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「イベントを10年間やって、
出会った色んな人達が全員で助けてくれました」

「COMIN’KOBE2015」に集まった
数多くの応援と、大切にしたユーモア

05.

松原裕さん

神戸で10年間続く無料音楽イベントCOMIN’KOBE。会場の移転に伴い、Readyforでクラウドファンディングに挑戦しました。2000万円という大きな目標金額への挑戦、ライブの準備や通常業務も行いながらのクラウドファンディング。そんな中でも無事目標金額を達成し、Readyforでは最も多い支援者を獲得したプロジェクトとなりました。COMIN’KOBEを立ち上げ、今回のクラウドファンディングも自らページ作りや広報を行われ動きつづけた実行委員長、松原裕さんにお話を伺いました。

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松原裕さん

Story 1.

「どこか他人事だった」
自分への罪悪感をきっかけに始めたCOMIN’KOBE

―はじめに、COMIN’KOBEを始めたきっかけを教えて下さい。

松原裕さん(以下、松原): 簡単に言うと中学3年生の時に阪神淡路大震災を経験したんですけど、自分は特になにも復興の活動をせずに大人になったんです。事の重大さは分かっていたんですけど、どこか他人事だったんです。バンドを組んで、はじめて兵庫県から出た時に、各地の人にすごい心配されたんです。「神戸の地震大変だったんじゃない?」とか。そこで外からそんなに心配されていたっていうことに初めて気づいて、自分の思っていた地震との違和感を感じたんです。それで神戸に帰ってからも色んな人から地震の話を聞くようになりました。そこで、あの時なにも活動をしていなかった自分への罪悪感がすごい生まれて、そういう若者ってこれからもきっといるし、自発的に考えられるきっかけが何かないかと考えた時に、ロックフェスティバルと震災の啓発活動を合体させたものをやろうと考えました。それでCOMIN’KOBE を2005年阪神淡路大震災から10年目の年にスタートしました。

―なるほど。今年の回ではじめてクラウドファンディングを行ったわけですが、どういった経緯でクラウドファンディングに辿り着いたのでしょうか。

松原: 「前々からやってみればいいのに」ということは色んな人から聞いていたんです。ただ自分の中で「困っているんです。助けてください」というのは苦手で、あんまりかっこよくないことだと思っていたんです。ただ今年は、去年まで無料で使っていた会場が使えなくなっちゃって、有料の会場を使わざるを得ないことになったんです。そこで相当の費用がかかる、「やるか、やめるか。やるならものすごいお金がかかってしまう」という状況でした。ちょうど少し前に騎馬武者ロックフェスと関わらせて頂く機会があったのですが、その騎馬武者ロックフェスがクラウドファンディングをやっていたので、1回自分も挑戦してみようかなと思ったんです。

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松原裕さん

―その中でどうしてReadyforを選ばれたのですか。

松原: 色々なサイトをみていて、とりあえず電話してみようってことで一発目にかけたのが、Readyforだったんです。最初のお電話で30分くらいイベントのことを喋ったんです。そしたら最後にずっと説明を聞いていただいたお電話相手のスタッフさん(のちの担当キュレーター)から「実は私、前回のCOMIN’KOBEに行きました。先週も松原さんのトークイベントに行きました」って言われたんです(笑)これはもう運命なんじゃないかって思って、面白かったのでReadyforに決めました。

―それは運命的ですね(笑)金額は最初から2000万円で申し込んでいたんですか?

松原: 1000万円か2000万円かですごい悩んでいました。会場費の値段はわかるけれど、正直やってみないとわからない部分も色々あって、最低1000万円は必要だろうなって思っていたんです。実は公開の前日まで1000万でいこうと思っていたんです。だから「クラウドファンディングやります!」っていう公開前の事前告知のツイートも1000万円と書いていたんです。それをみた担当キュレーターさんから「2000万円いけますよ!」と熱く言われて、「そこまで仰っていただけるなら2000万円やりますよ」という流れです(笑)

Story 2.

