくなりました。上野さんら地元消防団はその中を捜索し続けました。その後、見つかっていない長男・倖太郎くんを含む津波の行方不明者を捜す「福興浜団」を立ち上げ、代表をしています。

 

「もう一度ね、倖太郎を抱きしめて、謝りたいんだ。助けてあげられなくてごめんって」。

 

全ての行方不明者が見つかるまで、と「福興浜団」は原発事故による帰還困難区域も含め捜索を続けています。「やめたら見つかる可能性はゼロ。やめない限り可能性はゼロじゃない」と上野さんは言います。

 

「みんなの笑顔を亡くなった人たちに見て安心してもらいたい」。
津波が襲った福島県南相馬市の萱浜に菜の花迷路を作る上野さんたち

 

津波で亡くなった家族の遺影をもって撮影した家族写真

 

 

福島第一原発が立地する町で家族を亡くした木村さん、大切な命は置き去りにされ、今でも捜してあげることすらままならない状況です。

 

福島第一原発が立地する町、福島県大熊町では木村紀夫さんに出会いました。海のすぐ近くにあった木村さんの家は流され、父と妻、そして次女の汐凪ちゃんを亡くしました。見つからない家族を捜し始めた矢先の震災翌日には、町に避難命令がでました。それ以後、自分の家族を捜すことすらできなかったのです。年に数回の一時帰宅が始まると、その範囲内で町に入り捜索をしました。

 

回数は増えましたが、現在も見つかっていない汐凪ちゃんを捜しに行けるのは一時帰宅の時のみです。大切な命は置き去りにされ、今でも捜してあげることすらままならない状況です。「ここで起きたことを忘れてほしくないというのは根本にあって、そこからさらにこれからどういう生活をすればいいのか考えていきたい」と話す木村さんは、現在長野県白馬村で、多くのものに頼らない生活を目指して生活しています。そして、白馬から大熊に通い続けています。

 

福島県大熊町で汐凪ちゃんを捜す木村さん
一緒に捜索してくれる仲間が、汐凪ちゃんのジャージを見つけてくれた。思わず笑顔がこぼれる木村さん。
大熊町の自宅裏の丘で、汐凪ちゃんたちのために作ったイルミネーションが光る

 

 

報道に携わるものとして、まず知ってもらうことが大事だと常々考えています

そこで私は、写真集「One last hug もう一度だけ」(仮題)を出版します。

 

人が行動する前に、まず知ることが必要です。報道に携わるものとして、まず知ってもらうことが大事だと常々考えています。ひとつの現状を知ってもらうことが第一歩となり、そこから自分がこれからどういう生き方をしていけばいいかを考えてもらう。そのための写真集です。

 

写真集「One last hug もう一度だけ」(仮題)を出版します。今まで撮影してきたもの、また今後撮影したものの中から、A4版ヨコ120ページの写真集をまずは700部製作します。取材撮影は現在も継続中ですが、取材と並行して編集と出版準備を今年夏前に終わらせ、10月頃の出版を予定しています。

 

 

◆リターンについて◆

 

■サンクスカード


■完成した写真集5冊(サイン入り)


■岩波友紀写真集「1500日 震災からの日々」1冊(サイン入り)


■作家のオリジナルプリント額付き半切大(サイン入り、作家の全作品の中からお好きなものをお選び頂けます)


■オリジナルポストカード5組(25枚)

 

■福島の復興支援団体「福興浜団」オリジナルTシャツ

 


■「福興浜団」オリジナルステッカー

 

 

■白馬の福島支援団体「team汐笑」オリジナルTシャツ

 

 

 

今回の写真集と同テーマの写真展を現在開催しております。

私の活動の詳細はFacebook等でご覧ください!

 

(公式URL)

www.yukiiwanami.com

 

 


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