日本の心を未来へ繋ぐ|明治の日本を守った「瀧善三郎」について舞台化

日本の心を未来へ繋ぐ|明治の日本を守った「瀧善三郎」について舞台化

支援総額

658,000

目標金額 500,000円

支援者
65人
募集終了日
2025年1月31日

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プロジェクト本文

令和7年2月22日(土)、23日(日)

岡山芸術創造劇場ハレノワにて上演

 

 「ラストサムライ 瀧善三郎のBUSHIDO」

 

 

舞台「ラストサムライ 滝善三郎のBUSHIDO」の特設ホームページはこちら

 

 

【目次】

1、自己紹介/ 一般社団法人(劇団) 歴史新大陸とは?

2、概要/「瀧善三郎」と「神戸事件」について

3、経緯/「ラストサムライ 瀧善三郎のBUSHIDO」舞台化までについて

4、目的/  日本の心を未来へ繋ぐ

 

1、自己紹介/一般社団法人(劇団) 歴史新大陸とは?

 

「ラストサムライ 瀧善三郎のBUSHIDO」のクラウドファンディングページをご覧いただき、誠にありがとうございます。

 

 

私たちは「歴史エンターテイメントで日本を元気に!」を合言葉に、日本の歴史や伝統文化を「エンタメ発信」し、地域活性化と青少年育成に貢献するべく日々活動を行っている団体です。

 

 

 

これまでの沿革について、ご紹介致します。

2008年、「劇団 歴史新大陸」を東京にて旗揚げ。

以来、歴史ものに特化した劇団として15年以上活動を続け、2021年には 「一般社団法人 歴史新大陸」として法人化し、拠点を生まれ故郷の岡山に移しました。

以降、劇団運営以外にも、歴史研究と舞台経験を活かした様々な「歴史エンターテイメント」活動を、地元岡山を中心に行っています。

 

その活動内容の一例として、

 

・子育て世代の親子や外国の方と伝統文化に親しむ「伝統芸能体験会」

・日本各地に残る様々な史跡を、研究家の講師とともに巡る「歴史ツアー」

・地域の歴史や文化を活かしたイベントを企画・開催する「地域のまちおこし」

・地域の歴史を研究し、本格的に舞台化する「歴史演劇」

 

など、歴史や伝統文化の継承によって地域を盛り上げる様々な活動を行っています。

 

 

現在の日本は、大変便利で安心安全な世の中になりました。しかしその一方、複雑な社会問題や国際問題もたくさん抱えています。そんな世の中を少しでも明るくする方法の一つが「感動体験」ではないかと、私は考えています。

 

ワクワク、ドキドキしたりすることに年齢も性別も職業も関係なく、また早いも遅いもありません。とくに「演劇」は、観る方、出る方、両方の立場の感動体験を創出することができる、素晴らしいエンターテイメントのひとつだと、私は考えています。

 

「エンターテイメントの力によって、世の中が少しでも良くなるように」、それが私の願いです。

「歴史エンターテイメント」の発信を通じて「感動体験」の機会を創出し、歴史や伝統文化の継承を通じた社会貢献に、これからも精進して参ります。

 

何卒宜しくお願い申し上げます。

 

一般社団法人 歴史新大陸

代表理事 後藤 勝徳(ごとうかつのり)

 

 

 

 

2、概要/「瀧善三郎」と「神戸事件」について

 

 

①「瀧善三郎」とは?

 

瀧善三郎は、現在の岡山市北区御津金川(みつかながわ)出身の武士で、日置(ひき)家の家臣として馬廻役(うままわりやく)を務め、幕末から明治元年にかけて活躍した備前岡山藩士です。

 

私たちは、岡山県出身の瀧善三郎が自らの命と引き換えに動乱の時代の日本を守ってくれたことに敬意を称し「ラストサムライ」と呼んでいます。

 

 

②「神戸事件」とは?

