築100年の銀行で、2拠点型震災痕跡史料館・大船渡拠点をつくる。

築100年の銀行で、2拠点型震災痕跡史料館・大船渡拠点をつくる。 5枚目
築100年の銀行で、2拠点型震災痕跡史料館・大船渡拠点をつくる。
築100年の銀行で、2拠点型震災痕跡史料館・大船渡拠点をつくる。 2枚目
築100年の銀行で、2拠点型震災痕跡史料館・大船渡拠点をつくる。 3枚目
築100年の銀行で、2拠点型震災痕跡史料館・大船渡拠点をつくる。 4枚目
築100年の銀行で、2拠点型震災痕跡史料館・大船渡拠点をつくる。 5枚目
築100年の銀行で、2拠点型震災痕跡史料館・大船渡拠点をつくる。
築100年の銀行で、2拠点型震災痕跡史料館・大船渡拠点をつくる。
築100年の銀行で、2拠点型震災痕跡史料館・大船渡拠点をつくる。 2枚目
築100年の銀行で、2拠点型震災痕跡史料館・大船渡拠点をつくる。 3枚目
築100年の銀行で、2拠点型震災痕跡史料館・大船渡拠点をつくる。 4枚目
築100年の銀行で、2拠点型震災痕跡史料館・大船渡拠点をつくる。 5枚目

支援総額

3,030,000

目標金額 10,000,000円

支援者
120人
募集終了日
2024年7月25日

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プロジェクト本文

はじめまして。東日本大震災を機に、東北沿岸部で災害復旧カメラマンとして活動してきた、PR45の新藤です。

 

私は震災後の10余年、土木復旧の最前線で道が繋がる瞬間に立ち会い、津波で流出した国道45号と、放射線を浴びた国道6号を記録してきました。

 

三陸では、その過程で、震災遺構と呼ばれることのない津波の痕跡を持った公共物の断片=「津波痕跡史料」を自治体ごとに遺し、振り返れば「群」と呼べる一定量を、国道沿いに広域で保管することとなりました。

 

現在、各地に分散した「史料群」を防災に役立てるため、田老⇔大船渡区間・100km・2拠点を結ぶ「2拠点型震災史料館」を構想しています。

 

その実現に向け、築100年で解体危機にあった「旧気仙銀行盛支店」を改修し、大船渡拠点とする整備を進めています。完成後は、「文化財」の中で「震災史料」を公開する複合施設となり、次世代へのカプセルとなる予定です。

 

この度、老朽化した旧銀行店舗を改修する工事費を調達するため、クラウドファンディングに挑戦することとなりました。何卒皆様のご支援を賜りたく、よろしくお願い致します。

 

記録活動中の様子

 

 

震災前はロケーションプランナーを名乗り、クリエイターの創作活動にとって魅力的な場所を提供する仕事をしていました。

 

その傍ら、東京都心部で、廃墟化した歴史的建造物の使い⽅を検証する企画業「領域探査デザイン」を主宰し、関東⼤震災後の復興建築が文化財指定されることなく解体されるのを、呼びかけに応じた多くのカメラマンと共に記録し、最期を見届けました。 

 

また、太平洋戦争で病院船となり、戦後に引き上げ船となった「氷川丸」の船上から、戦争を伝える国の事業に、企画者として参加しました。このとき、企画者が必要としたものは、公的博物館に陳列された遺品ばかりではなく、現存する場所と実在する人物の証言だったことを、深く心に刻みました。

 

この翌月、3.11で、私は生き方を大きく変えることとなりました。

 

 以上の経験から、現地に現物が存在し、経緯を示す記録があり、記録の証言者が現地にいる、という万全の「史料」を保存したいと考え、2011年にPR45の活動を立ち上げました。

 

 

|現地に現物を「群」で遺す

 

国が定める「震災遺構」は、自治体に1つと決められています。これに該当しない、三陸沿岸全域に刻まれた津波の痕跡は、土木の機能回復をする復旧工事の過程で失われていくのが宿命です。

 

PR45は、破壊された公共インフラの解体現場にカメラを構え、目の前で廃棄物となっていく「史料」を行政と協議し、幾度も仮保管を行ってきました。史料の分布は図の通りです。

 

