成功者インタビュー 成功者インタビュー 成功者インタビュー

「地元の企業さんや
地域の大人との繋がりを感じる機会でした」

高校生が全国の応援を集め、
銚子電鉄を再び走らせるまで。

04.

和泉大介さん、向後梨々花さん

このプロジェクトは、銚子商業高校の3年生(当時)が主体となったプロジェクトです。300万円という目標金額に対して500万円近い支援が集まるなど、メディアにも取り上げられ、地元の方々だけでなく全国の人から応援が集まりました。当時高校生だった彼らが300万円というとても大きな目標にどう立ち向かっていったのか、中心メンバーである和泉大介さん、向後梨々花さんにお話を伺いました。

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和泉大介さん、向後梨々花さん

Story 1.

「1000万円?無理」
から始まった銚子電鉄プロジェクト

―そもそも「銚子電鉄」は2人にとってどういう存在でしたか?

和泉大介さん(以下、和泉): もともと「課題研究」っていう授業は自分たちで自由にコースを選べるんですね。その年は「地域活性化」っていう1つのテーマをみんなで手分けしてやることになって、その中の1つのコースに銚子電鉄があったんです。

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和泉大介さん

向後梨々花さん(以下、向後): 私は経営難ということも知らなくて、高校に入ってからは乗る機会もあまりなかったので、どういう状態からも知らなかったです。ただお祖母ちゃんの家に行く時に利用していたりしたので、懐かしい感じはしていました。

―プロジェクトは高校の授業がきっかけだったそうですが、どのような授業だったのでしょうか?

向後: もともと「課題研究」っていう授業は自分たちで自由にコースを選べるんですね。その年は「地域活性化」っていう1つのテーマをみんなで手分けしてやることになって、その中の1つのコースに銚子電鉄があったんです。

和泉: 課題研究自体に3つのグループがありまして、銚子電鉄のグループと、商品開発のグループと、お店を開こうっていうグループがあったんです。その中で、銚子電鉄のグループに僕らが入ったのはほとんど偶然だったんです。最初に配れらたアンケートの銚子電鉄の項目に「ぬれ煎餅」「乗っている人が少ない」など比較的、意欲的に書いていたので先生に割り振られたって感じです。

―最初、銚子電鉄に割り振られてどう思いましたか?

向後: 何するんだろうって。

和泉: 最初、何やっていいか分からなかったです(笑)

―銚子電鉄のグループで集まった当初、皆さんでどういう話をしたんですか?

和泉: みんなクラスばらばらで初対面の人も多かったので、話し合いがなかなか進まなかったですね。

向後: 最初はインターネットで銚子電鉄のことを調べようと思いました。

和泉: 最初は3つアイデアがあって、その中にはまだ「クラウドファンディング」っていう案はなかったんです。車内アナウンスの改善とか、車内販売とか、犬吠駅で吹奏楽部のコンサートをしようみたいなアイデアでした。

―そこからどのようにしてクラウドファンディングの話になったんですか。

和泉: 色んなアイデアを、銚子電鉄の人に何度かプレゼンした後に、銚子電鉄の車内でミーティングをしたんです。その話の中で、「1月に銚子電鉄が脱線を起こした車両がいまだに走れていないこと」、「その修理費に1000万円かかること」を聞いて、何か自分たちで出来ないかっていうところからクラウドファンディングに至りました。

向後: 最初はクラウドファンディングっていう案が見つかっていなかったので、「1000万円?無理」って感じでした(笑)

和泉: その中でクラウドファンディングをやろうと思ったきっかけは、僕の知人でReadyfor経験者の方がいたのを見ていたんです。1000万円という金額をきいて、自分たちでお金を募れないかをいろいろ考えたんです。自分たちが街頭募金をすることもできましたが、より高額を集めることが出来ないかを考えて、クラウドファンディングに至りました。それでチームのみんなにプレゼンをしてみたんです。

―そのプレゼンを聞いてどう思いましたか?

向後: はじめに聞いた時は「何ですか、それ?」って感じでした(笑)でも自分でも調べてみて、色々なプロジェクトがあるのをみて、出来るかもしれないって思いました。

和泉: でも、最初は成功できそうっていう気持ちは全くなかったです(笑)

向後: だから最初は目標金額をどうするかにとても悩んだよね。1000万円のうち、どれくらい集めたら修理できるのかなとか。

和泉: 当初は500万円っていう設定にしようと思っていたんですけど、銚子電鉄の方から「うちでは50万円でもいただけたら嬉しい」ということを言われて、もっとハードルを下げようという話になって300万円という金額に設定しました。

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向後梨々花さん

Story 2.

地元の方からの厚い支持をうけて、
40日で目標金額300万円を達成

―次にプロジェクトページづくりに話を移したいと思います。作成にどれくらいの時間がかかりましたか?

和泉: すごい時間がかかりましたね(笑)

向後: 最初は掲載する写真を撮りに行ったりしたよね。

和泉: 他にも、リターンで本校から出せるものって少ないよねって考えていたので、その部分は銚子電鉄さんとミーティングを行ったりしていました。

―その中でも、どういう部分で苦労しましたか?