 

時代は大政奉還の翌年、明治元年1868年2月4日(慶応4年1月11日)。

 

明治維新直後のまだ世の中が不安定な時期、瀧善三郎が属する備前岡山藩は明治新政府から西宮(現在の兵庫県西宮市)の守りを固めよとの命令に従い、岡山から西宮へ向かっていました。

 

善三郎は備前岡山藩家老の日置帯刀(ひき たてわき)軍の第三砲隊の隊長として隊を指揮をしつつ、現在の神戸市中央区三宮神社のあたりにさしかかりました。

 

その時、フランス人の水兵2人がこの隊列に割って入り横切ろうとしました。この侍の行列を横切る行為は「供割(ともわり)」といい、当時の日本ではとても無礼な行為にあたるため、近くにいた善三郎がこれをやめさせるため、身振り手振りを交えて行列の先へ回るよう指示をしました。

 

しかし、そんな制止はお構いなく無理に横切ろうとしてきたため、善三郎が槍の鐺(こじり/刃先と反対側の端)で水兵の背中を突き、これを退けました。これは善三郎に殺意が無かったことを示しています。しかしフランス人水兵は一旦逃げ帰ったのちに拳銃を持って再び現れ、今にも発砲するという素振りを見せたため、善三郎が「鉄砲、鉄砲!」という叫び声を上げました。

 

これは「鉄砲を持ってきたぞ、警戒せよ!」という意味であったと考えられます。それを聞いた砲兵たちは一斉に射撃を始めましたが、この射撃は水兵に向けたものではなく、空き地に向けた威嚇射撃であったことが、当時付近にいたプロイセン人の証言から明確に分かっています。

 

ちょうどその時、鳥羽伏見の戦いの混乱を避けて神戸に居留していたイギリス公使パークスが、たまたまこの近くを巡回していました。この諍(いさか)いを知ったパークスは、神戸港内に停泊していた軍艦に向けて非常信号を送り、これを受けた英仏の陸戦隊が神戸に上陸、備前岡山藩を攻撃し始めました。

この状況を重く見た日置帯刀は、状況を悪化させてはならないと考え、攻撃を中止させ、備前岡山藩の全軍を摩耶山(まやさん)の方へ退避させました。

 

幸いにも備前岡山藩側には数名の負傷者が出たのみで、英仏側は最初に善三郎に制止された水兵のみの軽傷で、一旦戦闘は終了しました。ところが、この英仏の陸戦隊はこれより4日間にわたって神戸の村を不法に占拠し、さらには神戸港に停泊していた備前岡山藩とは何の関係も無い日本側の蒸気船を抑留し、財貨を大量に強奪しました。

 

このように、たった2人の無礼なフランス人水兵がきっかけで、一方的に、神戸が一時的に占領されてしまう大事件、「神戸事件」へと発展してしまうのです。

 

 

③西欧列強の砲艦外交と、明治新政府の弱腰外交

 

神戸事件が起こったその当日、英仏をはじめとする各国公使の名で「直ちに対応しない限り、日本にとって深刻な事態になるだろう」という、明らかに恫喝ととれる内容の文章が、武力を背景に日本側へ通達されています(これを砲艦外交といいます)。

 

これを受け、その三日後には明治政府から「仰ることはごもっとも」という旨の返信が出されているあたりから、当時の明治政府の弱腰外交の様子が見てとれます。その後も立て続けに、西欧列強から「新政府樹立の挨拶がない」と詰め寄られ、明治政府は慌てて神戸に使者を派遣し、新政府樹立の宣言を行っています。

 

皮肉にも「神戸事件」をきっかけに新政府樹立が正式に国際社会に認められる結果となったわけです。そして交渉相手が幕府ではなく明治政府と理解した西欧列強から、いよいよ本題が突きつけられることとなり、「明治政府は天皇の名において謝罪すること、そして発砲を命じた士官(瀧善三郎)を各国公使の目の前で処刑すること」という、まるで日本側が神戸事件の加害者であるかのような、理不尽な要求が突きつけられることになりました。

 