 

|活動域と史料分布を重ねる

 

PR45の12年間の活動域は、⽯巻から久慈まで、三陸道距離にして270km区間。21箇所の痕跡史料の分類は、以下の3つに⼤別されます。 

 

①⼟地と固着している現地現物史料で、現地に存在しなければ意味を成さないもの

②全壊して解体された学校から運び出した被災ピアノ群

➂国道切替で死道となった国道断⽚や三陸道の貫通⽯ 

 

※①は、昭和の防潮堤や避難構想と切り離せないため、絶対に⽥⽼に現地保存が必要。

※②と➂は、⾮浸⽔域の保管場所への格納が急務。

 

|分散保存から集約保存を図る

 

これまでは、各自治体内にできるだけ公的に遺すことを目指してきましたが、この先は、1箇所に集約するための格納場所の確保が緊急課題となっていました。これは、自治体内の仮保管場所自体の解体や、保存物の劣化・離散の危機に直面したためです。

 

|民間史料館の必要性を痛感する

 

特に課題を感じたのは、大型で300kgの重量物である「被災ピアノ」の存在です。

 

活動当時、公共の博物館に寄贈するには、分解して固着した潮や泥を除去し、燻蒸処理しなければならないという大きな制約がありました。潮は汚いものなんかじゃない、それに「津波で変調した音」が失われてしまう。

 

企画者として史料を守る使命に駆られ、公的博物館とは一線を画す、民間の史料館を、自ら創る必要に迫られていたのです。

 

参考URL:PR45/STAY BANK SANRIKUホームページ/311.PIANO BANK 被災ピアノ

 

唐丹小被災ピアノ
釜石市唐丹小学校体育館グランドピアノ
越喜来小学校体育館床下グランドピアノ
大船渡市越喜来小学校体育館グランドピアノ
気仙中3階音楽室グランドピアノ
陸前高田市気仙中学校3階音楽室グランドピアノ

 

被災ピアノ音源:気仙中学校安渡小学校唐丹小学校

 

 

|きっかけ

「旧気仙銀⾏盛⽀店」が解体危機

 

私設史料館を持つ決断の瞬間は、⼤船渡市で解体危機となっていた古い銀⾏「旧気仙銀⾏盛⽀店」との決定的出遭いでした。

 

後世、私と同じ立場の企画者が、津波を語ることになったとして、私ならば、三陸の多様な景観と被害の関係性を現す物体を手に取って想像し、採取された場所に行き、当時の記録を調べて関係先の人と出会っていくだろうと考えました。

 

その逆算から行動してきた結果、格納庫=「震災痕跡史料館」となる、後世に残すべき建物が「旧気仙銀⾏盛⽀店」だと直感しました。

 

 

|ミッション

解体危機の「銀行」に、消滅危機の「史料」を預け入れ、業態ごと次世代に引き継ぐ  

 

「津波で全壊した公共物の痕跡」という客観的フォーマットで史料を収集し、文化財として公的に認知された銀行の中に「群」で保存し、史料価値を高めて将来に届ける。このように、頭の中でストーリーが繋がっていきました。

 

しかしその実現のためには、非営利活動を支えるための収益事業の立ち上げも必要でした。

 

旧気仙銀行盛支店木造棟 棟札発見時の様子

 

|コンセプト

2拠点型史料館とツーリズム

 

活動課題として格納場所が必要であること、地域課題として歴史的建造物が解体危機にあること、土地に固着していて格納できないものがあること。これらを総合的に考え併せた結果、まずは建造物を保存し、史料をその中に格納し、2拠点を連絡すること。これらを可能にするのが、防災ツーリズムであると結論づけました。

 

|拠点化事業

 拠点-1   |  大船渡市盛町 

「旧気仙銀⾏盛⽀店」を文化財申請し、「史料」を20年間格納する

 

 所有者:PR45。2022.05.30に売買契約を締結し、土地建物の所有者となる。

 立地の特徴:大正時代の建築物。旧市街の既存不適格物件。

 

 拠点-2  宮古市田老  

「田老1号陸閘扉体」をシンボル保存し、防潮堤と旧街区を⼟⽊遺産化する

 

