プロジェクト概要

【おかげさまで目標達成いたしました。】
 
4月15日、皆様のご支援のおかげで、11日を残して目標額の80万円を達成することができました。誠にありがたく心から皆様に感謝申し上げる次第です。


まだ、チケットが大分残っておりますので、引き続きご喧伝・ご支援賜りますようお願い申し上げます。9月15日のコンサートが皆様の心に残るような素晴らしいものになるよう頑張っていきます。


今後ともよろしくお願い申し上げます。

 

戦没作曲家・紺野陽吉のバイオリンと音色を復活へ

〜戦争の悲痛さを未来へとつなぐ〜

 

はじめまして。橋本淳一と申します。山形県の白鷹町文化交流センター「あゆーむ」の館長を務めて8年目になります。当センターは町の文化交流の中心として、展覧会、コンサートなど年間20回ほどの自主事業を開催しております。中でも、ピアニストの河村尚子さん、関西落語の桂吉弥さんには毎年ご来演いただいています。

 

そんな当館のもとに、昨年、1挺のバイオリンが届きました。

 

それは戦没作曲家・紺野陽吉が愛用していたバイオリンでした。送り主は、紺野陽吉の甥の紺野康文さん。白鷹町の実家の蔵を解体した時に、77年ぶりに出てきたものとのこと。紺野陽吉は戦争によって、開花すべき才能を無残にも断たれてしまった、白鷹町出身の作曲家です。一部の演奏者からは「天才」とまで評価されています。

 

私どもがこの度クラウドファンディングで成し遂げたいことは、紺野陽吉の生涯とその音楽を、より多くの皆様に知っていただくため、発見された紺野陽吉愛用のバイオリンを甦らせ、そのバイオリンを使ったコンサートの開催です。
 

このコンサートを通じて多くの方々に紺野陽吉の音楽に触れていただき、ともに戦争によって失われたものの大きさを噛みしめていきたいと考えています。そのためには

バイオリンの修理費用と、コンサートの開催費用の計80万円が必要です。どうか温かいご支援をお願いいたします。

 

紺野陽吉の愛用のバイオリンとケース(山形放送提供)

 

 

戦争に命を奪われた作曲家“紺野陽吉”の生涯


紺野陽吉の音楽は、彼の故郷に広がる稲田を渡る風の音、大きく蛇行しながら流れる最上川、祭りの夜のうきうきした気分など、白鷹の自然や人々の営みが目に浮かぶような素朴で郷愁に満ちた旋律が印象的です。発見以来、多くの方々によって演奏されていますが、彼の作曲した音楽が“発見”されたのは彼が亡くなってから50年がたってからのことでした。

 

敗戦から50年目の夏のある日、「紺野陽吉君遺稿」と書かれた封筒が発見されました。発見したのは音楽評論家の小宮多美江さん。清瀬保二(1900~1981、作曲家。武満徹の先生)を調査していて、偶然、この封筒を発見したのです。封筒の中には「弦楽二重奏曲」「弦楽三重奏曲」「木管三重奏曲」の3曲の楽譜が入っていました。故郷の人すら誰一人知らなかった戦没作曲家・紺野陽吉の音楽が、初めて明らかになった瞬間でした。

 

音楽評論家・小宮多美江さん。紺野陽吉の発見者。(山形放送提供)


紺野陽吉は、1913年5月16日、山形県西置賜郡東根村大字畔藤(現・白鷹町畔藤)に生まれました。旧制長井中学校(現・長井高校)を卒業して上京。親から望まれた医学の道には進まず、医学を学ぶための学費でバイオリンを買い、大好きな音楽の道を選んだのです。姪の白滝華子さんによると「陽吉叔父さんは時折帰ってくると、いつも幼なじみらと蚕部屋でバイオリンを弾いていた」と当時を回想しています。

 

その後の様子はほとんど不明で、わかっているのは「コンセール・ポピュレール」(後の青年日本交響楽団)というセミプロの楽団や、「立教大学交響楽団」でいずれも第2バイオリンを弾いていたということだけです。

 

紺野陽吉(左)とその友人

 

1941年12月、日本はハワイ真珠湾を攻撃して太平洋戦争に突入します。紺野陽吉は召集を受け戦地に向かうのですが、それまでに作曲した3曲の楽譜を、当時新興作曲家連盟の発起人の一人として活躍していた作曲家・清瀬保二に託しました。その後、敗戦の年、1945年10月3日、中国の収容所内病院において紺野陽吉は、戦病死したと、記録されています。32歳という若さでした。


楽譜を託された清瀬保二はそれを封筒に入れて保管していました。戦時中でしたので、庭に防空壕を掘って大事なものや自分の作品を出したり入れたりしていたのですが、その中に紺野陽吉の楽譜も含まれていたそうです。清瀬保二はそれほどまでに紺野陽吉の作品を評価して、何とか残したいという想いがあったと推測できます。

 

「遺稿」と書かれています。紺野陽吉が戦地で亡くなったことを
知ったあとでこう書いたのではないかと思われます。

 
紺野陽吉の楽譜が発見されると、発見者の小宮さんの手で紺野陽吉が紹介され、清瀬保二の弟子、安藤久義氏によって紺野陽吉の未完の「弦楽三重奏曲」の補作、浄書譜の制作が行われ、デジタル音による試聴を経て、ついに「弦楽二重奏曲」「弦楽三重奏曲」の初演に至ります。

 

 

悲劇を繰り返さないために、彼の音色を山形に届けたい

 