このあまりにも理不尽で屈辱的な要求に対し「それはおかしい」と、善三郎の主人である日置帯刀をはじめ、伊藤俊輔(のちの初代総理大臣 伊藤博文)や五代友厚(近代大阪経済の父)らが、善三郎の助命嘆願に奔走。

 

しかし、明治政府は欧米列強の要求を全面的に受け入れ、善三郎に切腹を命じます。この時、明治政府の重鎮、岩倉具視(いわくら ともみ)から、「瀧が死なねばならぬのは大変残念であるが、世の中が一新され、万国公法によって処置される世の中になったので、どうか天朝のため、国のため、備前岡山藩のため、日置家のため、この処置を受け入れてくれるように」という要請があり、備前岡山藩も大局的見地から、この明治政府の要請を受け入れざるを得ず、ついに善三郎の切腹が決定しました。

 

そして事件から一ヶ月経った3月2日(慶応4年2月9日)、善三郎はその争いの責任を一身に背負い、その32年の生涯に、自ら幕を閉じたのです。

 

カネテツデリカフーズ株式会社 所蔵 瀧善三郎切腹の図

 

④瀧善三郎の武士道

 

切腹の命令をうけ、善三郎は永福寺というお寺(かつて神戸市兵庫区にあったが、戦災にて消失)にとらわれていました。切腹の命令を受けたのちの善三郎の態度は、どのようなものだったのでしょう。

 

善三郎は主人の日置帯刀、藩主の池田茂政(いけだ もちまさ)公、そして天皇陛下にご迷惑をかけるわけにはいかないと考え「いかなる決定でも、朝廷よりのお達し、主命あれば直ちに従う」と決めていました。

 

「いまははや 森の日陰となりぬれど 朝日に匂う 大和魂」

「きのうみし 夢は今更引かへて 神戸かうらに 名をやあけなむ」

 

切腹前夜、善三郎が残した辞世の句です。

 

未練がましいことは一切口に出さず、粛々と運命を受け入れていったといわれています。

 

そして、3月2日(慶応4年2月9日)、夜11時頃。備前藩士、伊藤俊輔、そして外国公使たちが見守る中、しずしずと板の間に歩を進め、白装束をまとった善三郎が入ってきました。その姿は、背筋を伸ばし、堂々としたものだったといわれています。

 

静かに座につき、一礼をしたのち、善三郎はこのように述べました。

 

「先月11日。神戸にて外国人が行列に理不尽に衝突をしたところ、我が国の法に従ってこれを傷つけ発砲を命令したのは私です。私は遠国に住むもので、朝廷が外国人を丁重に扱っているということを全く存じませんでした。よって本日、私はその罪を償うために切腹を致します。しっかりとご検分の程、お願いします」

 

ここにきて善三郎は初めて、この事件の原因は外国人の理不尽な行為であったことを述べたうえで、国内法に従って外国人を制止したが、負傷させてしまい、それは万国公法を知らない自分の無知のせいであり、その責任をもって自決しますと、述べたのです。

 

この善三郎の態度は、外国公使たちの目にどのように映ったのでしょう。外国公使たちは、その後初めて目の当たりにする光景に、さぞかし驚いたことと思われます。古式の作法にのっとり切腹を行った善三郎は、途中、ほとんど顔色を変えなかったといわれています。

 

「自分たちは日本という国を見誤っていた」、外国公使たちはそう気づかされたことでしょう。

 

他の植民地と同じように日本も植民地に・・・。そんな思惑もあったはずです。しかし善三郎がみせた最後の姿に、外国公使たちは「この国の国民は、末端の者までここまでの覚悟を持っているのか。この国の人間は一筋縄ではいかないぞ」と、考え方を改めたに違いありません。

 

善三郎の死後、約30年が経過した1899年、アメリカで一冊の本が刊行されることになりました。

 

「BUSHIDO -The Soul of Japan」

 著者、新渡戸稲造。

 