 所有管理者:岩手県。2017の「扉体」廃棄決定を受け、PR45への譲渡協議中。

 立地の特徴:昭和三陸津波後の街区全体が土木遺産。災害危険区域内で非可住。

 

|キーワードは「STAY」×「BANK」

 

3つの「STAY」の場所をつくる

・来館者にとってのSTAY「滞在する」

・企画者にとってのSTAY「駐在する」

・史料群にとってのSTAY「そのままでいる」

 

3つの「BANK」で企画を管理する

「BANK」に3つの意味を持たせます。

STAY BANK SANRIKU大船渡拠点では「銀行」

311.PIANO BANKは被災ピアノの「鍵盤配列」

STAY BANK TARO田老拠点では「防浪堤」※円弧状の堤防や斜路を現します。 

 

3BANK

 

それでは、2つの拠点の役割をご説明させて頂きます。

 

今回のクラウドファンディングの範囲は、「大船渡拠点」に限定していますので、「田老拠点」の欄は参考としてお読みください。

 

 

「旧気仙銀⾏盛⽀店」を拠点に

 

「旧気仙銀⾏盛⽀店」は、大正14年に木造棟・RC棟が竣工し、昭和42年頃にブロック壁で2棟が連結され、一続きの現在の形となりました。RC棟は、気仙郡で最初に建てられた鉄筋コンクリート造2階建で、当時の沿岸ではまだ新しかった「混凝土(コンクリート)」の技術者や職人を内陸から招き、地元基幹産業である太平洋セメントを用いて造られたと言われています。屋上の避雷針は、この建物が当時の商店街の中で一番高く、象徴的な存在だったことを今も物語っています。

 

その後、代々金融機関の店舗として使われ、カルチャーセンター、和装レンタル店として改装されましたが、3.11で一部損壊し、解体危機となっていました。

 

市の文化財(建物)第一号を目指す

 

PR45は2022年、保存目的で「旧気仙銀行盛支店」の所有者となり、大船渡市で第一号となる、登録有形⽂化財(建物)への申請を⽬指しています。築100年経過したRC構造体は、建築の研究分野においても珍しく、保存する意義は高いと考えました。今回は、正面側の外観と天井意匠に限定して文化財申請する予定です。

 

周辺環境と町並み保存を働きかける

 

かつて気仙郡の中心地であった盛の商店街には、明治期や昭和初期の木造の店舗付き住宅が今も点在しており、110年続く朝市が今も開かれる、希少なエリアです。旧銀行はその経済圏の中心を示すものであり、率先して文化財申請を目指すことにより、町並み保存への気運が高まることを期待しています。

 

PR45は、大船渡拠点運営の一環として、4件隣に位置する「盛木町市場」の朝市にカフェを出店し、朝市文化の継承に努めています。

 

参考URL:朝市カフェ&タルト STAY BANK CAFE

 

 

 事業の全体像                                               

 

事業全体の計画年限は20年間で、申請からおよそ10年間で文化財登録を⽬指し、次の10年間で、建造物と史料群の価値を高め、後世への引継ぎを⾏います。この間、建造物の寿命到来まで、震災史料館を運営します。

 

収益事業の柱は、簡易宿泊・飲⾷・ツーリズムの3本とし、これらの収益で建造物と史料の価値を守ります。

開業後のイメージ) 入館料:珈琲+焼菓子¥500/簡易宿泊:1泊朝食付¥5,000/1泊2食ガイド付 ¥10,000。朝5:00から三陸のおいしい朝ごはんの店を営業し、池袋から盛町直通の深夜バス「気仙ライナー」の到着や、三陸鉄道の始発利用のニーズに合わせた時間設定とし、早朝営業の少ない沿岸の地域課題を解決します。

 

参考URL:PR45/STAY BANK SANRIKUホームページ/大船渡拠点

 

 

 展示物のご紹介                                              

 

1. 歴史的建造物

 

史料館RC棟は、日本のコンクリート建築黎明期に建てられた、気仙郡で現存する最も古い構造体を現物展示し、見所を解説します。

 

天井修復

 

2. 大型展示物「被災ピアノ」6台

 