和泉: 僕としては文章を書くのが苦手なところもあって、分かりやすくだとか綺麗にまとめるだとか、そういう部分で苦労しました。あとその時期はちょうど進路のことを決めなきゃいけなかったり、テストのこともあったりしたので、両立するのが大変でした。でもメンバーのみんなで分担したり、先生にも文章を添削してもらって助けられながら進めることができました。

―担当のキュレーターとはどんなやりとりをしましたか。

和泉: すごく丁寧に対応してくれた印象があります。ちょうど夏休みのはじめの時期で、銚子から宮城の気仙沼まで自転車旅をした時も、電話やメールで相談していました。

―そうして出来たページを公開した後、最初の広報活動はどう進めていたんですか?

和泉: 最初はみんなで分担して新着情報を更新したり、あとは個人的にfacebookで投稿のシェアのお願いをしていました。最初にすごいホッとしたのは 5日間で60万円(300万円の20%)を達成した瞬間ですかね。キュレーターの方から「3日で20%を達成したプロジェクトはほとんど成功する」って聞いていたんですけど「無理だよね?」ってチームで話していたりしたので。

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―最初に支援してくれたのはどういう方だったんですか

向後: 乗ったことのある地元の方とか、昔利用していましたって方が多かったです。


和泉: ほかにも銚子の別の高校を卒業した50代くらいの方が、同窓会で10人ほどのお金を集めて支援してくださったりして、地元の繋がりでの支援してくださる方が多かったです。

和泉: 先生が記者クラブにプレスリリースを出してくれて、そこから取材なども入るようになりました。

向後: 取材はいっぱいきました。授業中カメラが3台くらい入ってきてびっくりしたよね(笑)

和泉: 公開をしたのが8月末だったんですけど、9月の上旬にNHKさんが取材してくれて、その後に支援してくれた方が結構多かったです。90歳くらいのおばあちゃんから「テレビを見て感動した」って学校に電話がかかってきたりもしました。

―広報活動やメディアに取り上げられたこともあって、およそ40日で300万円を達成したんですよね。その時のことを覚えていますか?

深夜に一気に最高額である30万円を支援してくれた方がいて、朝チェックしてみたら「あ!」って。それでメンバーや先生にもすぐに連絡をいれました。

?その後、広報はどんな動きがありましたか?

和泉: :ちょっと停滞しそうになった部分もあるけれど、300万円を超えた後、メディアさんがきてくれたので、そこでもちょっと加速したかなって感じはありました。本校宛に現金書留で送ってくれる方も沢山いらっしゃいました。年金暮らしのおばあちゃんから「お金を出すことは出来ないけれど、なにか助けになれたら」ということで切手コレクションとシンガポールドルを送られてきました。あとは本校の受付に「これお願いします」ってことで30万円を匿名で置いていって下さる方もいました。

―お金以外でどんな応援がありましたか

和泉: 地元以外で知り合いが増えたなって感じがします。同世代というよりも大人が多かったです。支援をしてくださった方や、大学の教授の方ともお話する機会がありました。

向後: 私も同じような感じなんですけど、地元の企業さんだったり、地域の大人とか、繋がりを感じる機会が多かったです。

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―目標金額を超えた後も最後の瞬間まで支援が伸びていますもんね。そうして迎えた最後の瞬間は覚えていますか?

和泉: 休日だったんで、最後の瞬間をずっと見てました。

向後: 毎晩、和泉から「あと◯日だよ!」って連絡がきてました。終わった後は、銚子電鉄の方が、市長さんと一緒に御礼を言いにわざわざ学校に来てくれました。

和泉: 自分としては倉庫の片隅にあった電車が動き出した今年4月のセレモニーはすごく印象に残っています。

Story 3.

友人の5000円から感じた
本気の応援の気持ち

―今回の挑戦を通じて、どんなことが印象に残っていますか?

向後: 私は300万円を達成した時の安心感ですかね。「やった!」という気持ちよりも「ホっ」ってなりました。

和泉: 僕の隣のクラスの友達が自分のお財布から支援してくれたんです。「だいすけ、お前頑張っているから、これだけしか出せないけど」って言って5000円出してきてくれたんです。最初その時は「受け取れないよ!」って言ったんです。高校生にとっての5000円って遊びに行けるし、旅行に行けるし、本当になんでもできる金額なんです。でもその友達は本気で応援したいってことだったので、僕も受け取りました。

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―これだけ多くの方に広まると様々な意見もあったと思いますが、それにはどうやって対応していったんですか?

和泉: 「これは本当にいい企画だと思うんだけど、その後はどうするの?」っていう声は実際にありました。ただその方も応援したいっていう気持ちは同じだったので、ちゃんと説明すると納得してくれました。

向後: そこまで真剣に思ってくれてるっていうのが逆に嬉しかったです。

―最後に、今回クラウドファンディングへの挑戦を通してどういった成長がありましたか?

向後: 大人数の大人の人と関わる機会がなかったので、関わりや繋がりをもてたことはすごい学びになりました。あとは沢山のお金を支援されるので、そこへの気遣いはすごいありました。

和泉: 僕としては進路につながったなと思います。例えば面接でも落ち着いて、この経験を伝えることが出来ました。そしてまだまだ色んな夢があるので、また何かクラウドファンディングに挑戦してみたいなと思ってます。

―挑戦おまちしております!本日はありがとうございました。


文:江藤遥平/写真:佐藤寛峻

※文中の記述はインタビュー当時の内容です。

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