英語で刊行されたこの本はまたたく間に世界中でベストセラーとなり、当時活躍していた、米国大統領セオドア・ルーズベルト、発明家トーマス・エジソンなど、多くの著名人に影響を与えることになりました。

 

この武士道という本の中で「Zenzaburo Taki」が切腹の様子とともに描かれていますが、これは、善三郎の切腹に立ち会ったイギリスの外交官アルジャーノン・ミッドフォードが善三郎の切腹ののちに執筆した「Tales of Old Japan」という作品の中で、称賛と敬意をもって瀧善三郎について紹介しており、その箇所が、武士道の作中にも引用されているのです。

 

このように「Zenzaburo Taki」の名は「BUSHIDO」という日本の精神と共に、世界中に知れ渡ることになりました。

 

しかし残念ながら、「瀧善三郎」の名を知る日本人は、さほど多くありません。なぜなら、これには理由があるからです。それは、明治政府が「弱腰外交」という批判を恐れ、神戸事件について徹底的に箝口令(かんこうれい)を敷いたからです。そのせいで、善三郎の故郷である岡山でさえも、この事件について知る人はほとんどいない、という現状なのです。

 

自ら命をかけて責任をとった善三郎の見事な最期に、外国公使たちは畏敬の念を覚え、日本はその後欧米列強から攻撃を受けることなく「神戸事件」は幕を閉じました。

 

善三郎は、故郷の岡山に妻や幼い子を残したまま最後を迎えましたが、備前岡山藩の藩主 池田茂政公は、善三郎の息子、成太郎(しげたろう)の家禄を五倍にし(現在の価値に換算すると年収約2000万円。当時の家老クラスに相当)、さらに直参に取り立て善三郎に報いました。

 

そして善三郎の助命嘆願に奔走していた伊藤俊輔は、この時の対応がきっかけとなり、その後に兵庫県知事に登用され、その後も出世の道を歩んでいきます。

 

命をかけて外国との紛争を解決した善三郎の生き様は、新渡戸稲造博士の残した「BUSHIDO」とともに、世界中でいまなお語り継がれているのです。

 

瀧善三郎公のお墓。墓地は岡山市北区の東山墓地にあります

 

 

3、経緯/「ラストサムライ 瀧善三郎のBUSHIDO」舞台化までについて

 

私たち歴史新大陸は、明治の日本を守ってくれた瀧善三郎公のことを、岡山をはじめ、もっと多くの方々に知ってもらいたいという思いから、令和4年(2022年)に瀧善三郎公の顕彰プロジェクトを立上げ、さまざまな顕彰活動を行ってきました。

 

プロジェクトメンバーには瀧善三郎公の曾孫にあたる瀧正敏(たき まさとし)さん、それから、瀧善三郎公の生誕地、御津金川にある七曲神社(ななまがりじんじゃ)の禰宜(ねぎ/神社の役職)稲田知香子さんをお招きし、さらに地元の学校や企業の方々にも参加いただき、世代間を超えたなかまづくりを行いました。 

 

御津町郷土歴史資料館にて行われた神戸事件のトークイベント。
お話しされているのが瀧正敏さん

 

プロジェクトの活動のひとつとして、七曲神社の境内で老朽化した瀧善三郎公の説明看板を新設させていただきました。

 

今後、瀧善三郎公ゆかりの地として七曲神社に訪問する方が来られた時のために備えるためです。

看板には、子どもにもわかりやすいようイラストを掲載し、また外国の方でも読めるように英語の文章も掲載しました。

 

看板設置の費用についてはプロジェクトメンバーが地元企業を中心に寄付金集めに奔走し、特に御津で企業経営をされながらメンバーに参画して下さっている、安信政裕さん(まちづくり公社)を中心に企業訪問の計画を立て、杉原大輔先生率いる朝日塾中等教育学校の学生を中心にした「みつ元気プロジェクト」の現役・OB・OGの学生メンバーや、地元で農家をされている杉本旭さん(あ!っくんファーム)ら、その他多くの地域の方々が一生懸命寄付金集めや広報活動に貢献してくれました。