2012年〜13年にかけて地域連携で⾏った「被災ピアノ記録救出プロジェクト」は、津波で全壊した学校の解体現場から式典⽤のグランドピアノを搬出し、校歌の歌詞に歌われた景観を記録する、というものでした。「被災ピアノは、楽器か、遺構か、廃棄物か。」を問う撮影企画で搬出した現存9台のうち、PR45管理の6台(5台所有+1台管理)を史料館に展⽰します。

 

 

これらのピアノは、津波到達⾼の被害状況をよく現しており、300キロものピアノが流された事実と、壊れた⾳で、津波の脅威を伝える役割を持たせます。また、発見された場所の緯度・経度・高さ・製造番号をある程度特定できる点で客観性があり、史料価値が高いと考えています。

 

3.「津波痕跡史料」約20点

 

道路や防潮堤のように連続した形状の公共インフラの断面を見ると、災害で破壊されたときに初めて、計画当時の意図や思考の跡を知ることがよくあります。史料館に展示する土木構造物の断片はどれも、国や県が最高位の防災の知見に基づいて造った、しかし、どこにでもある普遍的なものです。

 

国道45号のアスファルト片、防潮堤の欠片、慰霊の場である公共施設の解体片、解体された学校の大時計や備品などを、手に取って見ることができます。ここに来る人が、日常当たり前に在るインフラが災害で破壊されたときの行動を想像し、迂回路や高台を意識した安全な旅を過ごせるよう、願いをこめて展示します。企画展ごとに、当時の災害復旧の記録映像を編集し、順次上映し、WEBにアップします。

 

津波痕跡史料群コラージュ3枚組

 

 

田老拠点設置の経緯

 

田老拠点を置く宮古市は、「津波防災都市宣言」をする防災の町です。地元呼称「防浪堤(ぼうろうてい)」は、昭和三陸大津波後に岩手県に造られた5つの防潮堤のうちの1つです。この構造物は、田老の人々にとって愛すべき生活の装置であり、そこにつながる道は、ずっと田老の誇りでした。

 

「国道」をテーマと決めた10年前、私は、昭和の土木遺産を国道が貫通する町で、災害復旧工事の一部始終を見るために、田老に移住しました。活動中、防潮堤と避難路から成る旧街区全体の文化財保護を訴えて市・県・国に働きかけましたが、当時はまだ築年数が浅いと判断され、その間にも復旧工事という名の解体は進み、今は「防浪堤」を除いては、痕跡を残すのみとなりました。

 

しかし、今ならまだ、痕跡からその壮大な思想を伝えることができます。田老拠点は、この「痕跡史料」を守る重要拠点であり、広域の旅の中継場所となることを期待しています。

 

「⽥⽼1号陸閘扉体」を防災シンボルに

 

下の写真は、田老の津波防災の合言葉「15分ルール」のルーツとなった、「⽥⽼1号陸閘扉体」の撤去工事の1コマです。このときこそ、行政に公的保存を提案し議会に請願する一市民の立場から、民間保存の実行者に変わった瞬間であり、今も続く長い葛藤の始まりでした。

 

田老の町全体を「土木遺産」と位置付けたのは、昭和三陸大津波後の昭和9年に計画された復興街区と地元呼称「防浪堤」の計画図・行政文書・土木構造物・避難訓練・防災意識から成る全体像を言い表す言葉が、まだこの世に存在していないと感じていたからです。そして、記録者として土木遺産解体を見た者の立場で、伝え方を決めました。

 

あと10年間で、昭和三陸大津波から100年。震災から13年が経ち、被災体験者の高齢化や記憶の風化が叫ばれています。被災者ではない記録者の立場で震災を見た私にできることは、正確な情報を持つことと、実際の場所に連れて行き、本物を見せることだけです。この考え方が原動力となり、扉体管理棟を田老拠点と位置付けて大船渡拠点と結ぶ、2拠点型史料館を構想しました。

 

 

計画概要

 

「⽥⽼1号陸閘扉体」は、昭和8年の津波の後、昭和9年に着工された「防浪堤」中央に配置された「避難路1号」の存在を示す「津波痕跡史料」です。

 

「田老⼟⽊遺産」の中に、シンボル化した「⽥⽼1号陸閘扉体」を民間保存し、次の津波まで約20年間の維持管理に努め、伝承活動を行います。扉体重量5t×縦4.6m×横4.2mというインパクトを活かし、津波の脅威と防災構造物、避難行動を組み合わせた防災の考え方を伝えます。

