
はじめは筑前立花山の麓にあった曹洞宗の寺院でしたが、天正15年(1587)、初代柳川藩主・立花宗茂が柳川に城を構えた際、立花家の菩提寺として、ともに柳川へ移されました。寛文9年(1669)、3代藩主・鑑虎により臨済宗黄檗派に転ぜられ、寺名を梅岳山福厳寺と改めます。開山には、柳川藩出身の高僧で、黄檗山萬福寺(京都府宇治市)2世・木庵の法弟である鉄文が迎えられ、延宝2年(1674)には、萬福寺にならった諸堂諸仏が盛大に披かれました。2024年の本年は、開堂350年に当たります。本堂裏手にある立花家の御霊屋には、立花家初代・戸次道雪、初代柳川藩主・立花宗茂、そして歴代柳川藩主および家族たちが眠られています。また、墓所には他に、檀一雄、長谷健、木村緑平といった柳川が誇る偉人の方々も眠られています。本堂には、ご本尊の釈迦牟尼佛と両脇の迦葉、阿難尊者とともに、改宗前の薬師如来がいらっしゃいます。