 

そうして完成した新設看板のお披露目については除幕式を行うことにし、プレスリリースもさせていただき、寄付金を支援して下さった企業の方々、そして長年瀧善三郎公の顕彰をされてこられた元御津町長の安信治雄さんにもご参列をいただき、除幕式を開催することができました。

 

瀧善三郎公の説明看板新設の除幕式の写真。岡山市北区御津金川の七曲神社にて。
七曲の「七」にちなんで、皆で「7」のポーズ

 

プロジェクトの活動としてもうひとつ、「七曲七夕みたま祭り」というイベントも企画・開催させていただきました。

 

このイベントはまさに歴史新大陸が合言葉にしている「歴史エンターテイメントで日本を元気に!」を具体的にカタチしたもので、町のお祭りを企画して、たくさんの方々にお祭りに来てもらい瀧善三郎公のことを楽しく知って貰おうというコンセプトのもと、七曲神社の「七」にちなんだ「七夕まつり」を企画しよう!という趣旨でプロジェクトを開始しました。

 

チラシの構成は朝日塾中等教育学校の現役・OB・OGの学生が担当
チラシの構成は朝日塾中等教育学校の現役・OB・OGの学生が担当

 

ところが、調査を始めた矢先、なんと御津金川の地域では450年以上も七夕祭りが開催されていないという事実を知ることになりました。そこには歴史的な背景が理由にあり、昔、「松田氏」という武将が御津金川の地を治めていたのですが、その松田氏の居城「玉松城」が敵の攻撃により落城することになりました。

 

その日が456年前の7月7日、つまり「七夕の日」だったのです。

 

以来、御津金川では七夕を祝うことがなくなったと伝えられているのですが、ならば、450年以上も祝われることのなかった七夕祭りを「七夕みたま祭り」として復活させ、松田氏や瀧善三郎公のみたまを明るく楽しく弔う「七曲七夕みたま祭り」にしてみてはどうか!?という話しにまとまり、プロジェクトが再スタート。

 

ここでも看板新設プロジェクトの仲間や、多くの地域の方々と一緒になって資金集めや広報活動を行い、昨年の7月7日に第一回目となる「七曲七夕みたま祭り」を、そして今年の7月にも第二回目となる同祭りを開催させていただくことができました。

 

ご来場者へのおもてなしのアイデアについてはメンバー同士で話し合い、「七」にちなんで会場を七色のイルミネーションで染め上げることで「映え」空間を創出し(株式会社エスクリエイションズ・髙桑さんに協力を依頼)、また、美味しい食べ物や飲み物、光る飴などを販売をするマルシェを行うため、人気のキッチンカーにも20店ほど出店してもらい、たくさんのご来場者の皆さんに商品を提供することができました。

 

七曲七夕みたま祭りの様子。様々な地元マスメディアにも成果を取り上げていただきました

 

さらに、舞台「ラストサムライ 瀧善三郎のBUSHIDO」のエキストラオーディションも同時開催。 一緒に舞台を盛り上げてくれる仲間を募集させていただいたところ、10名近い方々が瀧善三郎公のご出身地から名乗りを上げてくれました。

 

このように、おかげさまをもちまして、昨年は2,000人、今年は4,000人もの方々にご来場いただき、「瀧善三郎公のことを、もっと多くの方々に知ってもらいたい」という当初目標を、実現することができました。

 

 

4、目的/ 日本の心を未来へ繋ぐ

 

準備期間に約三年を費やし様々な顕彰活動を行ってきた瀧善三郎公について、令和7年2月、いよいよ舞台化させていただきます。

 

会場は2023年9月1日にグランドオープンし、岡山県内最大規模を誇る文化芸術施設「岡山芸術創造劇場ハレノワ」、開催日時は、2025年2月22日(土)17:00開演、23日(日)14:00開演の二本立て、座席数は2日間の合計で約1600名のご来場を予定しています。

 

このように、多くの方々を動員する舞台を運営するには多額の費用を要します。

 