 

現地現物の巨大史料を次世代に

 

昭和の時代、田老村長が復興街区の工事を村費で断行するに至った、海と共に生きる漁師町の街区は防潮堤と避難路から成り、今日までの長い間、防災の手本として参照されてきました。その特徴は、浮力を避けた川の内側に高さ10mの防潮堤を築き、山に最短で逃げる避難路を放射線状に敷いたもので、碁盤の目の交差点には、隅切りを設けて人の衝突を避ける工夫が施されていました。

 

その後の築造で、X型に拡大しましたが、3.11の津浪は万里の長城と言われた防潮堤を超えて町を破壊しました。

 

 

復旧の際、岩手県の防潮堤⼯事と宮古市の嵩上⼯事の区分境で、中央に位置する避難路1号が消滅しました。「田老1号陸閘扉体」は、この避難路上で海と陸を分ける、防潮堤の設備でした。

 

震災当日、水門閉鎖の任務で海に向かった消防団員たちは、18箇所の水門樋門を閉鎖した後、避難する全ての人を見送り、海側から人力で扉を閉め、最後に避難しました。

 

震災後、水門の構造は、Jアラート発令とともに遠隔作動するものに変わり、消防団員の水門閉鎖の任務はなくなりました。しかし田老では、3.11の消防団活動を後世に伝えようとする一部の団員から、扉体保存の声が上がっていました。


 一方PR45は、野球場建設で消滅する主要避難路に疑問を抱き、扉体を保存することによって、土木遺産の存在を示せるかもしれないと考えていました。
 
そこで2017年、署名を添えた要望書を岩手県に提出し、扉体の保存を訴えました。これを受けた岩手県は、宮古市に対して扉体の譲渡を提案しましたが、宮古市は維持管理上の理由で受け入れしませんでした。

 

このため現在は、岩手県からPR45への譲渡協議中です。扉体は防災土木のシンボルとして原位置近くに設置し、ガイド拠点として活用する予定です。

 

田老拠点の役割

 

「田老土木遺産ガイド」は、扉体を含む現存する10個の痕跡から土木遺産の全体像を想像する、ロケーションハンティングツアーとなっています。ガイドコースの中で、土木遺産のスケールを体感し、三陸の旅を安全に楽しむためのヒントにして頂ければと考えています。

 

参考URL:STAY BANK TARO 田老拠点

 

田老土木遺産ガイドモデルコース

 

最近のニュース

 

この度、田老で津波防災の訓えを請い交流してきた地域NPOの活動が、ユネスコの「プロジェクト未来遺産2023」に登録決定しました。

 

巨大防浪堤を未来へ~岩手県宮古市田老の津波防災伝承活動~ 特定非営利活動法人 津波太郎

 

昨年3月、「三陸大津波から90年イベント」内で「田老土木遺産ガイド」試行の機会を頂き、協働して未来遺産登録を目指せたことは貴重な体験であり、伝承を次世代につなぐ役目を担えるよう、活動の質を高めていきたいと考えています。

 

なお、田老拠点の整備は大船渡拠点の完成後に着手する予定です。当面は①大船渡拠点からの出動又は➁現地集合・解散として運用します。近い将来は、1日1組限定の防災キャンプ参加者が扉体管理棟に交代で滞在し、田老から大船渡に戻る周遊ルートを作る予定です。

 

 

大船渡物件の進捗は、RC棟の耐震診断を行い、現時点で約2,000万円を支出して、躯体補修を終了しました耐震診断は、2次診断を用い、併せて東北工業大学建築学部田中名誉教授・舟木教授の協力により、常時微動測定で地震時の揺れを確認し、活用方針を決定しました。

 

今後10年間を文化財申請を目指すための保存、次の10年を次世代に引き継ぐまでの維持とし、全体の事業年限を20年間で計画しました。これにより、補強を目的として構造体の材料のほとんどを入れ替えるような過度の改造をするのではなく、本来備わった機能と建物の寿命の中で最大限の有効活用をすることとしました。

 

作業風景-1

 

