演出家の危口統之からメッセージ拝受!

 本田くんと初めて会ったのは2001~2002年のあたりで多くの人と同様に金森さんからの紹介だった。そのころ金森さんは出版社リトルモアに籍を置きギャラリーの企画運営など担当しつつ、同時に、立ち上げたばかりのシアタープロダクツをどう盛り立てていくか思案中で、まだ南青山にあったふたつの会社を忙しそうに行ったり来たりしていた。ぼくはそんな金森さんとは、展示会の設営スタッフとして共通の知人から声を掛けられたことで出会ったのだが、それほど器用でも真面目でもでないことがすぐにバレてスタッフからは罷免、そしてなし崩し的に単なる飲み友達のようになり、そこでまたいろんな人と出会った。本田くんともそのような交流のなかで会ったのではないかと思うが初対面のときのことは思い出せない。

 

 本田くんのことでよく憶えているのは、当たり前といえば当たり前だが、音楽に対する貪欲な姿勢で、例えばその頃ぼくはハードコアパンクのバンドをやっていたので、しょっちゅうディスクユニオンなどで気になるCDなどジャケ買いしていたのだが、彼はぼくがレコード屋の袋をぶらさげているのを発見するやいなやその中身について質問し、音源を聴き、バンド名をメモし、そして次に会うときには同じものを手に入れぼくよりも聴き込んでたりするのだった。MINOR LEAGUE(日本のハードコアバンド)を聴きながら「やばい、これやばい」と興奮気味につぶやいていた姿が印象的だった。思い違いかもしれないが、ハードコアの激しいビートは彼の仕事に少しだけ影響を与えたような気もする。東京文化会館での演奏会でそれを感じたのだった。ともかくこのように、チャージとディスチャージが激しい勢いで、彼のからだの中で同時進行しているのだった。

 

 

 仕事は一度だけ、ごく小さなものだったが、一緒にやった。『ビロードの夜』と名付けられたそのパフォーマンスでぼくは数篇の詩の朗読を担当し、その合間合間に音楽を奏でたのが本田くんと、金森さんと、阿部海太郎くんだった。解体が決まった建物(食糧ビルディング/佐賀町エキジビットスペース)が舞台だったこともあり、ぼくは消えゆくビルに捧げる弔辞のつもりで、死や弔いについてテキストを書き、そして詠んだ。だから、ぼくと本田くんの関係は、もちろん意図していたわけではないけど、なんというか、喪失の感覚を背景としていたとも言える。パフォーマンスの最後にはちょとした寸劇を付け加え、三人にも出演してもらった。三人とも俳優ではないから演技は下手なのだが、本田くんはとりわけ下手だった。金森さんや海ちゃんは下手さが味になるような下手さだったけど、本田くんは混じりっけなしの下手さだった。自分の能力が遺憾なく発揮されるのではない分野に放り込まれた時の、そのことを重々承知しているがゆえの恥じらいや悔しさが彼の所作から滲み出ていた。これを面白がっていささかサディスティックに振る舞ってしまったことについては後悔している。演出家としてもっと彼を解きほぐせるよう努めるべきだった。

 

「ビロードの夜」(2002)左から 金森香・本田祐也・阿部海太郎(「EMOTIONAL SITE 」より)
「ビロードの夜」(2002)左:阿部海太郎 右:危口統之(「EMOTIONAL SITE 」より)

 

最後に本田くんを強く意識したとき、彼はもうこの世にいなかった。2004年のことだ。ぼくは金森さんに手伝ってもらいながら久しぶりとなる演劇公演を準備していたのだが、ある日彼女から話があると呼び出され、彼の死を伝えられたのだった。焦燥した金森さんから、申し訳ないけど、当分のあいだ、ちゃんとした仕事はできないだろう、と言われ、ぼくは「違う」と言った。この「違う」というのは、ぼくの言葉ではなく、その頃読んでいた中上健次の小説、『地の果て、至上の時』に登場する秋幸という人物の言ったものだ。読んだことのある人にはわかってもらえると思う。この秋幸の、と同時にぼくのものでもある感情に名前を与えるなら「怒り」となるのだが、それは死者に対しての怒りではなく、また、彼が死んでしまったことへの怒りでもなく、そしてもちろんのことだが、あとに残された者たちが苦労することへの怒りでもない。これはもうちょっと根深いものだ。ぼくはまだ怒っている。それが今も続く演劇活動の、根っこを支えている。

 

だらだらと書き綴ってきたが、このような記憶や感情とはまったく別の次元に作品というのは存在する。というか、そうでなければ懸命に作品を作ったり、日々そのことについて狂おしく考えている芸術家たちは救われない。作品が生みだされるのは個々の芸術家の想いからかもしれないが、最終的には、ロケットが燃料を捨てるように、作品も作品として独立して飛び立たねばならない。想いは切り捨てられねばならない。だから本田祐也の軌跡を記録-公開する計画を、それが「作品」を軸としたものである限り、ぼくは支援します。

 

危口統之

 

 

悪魔のしるし主宰、演出家。1975年岡山県倉敷市生。横浜国立大学工学部建設学科卒。大学入学後演劇サークルに所属し舞台芸術に初めて触れるも卒業後ほどなくして活動停止、 建設作業員として働き始める。周囲の助けもあって2008年ごろに演劇などを企画上演する集まり「悪魔のしるし」を組織し現在に至る。 2014年度よりセゾン文化財団シニアフェロー。 主な作品に『搬入プロジェクト』『わが父、ジャコメッティ』など。ほんとうは危じゃなくて木。
http://www.akumanoshirushi.com/