2008年の5月、いつものように管理所で

収容されている犬達の写真を撮っていると…

殺処分室からかすかに、

子猫らしき声が聞こえてきました。

 

 

1~2匹の小さな声・・・


猫の場合、そのまま処分室に入り、翌朝殺処分です。
当時二年間、管理所に足を運んでいましたが、
一度もガス室で猫の声を聞いた事も、

姿を見たこともありませんでした。
あの当時、宮崎県は毎年3,000匹の猫が

殺処分されていたのに…

 

初めて聞く殺処分室の猫の声。

思い切って中を覗いてみると…

 

 

殺処分する際に使用するステンレスのボックス。

その中には、小さなダンボール二つと

キャリーバックが入ってました。
 

この中に猫が入ってるんだ!

明日の朝、このままガス室に入るんだ…
 

2008年当時は、まだ猫のレスキューが出来なかったので、

ドキドキしての交渉でしたが、

なんとかオッケーを頂けました。

 

あらためて段ボールを開けてびっくり!

生後3日~10日の乳飲み子猫が16匹だったのです。

 

 

状態の悪い子が多く、

16匹中6匹が亡くなってしまいましたが、

ミルクボランティアさん達の協力もあり、

生き残った子達は、元気にすくすくと育ち、

それぞれの新しいお家で幸せになりました。

 

 

あの日、あの時・・・

殺処分室からよくぞ「声」を出してくれたと、

今考えてもそれは奇跡だと思いました。

16匹中声を出したのは1~2匹の小さな声でした。

 

そして、あの時収容されていた7頭の犬達が、

誰も吠えなかったからこそ

私の耳に届いた小さな「声」でした。

 

まるで、あの時の7頭が、

「あそこに居るよ!助けてあげて!」

16匹の子猫達の存在を、私に知らせるかのように

とても静かな時間だったのです…。

 

ありがとう・・・

そして、ごめんね・・・

そう思い続けています。

 

2008年は、まだ猫のレスキューが出来ない時代でした。

保護猫の情報すら私達にも隠されている状態でしたが、

あの日初めてレスキューした16匹の猫達…。

それまでは、行政もどうすることも出来ないと

諦めるしかなかったのだと思います。

殺処分するしか方法はないと…。

 

ですが、このような形でレスキューさせて頂き、

行政側の考え方も、変わったのでは?

そう感じました。

 

あの16匹の子猫達が、

「猫のレスキュー可能」という

道を切り開いてくれたんだと思います。

 

(この子はあのときの16匹内の子猫です)

 

一歩ずつ着実に進んでるんだと実感しました。

 

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