この方針に従い、耐震診断では判明していない隠れた瑕疵である3か所の雨漏りに対して屋上防水工事を行い、さらに100年前の施工不良で露出した鉄筋の穴埋め、天井意匠の修復、地盤沈下による床の亀裂補修を行い、老朽化を目視管理し対策できる空間に整えました。

 

作業風景-2

 

こうしてようやく、各自治体の空校舎・民間のピアノ倉庫・民間の物流倉庫・地域有志の敷地内・企画者個人の賃貸物件などに分散していた「史料群」の大半を、大船渡拠点に格納することができたのでした。

 

 

ただし、防災観光拠点にとって必要なサービスを提供し、普段使いで商店街路面店の役割を果たすには、内装工事と設備工事を行わなければなりません。特に課題となっているのは、旧銀行店舗には100年前から水回りがないことで、新しく配管経路を敷き、その経路をいかに効率よく短縮するかが鍵となってきます。また、今後の劣化対策も必要です。

 

ここから先は、史料館+飲食店+簡易宿泊施設の複合施設への転換を図るため、皆様からご支援頂いた資金で、工事を進めていきたいと考えています。

 

改修方針や建造物活用に関する参考URL:STY BANK SANRIKUホームページ

 

 

本クラウドファンディングはAll-in形式で行い、工事の実行を確約します。

 

[第一目標金額]:1,000万円

[目標金額の使途]:大船渡拠点の改修工事費・建材費と手数料に全額使用します。

 

期日までに目標金額に達しない場合もクラウドファンディングは成立となりますが、そのままでは施設の公開ができません。不足額は自己資金を足したうえ、銀行融資などを検討し、第一目標額に掲げた整備を実行します。このため、現状では借入が難しく、多くの皆様のご支援を必要とするプロジェクトです。

 

 第1ゴール|1,000万円 

下表の水色部分、RC棟に史料館をつくり、建造物を公開するための費用1,330万円のうち1,000万円です。

 

 第2ゴール|1,600万円 

第1ゴールの不足額330万円と木造棟の簡易宿泊整備費270万円を合わせた計1600万円に挑戦します。

第2ゴール達成で、大船渡拠点でカフェ併設の史料館と、朝食つきの簡易宿泊が運用可能になります。

 

 第3ゴール|2,600万円 

田老拠点の屋外に扉体と管理棟を設置します。第3ゴール達成で2拠点間ツーリズムが可能となります。

 

改修イメージ

 

第2ゴールで木造棟の整備ができれば、1泊して100km先の田老、南三陸まで足を延ばことができるようになり、首都圏から出発する少人数制の旅では、有益な拠点としてお使い頂けると思います。

 

第3ゴールでは2拠点のサテライト、田老拠点を整備します。ここでは南北両方向からの立ち寄りに対応できる中継地点を目指し、わかりやすいシンボルとなる民間遺構の「扉体」を設置し、土木遺産の中で佇む体験を楽しんで頂くための挑戦に立ち向かいます。

 

工事費の内訳は、下表の通りです。

 

2拠点整備費のイメージ

 

 

 

 

 

 

|市の防災学習ネットワーク構想に参画する

 

大船渡市は、津波伝承・学習施設・地区ごとの取組を連携させた「防災学習ネットワーク構想」を掲げています。将来的には、独立した民間施設の立場で各施設と連携し、旅行者の防災に役立てるプログラムを実行したいと考えています。

|国の「3.11伝承ロード」登録施設を目指す

 

国交省が事務局を務める震災伝承ネットワーク協議会の「震災伝承施設」として登録を目指し、「被災

国道の現物」を保存する史料館として『3.11伝承ロード』形成の一端を担いたいと考えています。


|国道と迂回路の伝承者になる

 

3.11災害復旧は、福島原発の放射能汚染からの食の回復が収束するまで、今なお緊急事態の中にあると考えます。史料館では、企画者が福島県大熊町に移住して体感した放射能の影響を伝え、災害時の国道迂回路の重要性を伝え続けていきます。

 

最後に、能登半島地震で寸断された道の1日も早い復旧を心から願い、復旧に携わる全ての行政職員と土木従事者に寄せる信頼を全国にお伝えし、結びとさせて頂きます。

 

 

木町地区公民館長 新沼 興隆 様

 

