458人の労働者の尊い命を奪った炭じん大爆発から57年になろうとしている今、悲願の慰霊碑が建設されることを知り、その実現のためにわずかですが協賛金を送らせてもらいました。
多くの炭鉱労働者が犠牲となった三池炭じん大爆発の史実を後世に伝えていくためにも、その現場の三川鉱第1斜坑口に慰霊碑が建立されることは大変有意義だと思い、感激しています。
慰霊碑の完成を心待ちにしています。建立にご尽力された皆さんに心から敬意を表したいと思います。本当にお疲れさまでした。
ご支援いただきありがとうございます。
また、プロジェクトへの賛同の言葉、本当に有難く感じております!
慰霊碑が完成しましたら、宮川様にもぜひ三川坑に来ていただき、見ていただきたいと思います。
よろしくお願いいたします❗️
三池の出身者です。父が指名解雇、母が主婦会三川支部の支部長でした。争議の時、三里小学校2年生です。これからも、三井三池にこだわり、寄り添っていきたいと思います。
ご支援いただきありがとうございます。
お父様もお母様も三池の歴史の中で活動され、足跡を残してこられたのですね。
今回のクラウドファンディングは
中山様のように、三池の歴史に寄り添い、心を寄せていただいている皆様により形にすることができました。
本当に有難いと感じております。
今後とも、このプロジェクトに心を寄せていただければと思います。
頑張ってください!
ご支援いただきありがとうございます。
また、この大変な情勢の中、私たちのプロジェクトにご賛同いただきましたこと、本当に感謝しております。
プロジェクト終了まで半月程となってまいりましたが
最後まで慰霊碑の建立に向け頑張ってまいります。
どうぞ、引き続き応援いただきますようお願いいたします。
頑張ってください!
ご支援いただきありがとうございます。
現在ネクストゴールを目指し、地元の方などにもプロジェクトを知っていただけるよう活動を行っているところです!
皆さまのご支援を力に、慰霊碑を建立し、亡くなられたおひとりおひとり、今も闘病されている方、そのご家族、関係する全ての方を悼み、慰める場といたします。
今後とも応援いただきますよう、よろしくお願いいたします!
頑張ってください!
ご支援いただきありがとうございます。
皆様のおかげで、ようやく慰霊碑建立が現実のものとなりました!
ここで気を抜くことなく
皆様の気持ちを取りこぼすことなく
しっかりとプロジェクトを進めてまいります。
今後ともご注目いただきますようお願いいたします!
三川坑に慰霊碑を建てる会の皆様には、日ごろから、三池高次脳連絡会議で、三池の炭塵爆発事故の犠牲者・被災者の治験を生かし、大牟田吉野病院を高次脳機能障害の中核的医療機関として発展させる取り組みにもご支援いただいています。
三池炭塵爆発事故の教訓を後世に語り継ぐための今回の慰霊碑建立は大変意義のあることであり、私たちは組織として支援していくことを決定しました。
是非ともこの取り組みを成功させるようともに頑張りましょう!
引き続く、皆様のご活躍とご健勝を祈念しております。
ご支援いただきありがとうございます。
また、心のこもったコメントもありがとうございます!
福岡県医労連様から組織としてご支援いただき、本当に心強く感じております。
事故の教訓を後世に伝え
このような事故が二度と起こることのないよう
みんなで連携していきたいと、切に願っております。
今後とも、応援いただきますようお願いいたします!
