和田洽史

和田洽史 1944年、旧満州国吉林生まれ。父母の生地・広島に引揚げ。国家は、軍は民を棄てます。開拓民と家族はその生贄でした。しかし時と場合によって民は、敵の民を助けることを苦難の中で学びました。父たちの金馬村開拓団600余人は、8万の死者を “道端に埋けた”開拓団24万人のなか、全員が帰還できた(病死や、事故死は除く)唯一の、稀有の開拓団だったのです。国家が民を棄てるとき民もまた国家を棄て、民を探す旅に発つのです。私が行き着いたのは西アフリカ・サバンナでした。茫々たる地平にわずかな木立が見えればそこに集落があります。電線も見えず、役場も学校も、病院も警察も銀行も見えない地平で、ひとは禽獣の小さな群れのように生きている辺境で、私は孤独のなんであるかを知らされたのです。無残に殺された開拓団の子供たちが、ここでいまを生きていると。

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