私は今回、「苦闘校」と入れました。
不登校に響きは近いため、言葉を変えたくない人にも比較的受け入れやすいことに加え、今回の焦点の中に「苦しんでいる」ことが分かる記載であることが挙げられていましたので、今回このような提案をします。
「苦闘」している子はいます。
苦闘校は「苦登校」に繋がります。登校に苦しむなかで、その苦しみを理解してもらえないことを示す意味もあります。
なお、私は普段、大学で教えています。そうした形になりそうな新入生・受講生に戻るよう呼び掛けることも、そうでない形を選ばせることもありますが、教育を受けさせる義務と学校に行かせる義務は違います。
しかし、全員に個別の対応ができる時間など現在の教育体制では出来る筈もありません。「全員に個別の対応は出来ない」前提で、一人でも多くを救い、しかも救われない人をもどん底から出来るだけ引き上げることが必要なのだろうと思います。
この度はご支援いただきましてありがとうございます!ご提案についてしっかりと検討させていただきます。応援に感謝しております!
頑張ってください!
何件もご支援くださりありがとうございます。心より感謝いたします。
私の兄は40年前に登校拒否児と呼ばれていました。
その負い目は未だに残っていると思います。
学校教育がどんどん悪化して行く中で、既存の学校に行く意味をほとんど感じません。
本プロジェクトの成功を祈っております。
ご支援いただきましてどうもありがとうございます!少しでもそのような想いをする子どもが減るようにプロジェクトがんばります!!
休み明けブルーの学生生徒や社会人で自死する人がでる現実は哀しい。別の世界に踏み出す意識と方策を奪われてしまって自縄自縛に陥り悪循環。特に小中の義務教育期に問題が集中する。子ども自身が登校が義務と誤解させられ苦しみ抜く姿は消えていないようなのだ。憲法の26条の規定で、普通教育を受けさせる義務は保護者にあり、子どもに教育を受ける義務は全くないのに登校を強要されたりしてきた。以前は教員も保護者以上に登校指導を力尽くで行い美談仕立てが流行ったもので、子どもの義務を果たさせてやる‼︎や落ちこぼれ防止に尽力する恩師気取りにうんざりとしたこともあった。子どもだけではないが教育を受ける権利、学習権は誰にでもあり、学びの場は自由に選べて多様性が保障される事が不可欠です。不登校は尊厳ある個性の消極的?発露であって自然な事。自己否定に追いやられる圧力を跳ね返せる明るくエネルギッシュな命名は大切ですが、不登校にも個性があって一語では難しいですが知恵を集めましょう。完成した歌が聴ける事を楽しみにして少しですが支援いたします。
橋本美香さん、制服向上委員会の皆さん、OGの皆さん、この世知辛い状況で
活動を続けて下さりありがとうございます。
自分の知り合いで群馬で活動している【空羽(くう)ファティマ】さんという女性がいます。
皆さんと同じくイジメ、不登校、子育て問題に向き合い、絵本製作や朗読コンサート、blog等で発信してくれています。
ぜひ一度、朗読コンサートを観覧いただき、繋がっていただけたら嬉しいです。
下にblogのURLを貼っておきますので、お時間のある時に読んでみて下さい。
きっと共感してもらえるはずです。
『キャメルンblog』 blog.camelun.com
どうもありがとうございます!ご支援に感謝いたします。
学校という閉ざされた空間に子供を押し込め、画一的な教育を施すことが不健全だと思います。応援しますので、頑張ってください。
ご支援ありがとうございます!!少しでも力になれるよう頑張ります!