東京在住の大牟田市出身者です。
小学生の頃に炭坑が閉山し、何だかわからないが大変なことが起こったらしいと、子供心に感じたのを覚えています。
炭じん爆発事故のことを知ったのは大学に入ってからです。大学の図書館で様々な文献や映像作品に触れ、事故だけでなく労働争議や与論島からの移住者のことなど、自分が生まれ育った町でかつて起きた出来事を知りました。同時に、これらの出来事に関わった人々の辛い記憶の上に自分は生かされているのだと気づきました。
炭鉱関連施設も既に多くが取り壊されていると聞いていますが、これらを負の遺産として忘却の彼方に追いやるのではなく、起きた出来事を正面から受け止め、後世に伝えていく取り組みこそ重要と考えます。
本企画の趣旨に賛同し、少額ですが支援いたします。
ご支援いただきありがとうございます。
そして、大牟田を離れても故郷のことを気にかけていただき、本当にありがとうございます。
大牟田に住んでいても、三池炭鉱で起きたことや、三池炭鉱と周囲の町や人との関わりについて、実はあまり知らないことに気づかされることがあります。
関連施設は多くが取り壊されていますが
三池港、宮原坑、三池炭鉱専用鉄道敷跡は世界遺産の構成資産になりましたし
三川坑も官民双方で盛り立てるよう頑張っています。
これらを守り継ぎ、歴史を伝えていくことが私たちの責任だと思っております。
今でも、厚生労働省交渉での叫びが聞こえます。「うちの父ちゃんば返せ!」と。
二度と起きてはならない事故、事件。この大きな闘いの歴史を伝えていきたいと思います。
台風の中、旧大牟田労災病院に行ったことがまるで昨日のように思い出されます。
旧全労災大牟田支部のみなさん、高次機能連絡会のみなさん、ますますのご健勝をお祈りいたします。
ご支援いただきありがとうございます。
三池の組合の戦いは、全国の仲間の想いが結集したものでした。
横山さまは、厚労省での交渉や三池の現場の様子を、つぶさに見てこられただけに、想いも一際持っていただいていると思います。
この事故を伝えることで
労働者ひとりひとりが、安全でやり甲斐のある環境で働くことのできる世の中につなげることができればと思っております。
炭じん爆発の事は、恥ずかしながらほとんど知りませんでしたが、福岡県医労連に就職してから、大牟田吉野病院を通じて三池炭鉱の事故と労働者のたたかい、また亡くなられた方やご家族の事、いまだに苦しんでおられる方と高次脳機能障害の事など多くを学ぶ機会をいただきました。その中で、458名の亡くなられた方の慰霊碑がないことも聞いていましたが、今回その建設に向け動き出した実行委員会の皆様に心より感謝いたします。慰霊碑を建設されることで、三池の大災害が風化されることなく、後世へと伝わり労働者の安全と命を守る事へつながっていくことを願っています。
ご支援いただきありがとうございます。
また、炭塵爆発事故のことを知っていただいただけでなく
被害に遭われた方々へ心を寄せていただき、このようにご支援という行動をとっていただきましたこと
本当に有難く感じております。
保元様のおっしゃるように
この歴史がきちんと後世に伝わり
事故のない世の中に繋がること、労働者ひとりひとりの働く環境が守られる世の中になることを願ってやみません。
父が三川抗に努めていました。私は小学校1年生で緑が丘社宅に住んでいたのが、原万田の社宅に引っ越し、
事故の日は元住んでいた隣のお宅に姉と遊びに行っていて、私は幼稚園小学校入学が一緒だった友達の家に行き
鉄腕アトムを見ていました。そこのお父さんが事故でなくなりました。父は三番方で偶然難を逃れました。
この事故は他人ごとではありませんでした。
大牟田市立病院 末吉 晋
ご支援いただきありがとうございます。
お父様が三川坑でお勤めだったとのこと
末吉さんの言われるとおり、当時難を逃れた方も事故に遭われた方も、ほんの少しの巡り合わせの差で、他人事ではありませんでした。
みんながその想いを共有していたと思います。
ご友人のお父様が亡くなられたことは、きっとその後も離れがたい記憶となったことと思います。
慰霊碑の建立が成りましたら、除幕式にはぜひお越しいただければと思います。
これまでの三池のたたかいに敬意を表します。そしてそのたたかいとともに、大牟田労災病院廃止後の大牟田吉野病院に関する厚労省「確認書」にもとづき高次脳機能障害の中核的医療機関めざす運動にも関係者の方々が積極的に取り組まれています。
私もその運動が前進し、そして三川坑の炭塵爆発の犠牲者の皆様の慰霊碑が幅広い参加者で建てられること意義を感じ、連帯したいと思います。
ご支援いただきありがとうございます。
門馬様も労災病院の関係で運動を推進されてきた方なのですね!