NPO法人 津波太郎 理事長 大棒 秀一 様

 

 

 

 

応援くださる方々のコメントは、公開中にも追記していく予定です。どうぞよろしくお願いいたします。

プロジェクト実行責任者:
新藤 典子(PR45)
プロジェクト実施完了日:
2025年6月30日

プロジェクト概要と集めた資金の使途

ご支援頂いたご資金は、全額拠点整備工事費とクラウドファンディング手数料に充当させていただきます。

リスク&チャレンジ

プロジェクトを実施する上で必要になる資格や許認可について
飲食店と旅館業の営業許可は、改修工事完了後2024年7月31日までに取得予定です。
リターンを実施する上でのリスクについて
「屋上花見」「おおふなトレイル」「農業体験」「ナイトミュージアム」「田老土木遺産」の開催日が未定です。これらについては、開花予想・協業者の状況などを把握の上で開催予定日時をWEBとSNSで告知し、参加者へ個別連絡して調整を行います。
プロジェクトに必要な金額と目標金額の差額について
必要金額と目標金額の差額は、自己資金のほか、一部を助成金と銀行融資等を検討して充当します。

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プロフィール

3.11後の三陸沿岸で災害復旧記録と津波痕跡史料の保存を同時に非営利で行う。史料群を次世代に届けるためにSTAY BANK SANRIKUで起業。企画業・災害復旧カメラマン・ロケーションプランナー・かまいしの伝承者No.11

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リターン

5,000+システム利用料


[ご寄付] 5,000円

[ご寄付] 5,000円

日本のコンクリート建築黎明期の建物と史料の保存にご賛同頂きありがとうございます。

記念品不要の方向けのプランです。最大限有効に活用させていただきます。

●WEB上で進捗をご報告します。

申込数
34
在庫数
466
発送完了予定月
2024年10月

10,000+システム利用料


[史料活用] 被災ピアノで試弾権

[史料活用] 被災ピアノで試弾権

被災ピアノってどんな音?潮に捲かれたり、津波の底を這ったり、重機にかまれたり。正しい音階を持たないけれど、触れた指先からきっと津波のイメージを伝えてくれます。

●被災ピアノを弾く権利 [有効期限:1年]
●当日入館料無料
●珈琲と焼菓子付き

公開場所:STAY BANK SANRIKU 震災痕跡史料館
受付方法:フロントで権利証をご提示ください。
開館時間:11:00-16;00 [要予約] 開館日不定期
参考URL:https://pr45.mystrikingly.com/piano

資料館の利用状況により、試弾できないときは、期限内は何度でも振替可能です。

申込数
4
在庫数
96
発送完了予定月
2024年10月

5,000+システム利用料


[ご寄付] 5,000円

[ご寄付] 5,000円

日本のコンクリート建築黎明期の建物と史料の保存にご賛同頂きありがとうございます。

記念品不要の方向けのプランです。最大限有効に活用させていただきます。

●WEB上で進捗をご報告します。

申込数
34
在庫数
466
発送完了予定月
2024年10月

10,000+システム利用料


[史料活用] 被災ピアノで試弾権

[史料活用] 被災ピアノで試弾権

被災ピアノってどんな音?潮に捲かれたり、津波の底を這ったり、重機にかまれたり。正しい音階を持たないけれど、触れた指先からきっと津波のイメージを伝えてくれます。

●被災ピアノを弾く権利 [有効期限:1年]
●当日入館料無料
●珈琲と焼菓子付き

公開場所:STAY BANK SANRIKU 震災痕跡史料館
受付方法:フロントで権利証をご提示ください。
開館時間:11:00-16;00 [要予約] 開館日不定期
参考URL:https://pr45.mystrikingly.com/piano

資料館の利用状況により、試弾できないときは、期限内は何度でも振替可能です。

申込数
4
在庫数
96
発送完了予定月
2024年10月
1 ~ 1/ 25

プロフィール

3.11後の三陸沿岸で災害復旧記録と津波痕跡史料の保存を同時に非営利で行う。史料群を次世代に届けるためにSTAY BANK SANRIKUで起業。企画業・災害復旧カメラマン・ロケーションプランナー・かまいしの伝承者No.11

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