ただ支援をお願いすることへの違和感から、
大切にしたユーモア

―電話で話したスタッフが担当のキュレーターになったんですよね。彼女とはどんなやりとりをしたんですか。

松原: 僕もCOMIN’KOBEの準備で忙しく、プロジェクトページなど考える時間がなかったので、ある程度の叩き台だけつくって、どう皆さんに感じてもらえるかっていう部分をキュレーターと相談していましたね。

―その中でどんなことを心がけていましたか?

松原: 正直な所、違和感をずっと感じていたんです。「存続の危機です」っていう言葉とか「皆さん支援してください」というようにお願いをするっていうことを今までやってこなかったので、すごい悩みました。COMIN’KOBEの時はあえてふざけるようなユーモアをすごい大事にしています。1個1個告知するのもすごいふざけるているんです。僕がこのイベントを立ち上げる時に思っていたのは、「震災のイベントです。トークセッションです」って言っても、若い人は全然来ないんですよ。僕がそういう震災のイベントに参加した時に他の参加者をみて「全然若い奴いないな。これじゃあんまり意味が無いな」って感じたんです。ここに来ている参加者の人はもう既に知っているので、そのことを若い人に伝えなきゃいけないなって思ったんです。だからCOMIN’KOBEは絶対に固いことはやめようって決めたんです。熱さはもちろん伝えるんですけど、ユーモアを大事にしてやってきました。だから今回ページを作る上でユーモアを入れられないことに「いいのかなぁ」っていう違和感がありました。だから公開した後の情報発信はユーモラスにしてバランスをとっていきました。

―そのユーモアはリターンに出ていると感じました。リターンはどうやって考えていったんですか。

松原:正直、リターンはもっとふざけたかったですよね。ただ考える時間があんまりとれなかったですね。でも「馬鹿げてるなぁ」とページを観た人にクスっと思ってもらえるようにめっちゃ頑張りました。「何がくだらんかなぁ」と思って、握手券を入れたりしましたね(笑)

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Story 3.

しんどい時の支えとなってくれた
応援コメント

―握手券は私もびっくりしました。そうして出来たページを公開されてから、広報はどんな動きをされましたか?

松原: 基本はやっぱりFacebookとTwitterでした。あとはオフラインのイベントで告知みたいなことをしました。イベントはすごい効果的でしたね。ただ公開終了の1週間前までは確か半分くらいしか集まっていなくかったんです。それで残りの1週間で1000万円位一気に集まったんです。ラスト5日間くらいは、1時間くらいの打ち合わせをして終わった後にスマホをみたら、「あれ、またメーターがまた上がってる」みたいな感じでした。

―それはびっくりしますね。支援をしたのはどういった方々だったんですか?

松原: やっぱりクレジットカードでの支援だったので、20代以降が多かったかなと思います。でも10代からもすごい色んな連絡をもらいました。「どうやったら支援できますか」とか「僕がやっているライブハウスに持ち込んでいいんですか」とか言ってくれました。

―最初支援がなかなか集まらなかった時は、どんな課題があると考えていましたか?

松原: クラウドファンディング自体、まだ浸透していなかったので「これは何だろう」って思う人がすごい多かったのと、あとは始めた時にもっと広報が爆発するような面白いことができたら良かったなと思いました。でも1番の理由はみんな様子見をしていたんだと思います。

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―支援のなかなか集まらない苦しい中で広報をつづけていくモチベーションは何でしたか?

松原: やっぱり応援コメントですかね。支援してくれた人の6割くらいはちゃんと応援の言葉を書いてくれていて、それを読んでいるとすごい燃えました。どんなに徹夜して眠たいなぁと思っていても、次の打ち合わせに向かう中で応援コメントを読んでいるともうアドレナリンがバーッとでて「おお、やってやろう」ってなりました。だからしんどい時は応援コメントをずっと見てましたね。通常の業務もあって、ライブの準備もあってって感じだったのでクラウドファンディングに割ける時間は全然無くて、担当のキュレーターには本当に手伝ってもらいましたね。「これ良かったらやります」とか。

―そうして無事2000万を達成した時のことを覚えていらっしゃいますか?