紺野陽吉は、戦没作曲家として全国的にその作品が演奏されている白鷹町で唯一の作曲家です。それは地域の誇りでもある一方、その才能を戦争で断たれてしまったことは惜しんでも惜しみ切れないことでもあります。その音楽を味わい、後世に伝えることは地域の義務でもあり、戦争の悲劇をもう一度胸に刻む良い機会になると考えています。


その機運をもう一度作り出すために、紺野陽吉のバイオリンを修復し、そのバイオリンで彼の音楽を演奏するコンサートを企画いたしました。

 

紺野陽吉のバイオリンが本格的な演奏に耐えられるようにするためには、もう少し細かな修理が必要とのことでした。あゆーむとしては、単なる展示物というのではなく、実際に弾いてもらえる状態にして、紺野陽吉に少しでも触れてもらう機会を作っていきたいと考えています。

 

修理を待つ、紺野陽吉のバイオリン

 

皆様にご協力いただく金額は前述した、バイオリンの修理代とコンサートの開催費に充てられます。皆様のご賛同を切にお願いいたします。

 

「戦没作曲家・紺野陽吉の音楽ふたたび」コンサート 概要
演奏
:山形交響楽団メンバー
会場:白鷹町文化交流センター あゆーむホール
日時:9月15日(日)予定
曲目:紺野陽吉作品3曲(弦楽二重奏曲、弦楽三重奏曲、木管三重奏曲)、他未定

 

【白鷹町文化交流センター あゆ―むホールについて】
客席200のこじんまりしたホールですが、小さいながら音響は抜群。ここで演奏した演奏家たちはみんなまた呼んでほしい、というほどです。音響設計は有名な(株)永田音響設計。素晴らしい音響に身体ごと包み込まれるような感覚で、まるで「演奏家たちが特別に私のために弾いてくれている」と錯覚するほど。室内楽には最適。小宮多美江さんは「紺野陽吉の作品演奏の場として作られたようにさえ思われた」とコメントしています。

 

※バイオリンの修理はクラウドファンディング終了後、6月末までの完了を予定しています。

 
あゆーむホール

 

 

紺野陽吉の“音楽の力”で戦争の悲劇を伝え、「心の町おこし」を。

 

紺野陽吉の発見者・小宮多美江さんは、「私をここまで突き動かしてきた力は、『もっともっと音楽をやりたかったのに…!』という紺野陽吉の無念の思いに他ならないのではないか」と話しています。小宮さんをはじめ、紺野陽吉の音楽は多くの人の心を動かしてきました。

 

多くの人がご存知のように、音楽には人を感動させ、動かす力があります。感動がなければどんなことも動かすことはできません。紺野陽吉の音楽は戦没作曲家という背景も相まって、人の心を揺さぶり、動かす力を持っていると信じています。

 

また、演奏会の一度きりの体験では、多くの人はすぐ忘れてしまいます。このバイオリンを修復し、いろんな方に使ってもらえば、紺野陽吉という存在が消えずに代々伝わるのではないかと期待しています。中学生や高校生など希望者に貸し出すことも検討しています。

 

このプロジェクトを通じて、紺野陽吉の音楽の素晴らしさを広めるとともに、戦争の悲惨を胸に刻む「心の町おこし」をし、それを繰り返してはならない、という覚悟を町全体でつくりあげていきたいと思っております。

 

最後までお読みいただきまして誠にありがとうございました。

皆さまからの温かい応援をお待ちしております。

 

「弦楽二重奏曲」の楽譜の一部

 

 

リターン紹介:山形県白鷹町出身の芸術家にもご協力いただいてます!

 

紺野陽吉の旋律を味わうことができるCDや楽譜を用意した他、2人芸術家の作品もご用意ができましたのでご紹介いたします。

 

■洋画家・梅津五郎氏

山形県白鷹町生まれの洋画家です。画業を志して上京し、森田茂・熊岡美彦の両氏に師事しました。東光展と日展を主な発表の場として活躍し、1956(昭和31)年の第12回日展では、自らが働く中華料理屋を描いた<調理場>が独特の生活感を評価され、特選を受賞しました。鮮やかな色彩と分厚い筆致に特徴があります。東光会理事長や日展参与などの重責も担いました。

 

晩年、白鷹町に代表作など120余点の作品を寄贈し、当館に収蔵されています。

 

自画像​​​​​​

 

■鍛金作家・青木邦明氏

青木さんは白鷹町出身の作家で、その作品は高く評価されており、数々の受賞歴を誇ります。素材の性質を理解し、計算しつくして生み出される青木さんの作品は、非常に独創的でスタイリッシュです。


公共のモニュメントも多数手がけており、あゆーむの館内にも設置されています。この作品は来館者の目を引き、「誰の作品ですか」と聞かれることも多くあります。

 

【受賞歴】

1989年  日本現代工芸賞受賞(東京都美術館)
     第21回日展初入選 ~日展入選20回
1990年  熊本県五木村彫刻コンクール優秀賞受賞
1993年  山形県美術展 最高賞(工芸部門)
1994年  山形県美術展 最高賞(彫刻部門)
1998年  日本現代工芸会会員賞受賞(東京都美術館)
2001年  第41回日本現代工芸美術展審査員就任
     (東京都美術館)
2002年  (社)日展会友就任
2005年  第23回日本金属造型作家展 出品 微空音
2006年  内閣総理大臣官邸 展示
2007年  日本現代工芸美術展 蓮田修吾郎賞受賞

 

青木邦明氏の作品です

[お断り]
本文の紺野陽吉に関する事実関係は、そのほとんどを、音楽評論家で紺野陽吉の発見者である小宮多美江さんの論考を基にして、本人のご了解のもとに引用・再構成させていただきました。

 


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