1969年、日本にまだ『プロサッカー』という概念がなかった時代。

 

【プロ野球につぐプロスポーツ】を視野に入れ、当時の読売会長・正力松太郎、日本蹴球協会会長・野津謙、そして東京教育大学蹴球部(現筑波大学)監督・成田十次郎ら3人の手により発足した『読売サッカークラブ』。

 

東京ヴェルディの前身として誕生したこのクラブはまさに、『日本初のプロサッカークラブ』でした。

 

創立から三年後には、日本サッカーリーグ(JSL)2部に、1978年にはJSL1部に昇格。強さを追い求め、チームとしても急激な成長を遂げていきました。

 

 

 

 そして同じ頃、日本サッカー界にも大きな波がやって来ます。

 

1977年ラモス瑠偉氏の読売サッカークラブ加入を筆頭に、外国人選手が加入するチームが増え、日本サッカー会全体が急激な発展を遂げていったのです。

 

スタジアムに足を運んでくださるファン・サポーターの人数も、試合ごとに増えるのを実感し、サッカー界の盛り上がりを感じました。

 

 

1977年ラモス瑠偉氏の読売サッカークラブ加入を筆頭に、外国人選手が加入するチームが増え、日本サッカー会全体が急激な発展を遂げていったのです。

 

スタジアムに足を運んでくださるファン・サポーターの人数も、試合ごとに増えるのを実感し、サッカー界の盛り上がりを感じました。

 

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 2019年、東京ヴェルディは誕生から50年を迎えます。

 

今回、ヴェルディの歴史を彩る当時を振り返る一冊を作ることになりました。今回ご紹介したこの時代は、メモリアルブックの『Jリーグ開幕前』の内容に入る予定です。

 

この50年を作ってきたのは、「支えてくださった皆さま」と「共に戦ってきた選手たち」です。

 

そして、この先の50年を作って行くのも、支えてくださる皆さまと、今の選手たち。

 

今この瞬間も、未来へと繋がっています。

 

 

 そんな未来を作って行く彼らにとって、ヴェルディがどんな存在なのか。

 

田村直也選手

 

「初めてJリーグの試合を観たのもヴェルディでしたし、育成組織で中学から高校にかけてヴェルディに育ててもらって、自分にとっては親のような存在です。そうしたチームのトップカテゴリーの一員として自分がピッチで戦えていることはありがたいことですし、誇りに思っています。

 

偉大な先輩方が50年かけて作ってきたヴェルディの歴史を、これからも支えてくれる皆さんと一緒に作っていきたいですね。僕がジュニアユースの時に、カズさん(三浦知良選手)がトレーニングルームで上半身裸で腹筋をしていて、窓の外からのぞいていたら腹筋が8つに割れていて「これがプロなんだな」と思いました。

 

それだけアカデミーとトップの距離も近くて、すごく刺激をもらいました。ユース時代には、読売クラブ時代からここでサッカーをしてきた都並敏史さんの指導も受けていて、ヴェルディのDNAを引き継いできたという自覚があります。それが自分の魂になり、自分のすべてを形成しています。#あなたにとってヴェルディとは」

 

#23 田村直也

 

彼ら、そして皆さまと一緒に、次の50年どんな歴史を刻んで行くのか、そんな想いを、『TOKYO VERDY 1969-2019 50th Anniversary』メモリアルブックに記す予定です。

 

現在この一冊を作るためにクラウドファンディングに挑戦しています。

 

 

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