松原: それがちょうど石巻に支援を持っていって、現地の人とごはんを食べている時だったんです。「いまクラウドファンディングに挑戦していて、もう少しで達成するんですよ」って言ってiPhoneでページを開いたら「え、達成しているよ!!」みたいな。石巻で観たっていうのがすごい印象的でしたね。

―これも運命的ですね。4月に行われたライブ当日のことを伺いたいと思います。ライブ当日、クラウドファンディングの効果を感じたことはありましたか。

松原: 握手券があって、並んでもらっていた人と直接握手しながら一言ずつ喋っていくんですけど、その時は「クラウドファンディングをやってよかったなぁ」と思いましたね。あとは「クラウドファンディング達成おめでとう!」っていう寄せ書きをした垂れ幕をもらったりだとか。 当日はクラウドファンディングをやったことで色んなことが起きたので、印象深いですね。

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―100万円のリターンに「やりたい放題権」がありました。実際にどんなことをやられたのでしょうか。

松原: 面白かったのは、1人がメインステージで5分間なぜクラウドファンディングに100万円支援したのかをスピーチしたことですかね。名古屋でライブハウスをやっている後輩の子なんですけど、僕との出会いから自分もカミングに出会って名古屋で無料イベントを始めたこと、だから今回COMIN’KOBEのピンチには支援をせずにはいられなかったってことをスピーチしてくれました。

―それは素敵な使い方ですね。振り返ってみて音楽イベントとクラウドファンディングの相性はどう感じましたか。

松原: 個人的にはReadyforに並んでいるプロジェクトの中でCOMIN’KOBEは浮いてるなと思っていたんです。でも結局そのイベントに志があるのかってことだと思います。騎馬武者ロックフェスもこの場所でなぜ開催したいのかってことを盛り込んでいて、読んでいてじーんと来たんです。だから志と信念があればクラウドファンディングに挑戦してみたらいいと思います。

Story 4.

クラウドファンディングを通して感じた
「歴代のウルトラマンが全員集結したみたいな感動」

―やっておけばよかったなと後悔していることはありますか?

松原: 事務的なことにはなりますが、リターンのTシャツは最初からサイズを聞いておけば良かったなと思います。全員にTシャツのサイズを聞く作業がえげつなかったです。あと発送料を考えてなかったので、それもかさんじゃいましたね。達成した後のことを全然考えていなかったので、そこがえげつなかったですね(笑)

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―最後に、これからクラウドファンディングを行う方にメッセージをお願いいたします。

松原: そんなに偉そうに言うわけじゃないんですけど、僕はSNSで拡散したくなるようなフックを大事にしたらいいんじゃないかと思っています。僕は後半から「支援をしてください!よろしくお願いします」っていうのがどんどん苦痛になっていったんです。逆の立場だったら鬱陶しいなと思って。だから「新着情報アップしました!」っていう形に投稿も変えていきました。ただお願いするだけじゃない投稿を考えられたらいいんじゃないかと思います。ただ僕は今回クラウドファンディングをやって本当に良かったなって思っています。それはお金よりもすごい価値を得られたなって思っています。例えば応援コメントもそうです。実は今回クラウドファンディングをやったおかげで、はじめて大々的に「開催のピンチです」って言いました。毎年ピンチだったんですけどね。はじめておおっぴらに言ったおかげで、このイベントを10年間やって、出会った色んな人達が全員で助けてくれたんですよ。それってウルトラマンシリーズの最後に、歴代のウルトラマンが全員集結したみたいな感動があったんですよ。このイベントを10年間やってきて色んな人とふれ合って、色んな人に助けてもらったなってことを再認識できたし、来場者からのたくさんの応援コメントを読んでいて、ダイレクトにこんなに沢山の人からこのイベントをどう思っているかってことを聞いたのがはじめてだったので、すごい燃えたんです。そういう人のことを考えられるきっかけが、クラウドファンディングをやることによって得られるかもしれないので、これから挑戦される皆さんには頑張ってほしいなと思います。

―熱いメッセージ、ありがとうございました!


文:江藤遥平/写真:本間悠暉

※文中の記述はインタビュー当時の内容です。

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