そのため今回いただいたご支援につきましては、本格的な舞台空間を演出するための、衣装、かつら、メイク、舞台セット、照明、音響、会場費、広報費、人件費など、様々な舞台経費の一部に充てさせていただきます。

 

また舞台当日には、瀧善三郎公ゆかりの品々の展示コーナーも設置致します。

普段絶対に見ることができない歴史的価値のある品々を、瀧善三郎公のご子孫の方からのご厚意でお借りさせていただきますので、ご来場の折には、ぜひともご覧ください。

 

舞台「ラストサムライ 滝善三郎のBUSHIDO」の特設ホームページはこちら

 

 

激動の時代を生きた瀧善三郎。

 

彼が示した「武士道」は、時代は変われど「現代」という激動の時代を生きる私たちにとって、とても重要な意味を含んでいるのではないでしょうか。

 

今後ますます複雑化していく社会情勢の中で、自分のため、そして周りのために、「覚悟」を持ってことにあたれる人材が、これから先、ますます重要になってくるような気がします。

 

私たちの願いは、この「ラストサムライ 瀧善三郎のBUSHIDO」の舞台を一人でも多くの方にご覧いただくことです。なぜなら、多くの方にご覧いただくこと自体が歴史・文化の継承であり、未来に繋がるものだと考えているからです。

 

そして皆様にはぜひ、エンターテイメントならではの「感動体験」とともに、そのことを感じて欲しいと思います。

 

本番当日に向け、ますます稽古にも磨きがかかって来ています。「日本の心を未来へ繋ぐ」、本作品がそんな舞台になるよう、本番までの残り数か月、一生懸命頑張ります。

 

ぜひ応援・ご観覧いただければ、幸いです。

何卒宜しくお願い申し上げます。

 

ラストサムライ 瀧善三郎のBUSHIDO キャスト・スタッフ一同

 

総勢約70名になる舞台の初顔合わせ。参加したキャスト、スタッフと一緒に記念撮影

 

領収書の発行をご希望の場合

ご支援に関する領収書を発行を希望される方は、事務局までお問い合わせください。

 

お問合せ先

電話:050-3696-0113/080-6654-0024

メール:info@rekishin.com

FAX:086-899-6899(受信専用)

 

ご支援時に頂戴した「READYFOR支援者システム利用料」については別途READYFORサイトより領収書の発行が可能です。

詳しくはこちらのヘルプページをご確認ください。

 

 

その他のご留意事項

①本プロジェクトでのご支援は税制控除の対象になりませんのでご注意ください。

②第一目標金額達成後の返金・キャンセル・リターンの変更等は一切できませんので、ご承知の上ご支援ください。

③プロジェクト成立後、天災等やむを得ない事情(緊急事態宣言などコロナウイルスによる影響を含む)によりイベントが開催できなかった場合は、延期させていただきます。

④返礼品選択時にご回答いただく質問項目へのご回答は、支援確定後一切変更できませんのでご注意ください

。  

⑤支援完了時に「応援コメント」としていただいたメッセージは、本プロジェクトの新着情報やSNS等発信などに利用させていただく場合があります。

⑥本プロジェクトはAll or Nothing形式です。支援総額が期日までに目標金額に届かなかった場合、ご支援金は全額返金となります。

⑦使用している画像について、保護者より掲載許諾取得済みです。

 

 

プロジェクト実行責任者:
後藤 勝徳(一般社団法人 歴史新大陸)
プロジェクト実施完了日:
2025年2月23日

プロジェクト概要と集めた資金の使途

明治の日本を守った「瀧善三郎」について、岡山をはじめ、たくさんの方々に知ってもらいたいという思いで舞台化させていただきます。 いただいたご支援金については、舞台経費の一部に充てさせていただきます。

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リターン

3,000+システム利用料


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お礼の絵葉書コース

①お礼の絵葉書

ご寄付への感謝を込めた絵葉書をお送りさせていただきます。

申込数
11
在庫数
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エンドロールお名前掲載コース

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