西光寺

寺伝によると、古くこの地に一草堂があり、念仏をする者が後を絶たず、その故をもって、「不断堂」と名付けられていましたが、約470年前の天文15年に止々呂美(箕面市)より祐圓上人を迎え、信徒と協力してお堂を再建し「西光寺」という住職が常駐するお寺になったとあります
 寛永年間には河辺等三郡の触頭に任命され、6ヵ寺の末寺を持つようになり、また、「能勢街道」と「西国巡礼街道」の交差点という立地もあり、西光寺は大いに栄え、狭い境内地に多くの堂宇が建ち、伽藍が整備されるようになりました。
 本堂屋根裏には、「承応元(1652)年」「元禄10(1697)年」「文政5(1822)年」の棟札が確認されており、少なくとも370年前のものが残されていることがわかっています。
 時が流れ、明治期の廃仏毀釈や昭和期の農地改革等、西光寺も大きな痛手を被りましたが、歴代の住職が地域の皆様と協力し、現在に至ります。

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