労働の問題と
三川坑の事故とは
切っても切り離せないつながりのある問題だと思っております
この事業を契機に少しでも日本の労働環境が見直されますよう
今も苦しまれている方々が報われますよう
メンバー一同真摯に願いながら活動しております。
1960年7月19才、総本社本採用と同時に販売会社に転籍、銀座から博多へ転勤。九州支社勤務となる。
大きなショックを抱えて、会社への不信と不満まったくやりきれない、複雑な心境で赴任した。
直後の7月中旬?大牟田営業所訪問が初仕事でした。
西鉄大牟田駅から通りの左側を真っ直ぐ下ったとこだ。すぐわかるよ。と先輩から教えて頂きました。
駅から歩いてすぐに、驚きの光景。三池労働組合員?の方々が、ヘルメット、サングラス、タオル、を首に、揃いの作業服に、荒縄を腰に巻き、更に竹の水筒?で4列でズラリ、思い出せないほど大勢の人でした。その皆様の前を,
背広にネクタイ、新しい革かばんを下げて、中腰で、前を失礼します。と覚束ない足取りと乾いた声で歩きました。
途中左接道路に組合事務所がありました。道路を跨ぐ大きなスローガンが目に入りました。
「粘りのつぎは、反撃だ!」組合員の皆様の総意だ!私のもやもやがクヨクヨが、一気に消え去りました。
あれから60年、スローガンを私の大切なスローガンとしていました。ご縁を心から感謝しています。
ご支援いただきありがとうございます。本社採用から九州へ
三池とともに激動の人生を歩まれたのですね!
当時の様子が目に見えるメッセージ
本当にありがとうございます。
60年間
三池を心に留めていただき
こうしてまたご縁を繋いでいただきますこと
本当にありがとうございます。
このご縁をさらに繋いでいけますことを祈念しております。
仕事で昨年初めて東京から福岡に、そして大牟田に伺いました。その後、趣味で毎年伺う与論との関連をNHKの番組で知り、事故のことも始めて認識しました。そして今日、日経新聞で慰霊碑の記事を。。60年経っても寝たきりの患者さんのことも心配です。。
ご支援いただきありがとうございます。
そして、大牟田の歴史を知っていただき
このプロジェクトに心を寄せていただきましたこと
本当にありがとうございます!
今なお病気で苦しむ方や、やりきれない想いをもつご家族にとっては
決して過去の事故ではありません。
その歴史を皆さまに知っていただければと思います。
昨日の日経新聞の夕刊を見ていて本プロジェクトを知りました. 私の叔父が亡くなりました.
母の実家は大牟田でした. 当時 中学2年だったので事故の事は良く覚えております.
記事の中で`国の礎を築いた一人一人の死を悼み,事故を教訓として語り継ぐ場所にしたい.`
とのご趣旨に感動致しました.
本プロジェクトが完遂されることを祈念しております.
ご支援いただきありがとうございます。
また、このプロジェクトにご賛同いただき、本当にありがとうございます!
中学2年生で、叔父様が亡くなられたとのこと
心から離れることのない辛い記憶となられたことと思います…
慰霊碑を建立することで
改めて歴史を振り返り、悼む場としたいと思います。
プロジェクトを成功させるよう頑張ってまいります!
父は、当時三井鉱山の発電部門に勤務。事故の直後、停電した構内に電灯を灯すために、若手が肩に電線を担ぎ現場に入ったそうです。その後転職しましたが、晩年まで、構内で犠牲となった方々の無念を忘れてはならないと話しておりました。その父も7年程前79歳で亡くなりました。東京都在住にて本日日経夕刊で記事を拝見、父に代わり少額で恐縮ですが寄付を申し込みます。
目標を達成され、慰霊碑が完成しますことを心よりお祈りいたします。
ご支援いただきありがとうございます。
お父様が鉱山にお勤めだったのですね。
炭じん爆発事故に心を留めていただき
こうして記事を見つけてプロジェクトにご賛同いただき本当に感謝いたしております。
慰霊碑を無事建立し
亡きお父様のにも空から見ていただけるよう頑張りたいと思います。
ありがとうございました!
