ある時、大分の実家にできた「予科練資料館」 「自分は生かされている」と言っていた父の強い想いを知りました。 東京で映像関係の仕事をしていた私にできることは、いち早くホームページを立ち上げ、写真や映像をアップし、多くの方々にその存在を知って頂くことでした。 父が亡くなった今「予科練資料館」は兄が館長になっていましたが、後を継ぐ者がいないため、資料は全て移管することにしました。