二度と戦争を繰り返さない。60年安保闘争参加者の声を後世へ
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東京生れ、東京育ち。父は江戸っ子でしたが、私は母が新潟生れですので、生粋ではありません。でも、東京の街が大好きです。新宿・神保町・浅草・芝などは子供の頃の記憶が残る街です。とくに芝は伯父の家があり、いとこ2人とまだ東京タワーができる前の芝公園を転げまわって遊んだ思い出があります。本年3月で78歳。大学は早稲田、ここで60年安保闘争を経験しました。入学が1960年、まだ18歳になったばかりですから、正直なところ、西も東も分からない状況でしたが、活動にのめり込んで行き、気が付いた時は安保条約は国会で自然承認されていました。当時、「挫折」という言葉が流行しましたが、私の場合は「呆然」が最適な言葉です。俯きながら、東京の街を歩き回り、徒に時間を費やした記憶があります。社会に出てからは、様々な業種の会社を経営、最終的には経営コンサルタントとなり、多くの経験を活かすことができました。