頑張ってください!
ご支援いただきありがとうございます!
おかげさまで、目標額にまた一歩近づくかことができました。
458名の仲間の慰霊はもちろんですが
ご家族や関係する全ての方が歴史を忍ぶよすがにもできればと思っております。
プロジェクト成功まで頑張ってまいりますので
今後とも応援いただきますようよろしくお願いいたします!
6年程前に大学院の卒業研究(ユネスコスクール、SDGs、世界遺産学習などの教育分野です)で大牟田の皆様に大変お世話になりました。以来、大牟田が好きになり、現在も時間ができると大牟田へ伺っています。三川坑へも足を運び、ガイドの皆様から当時の貴重なお話を拝聴させて頂いた思い出があります。本日、READY FORを閲覧しておりましたところ、この三川坑プロジェクトを知りまして、是非、応援させて頂きたいと思いました。目標を達成されますことを心より願っております。頑張って下さい!
ご支援いただきありがとうございます。
大牟田に親近感を持っていただき、何度もお越しいただいているとのこと。
本当にありがとうございます!
また、このプロジェクトを見つけていただいて本当にありがとうございました!
慰霊碑ができましたら
またぜひ大牟田へお越しください
高校まで大牟田に住んでいました。あの日11月9日の爆発の音は今でも鮮明に覚えています。
目標額を達成され、記念碑が建つ事を切に願っております。
ご支援いただきありがとうございます。
炭じん爆発のご記憶をお持ちなのですね。
三川坑で働いているものだけでなく
あの事故は大牟田市全体を震撼とさせた本当にいたましいものでした…
Twinengine様のお志を形にできるよう
チームみんなで頑張って参ります!
今後とも応援いただきますようよろしくお願いいたします。
私の父は昭和2年生まれの炭鉱マンでした。宮浦坑、三川坑と最後は有明坑で定年を迎えました。爆発の時は父は休みだしたので、雪の中を血相変えて家を出て行ったのを子供ながらに微かに覚えています。父は他界していますので、気持ちだけしか出来ませんが役立たせて下さい。
ご支援いただきありがとうございます。
本日は、ビラ配りで皆様に知っていただく活動をし
励ましのお言葉をいただきました。
馬見塚さまはじめ
ひとりひとりの応援を力に
プロジェクトの成功に向け頑張って参ります!
追加のコメントもありがとうございました。
お父様も炭鉱マンでいらっしゃったんですね。
お父様のご縁でこのプロジェクトにご支援いただきましたこと
本当に感謝しております!
お父様にもぜひ慰霊碑を見ていただきたかったと思います。
プロジェクトが成功しましたら
ぜひ馬見塚様も三川坑にいらっしゃってください
昭和38年11月9日炭じん爆発が起きてから57年が経ちました。
今年、有志が集いクラウドファンディングによって、今はなき第一斜坑跡地に慰霊碑を建立予定です。
碑には、この事故で亡くなられた458名のお名前、当時の年齢が刻まれます。
やっと【犠牲者458名】という一括りから解放されます。
この国の復興を支えてこられた方々の労が、ようやく報われるのです。
遺族も高齢になりました。
その子供たちも、言葉に出さねども、未だ癒えぬ傷を抱えて生きています。
愛する家族を失った57年間。父を知らず育った子供たち。
どこにも行き場のない悲しみや恨みが、この慰霊碑の誕生によって
どうか報われますようにと願ってやみません。
ご支援いただきありがとうございます。
そして、とても熱いメッセージ、本当にありがとうございます。
慰霊碑におひとりおひとりの名前が刻まれることで
その時、生きて、働いていたそれぞれの方々の人生が見えてくると思います。
その方々に繋がるご家族や友人の皆様の顔も…
亡くなられた方の供養だけでなく、残されたご家族の気持ちに沿うことができればと思います。
慰霊碑建立を実現できるよう
最後まで頑張ってまいります!